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2009年9月21日 (月)

会津の言い分 その2

「会津の言い分 その1」は、会津魂で話が長くなりすぎてしまった。「その2」では、やっと本題の会津塗と、歴史の旅の記事・・になるかな?


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~氏郷米(会津継承米という)。ふっくら美味しかった~


続きは、レオ様から。

レオ様とは、四百年前の近江(滋賀県)日野の領主、蒲生レオ氏郷のことである。「レオ」とは、クリスチャンだったので、その洗礼名だ。


信長→秀吉と政権が変わるにつれ、レオ様も、日野→伊勢松坂→会津と国替えさせられる。会津にいたっては、伊達政宗が積年の恨みを晴らしせっかくゲットしたところだったので、政宗ったら、いつまでもレオ様にいじわるしている。

よく聞く逸話だが、秀吉に会津へ行かされたレオ様は、石高は増えたが、「これで天下の夢は絶たれた」みたいにおっしゃったと。天下を狙える近畿圏から陸奥へだもの。さぞかし無念だろうと思った人達が伝えた言葉だろう。

これを書きはじめると、国替えの話で一本終わってしまいそうだし、レオ様のこのへんの事はどこにでも書いてあるので割愛する。是非、調べてみてたもれ。


しっかし、戦国の武将は前向き思考ね。

それより昔の宮中人のように、「こんなところへ来とうはなかったんや(←ダレ?)。ヨヨヨ~」と和歌に詠んだりはしない。すぐに、新領地の統治にとりかかる。いつ、戦が始まるかわからないものね。ぐじゅぐじゅ言ってる暇はないのだ。


会津は、今、「会津若松」というが、それまで会津は、「会津」だった。今はまだ若い松だが、これから育ち、いよよ栄えあれ、という意味で、「若松」という美称をレオ様が付けた。

お城の名前「鶴ヶ城」は、レオ様の幼名「鶴千代」からのネーミングである。

今の、江戸時代の鶴ヶ城(昭和の再建)も美しいが、レオ様の頃の城はまったく違う。黒い七層の城だ。お城でCG画像が見られるが、カッコイイ。バビル2世のバベルの塔みたい(ある世代しか分からない)。

レオ様は、故郷の日野から商人や匠をたくさん呼び寄せて町を造った。私は、近江は大好きなので何回も行っているが、四百年前にレオ様がつくった日野は、明るくて閑静な商人町だ。

そして、それから長く続く会津若松の城下町の基盤も、レオ様がつくった。


レオ様は、しかし、40歳でお亡くなりになった・・・。

お墓は、街中の興徳寺と京都大徳寺にある。興徳寺は自由に入ってお参りできます。素晴らしい!五輪塔です。辞世の句の碑もあります。


限りあらば吹かねど花は散るものを 心短き春の山風

花の命には限りがあるもの。時がくれば自然に散ってゆく。それなのに、なにをあせって無理に散らそうとするのか、春の山風よ。(by マリコ・ポーロ妄想訳)

そのココロは・・・、説明しなくても分かりますよね。


塗物は、会津藩が産業のひとつとして大切にした。

同じ漆器の産地でも、輪島は城下町ではない。むろん、加賀藩の中だし、輪島塗も奨励された。しかし、能登半島は金沢とは戦国時代領主が違ったこともあり、江戸時代は、加賀ではないという意識で見られた(ちょっと今でも・・)。加賀百万石の対面を保つため、しぼりに絞り取られたそうだ。

だから、輪島塗は、漆の魂を内にひそめた


金沢や会津は藩主が手塩をかけた城下町だ。

金沢漆器は、町人・商人の町の、その華やかな遊び心で、漆の魂を外向きに表現した。


そして会津は・・・、

武士の町である。神道の会津藩主は、神である。漆の中に厳しさを込めた。会津塗を代表する藩政時代の会津絵をご覧あれ。


マリコ・ポーロの妄想が過ぎるかもしれないが、気候風土は必ずその土地の産物に表れると思う。

それがその特産物の個性となり、私達が手にとった時、「あ~、いかにも○○の物らしいね~」となり、その土地への憧憬につながるのだと思う。

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~♪南ぃ~ 鶴ヶ城を望めばぁ~


▲ 漆器についての「会津の言い分」

会津の「薄挽き」の技は秀逸だ
会津は、木も木地も会津でまかなえる
会津は、漆も会津でまかなえる

このあたり、輪島塗で洗脳された私は、会津塗に関してはよく調べていないので、やたらなことは書けません。これから楽しく調べていきます。

皆さんも、樹脂と化学塗料ではない、天然素材のホンマモンの会津塗を是非見てくだされ。


会津は今、「会津まつり」真っ最中。行きたかったが、先月行ったばかりなので資金繰りと休み繰りがつき申さぬ。そうそう遊んでばかりもいられない。うう~ 残念じゃ。


また長くて、旅と歴史ルポまでいけなかった。「会津の言い分 その3」へ続く・・・

ほな。。


コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。いただいたコメントにはお返事させていただいております。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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