合戦劇に込められた思い「滝の城まつり」
前回のブログ記事でご紹介した所沢市の「第一回 戦国滝の城まつり」。合戦劇から伝わる、戦国時代を駆け抜けた人達を思うみなさんの気持ちに感動し、永禄12年の妄想からなかなか抜け出られないでいます。
前半のスペクタクルな立ち回りに比べ、比佐姫が茶を振る舞ってからの後半の場面は、歴史オタクでない方達や子供たちにはややこしかったかもしれません。でも、ややこしくたって、難しくたって、言葉が分からなくたって、外国語の歌や芝居もそうなように、伝わるものは伝わるのだと思いました。あの砂ぼこり舞うギュウギュウ詰め状態で、みんなで最後まで見ていたのが何よりその証ですよね。
~東所沢駅より進軍してくる武将達を城で待ちます。立錐の余地もないほどの凄い人。~
実は、合戦劇の製作&出演者達(全て本職は他にある素人さん)には、ただ派手なカッチョイイ戦国パフォーマンスを見せるというものではない、そこには、ある込められた「重い」・・・
ちゃうちゃう、いや、そう、「重い、思い」があったそうです。
それを知ると、あの後半の小山田の気持ちの動きや信玄との確執も、「な~るへそ」になるかなと思います。
小山田信茂は、文武に秀でた歴戦のつわものです。元は独立した領主で武田と争いましたが、武田の傘下となり信玄・勝頼に仕えます。大河「風林火山」での記憶も新しいと思います。
信玄亡きあと、色々と思うところあったのか織田につこうとしましたが、魔王にその不忠を厭われ切腹となります。享年44才。今の私達が認識する「忠義」とは徳川に植えつけられた精神で、戦国時代の「忠」「不忠」はそれとは違うと考えますが、一般的には小山田信茂はあまりイメージ的には良い方ではありませんね。
~小山田信茂の居城「岩殿城」の一部分(大月)~
製作者(小山田役)のお話を一部抜粋させていただくと、
▲・・・一番の謎は、やはり小山田の心変わり。これだと思います。滝の城のお祭りだから、滝の城を主軸にしなきゃいけない。でも、滝の城衆は全て架空の人物。いや、三田さん、比佐さんなどは名前も残っている実在の人物ですが、名前とわずかな特徴だけで、活きた人物に仕上げられなかった。・・・▲
その小山田の心変わりを、今回は地元(所沢・清瀬)や地元の人達のためのおまつりということで、「故郷への想い」として絡めたそうです。そこには、震災で避難したまま故郷へ帰りたくても帰れない方達の思いもダブらせたかったと言います。
小山田のセリフ、
「比佐殿の大石領と小山田領は隣国。幼い頃に面識がある」
は、歴史オタクの私達には一瞬ビビッときて、観戦後もそのことが話題になり、みんな家へ帰ってから地図を開いてあらためて調べちゃったそうですよ。
そうですわなあ。小山田といえば津久井側ばかり隣国と思ってしまっていましたが、大石領側も隣国でしたわなあ。よっく、そこに着眼しましたよねえ
。
前ブログの報告記事でも書いた、撤退を言い渡す小山田に対する武田軍の武者のセリフ、
「あの姫に惚れましたかっ・・・」
製作者の言うところの、
▲ 「誰にでもある淡い思い出」▲
これっすな。オジ様の観戦者達にウケとった理由は。郷愁を誘い浪漫的です。えっ?そんな思い出無い?かわいそ。
そして、なお、シナリオは深かった ![]()
小山田の脳裏にあったのは志賀城(佐久)攻めのことだった、ということにしたそうです。
志賀城攻めでは、前線の戦いで勝利した後、男は皆殺しにし3千にも及ぶその首を並べ、籠城している城側の戦意を萎えさせ落城させたといいます。その後、降伏した雑兵や非戦闘員の女子供までも金山に送ったり、過酷労働に適さない者は奴隷として売り飛ばしました。
当時の戦とは武田に限らず、もちろん我らが後北条も上杉もどこもそういうことをしていますが、特に志賀城攻めについて言われてしまうということは、当時の人達にとっても「やり過ぎ」の感があったのでしょうねえ。信玄の戦歴の中でも ‘ブラック’ なものです。
たとえ信玄から叱責されることが分かっていても、自分の思い出である比佐殿や比佐殿が大事にしている滝の城をどうにか守りたい。それが、合戦劇後半の小山田の気持ちだったのですね。
製作者
▲・・・私のヘボい演技では、皆さんにそこまでの思いを伝えることができなかったのではないかと思いますが・・・ ▲
いえいえ、そんなことはないですよ。伝わりましたよ。イメージ良くなかった小山田も報われたことでしょう。
「誰もが守りたい故郷だったり思い出がある」
これが、昨年の三増や来月の津久井や、今年秋の三増にも製作・出演する彼ら武将達の共通のテーマでもあります。
~普段はのどかな「滝の城」~
おお、そうだったのかあ、もう一度ああいう合戦劇を見たいとおしゃる方、また、そういうものを一度見てみたいと思う方は、来月、6月24日(日)「津久井城開城記念」に、ぜひ足を運ばれてみてくださりませ!
あにゃ?
志賀城攻めの後、小山田は、城主・笠原の未亡人を側室にしたのではなかったでしたっけか?側室にしたのは小山田の兄弟でしたっけ?まあ、当時はそんなもんでしょう。たぶん。
また、大河「風林火山」のDVDが見たくなった。
おしまい
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画像は歴友とマリコ・ポーロが撮影したものです。
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