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2009年9月 7日 (月)

伊勢新九郎さん 伊豆で温泉にはいるの巻

‘元祖 義’

~後編なり~


さて、新九郎さんの関東制覇への道、次なる標的は伊豆半島です。

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~駅から龍城(韮山城)へ向かう~


実は、この時代で非常に重要なポイントになるのが、足利公方たち&関東管領です。でも、これを書くとややこしくなる。

漢字や人名が羅列され、「やっぱ、歴史ってむずかし~」と歴史を嫌いになられるとサビシイから触れません。でも、逆にこれを知ると、歴史はとっても面白くもなるので、興味がある方は是非お調べくだされ。


さてっと、
その頃の伊豆は、京の足利将軍家の出張所‘ビビリ堀越公方’の管轄でした(って触れてるし)。本来の姿としては、この人は新九郎さんの上司筋です。

この‘ビビリ掘越公方’を追い出し、領民達に安心する治世を施し、甥っ子のためにも、自らの領土拡張のためにも、伊豆を手中にしようと新九郎さんは考えます。


ここらへんが分からない。

今川家ビジター(客分)の新九郎さんは、いつまで今川のために働こうと思っていたのか。ここらへんで、分離独立 M&A を考えていて、そのために伊豆が必要だったのか。京の幕府の指令なのか。


まあ、とにかく情報収集は大切。新九郎さんは一般人に変装して温泉にはいり、地元住民の声を集めます。これは本当がどうか定かではありませんが、リサーチをしていたのは確かですよね。本人自らではないかもしれませんが・・・いや、やりかねないぞ、この方。。。


韮 山 城

伊豆半島の首の付け根。韮山駅から徒歩15分位。上の写真のように、駅からはず~っと城山に向かって田畑の中の一本道を歩いていきます。新九郎さん生涯の居城です。

そして新九郎さんはここで亡くなります。戦国時代フィナーレ、秀吉の小田原攻めの頃は、新九郎さんのひ孫、北条氏規くんのお城でした。

(2012年3月加筆: 氏規さんのお城ではなく、氏規さんは 在番 でした。

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~主郭部分の一部。住宅や学校がせまっている。反対側は池や広場がある歴史公園。~



念のため言うときますが、この韮山に移った時点では、新九郎さんは、まだ今川家のビジターであり、「北条」とも名乗っとらんがです。先に書いた「興国寺城」は、ご子息の氏綱殿にお任せしてますが、そこも、つまり、今川家の支城です。面白いね。

伊豆半島の出入口である、ここ韮山城から半島に目を光らせつつ、興国寺城にいる息子や家臣達にビシバシ指令を飛ばす新九郎さん。新九郎さんは、このあたりで今川家からの独立を考えたのかな。それで、駿河を離れ相模を北条の生きる場所にしようと、次に小田原城を狙ったのか。


この頃の関東はまだ混乱していて、大きな勢力がきっちり治めていないから、新九郎さんならゲットする可能性は大だった。

それまで、領地は、お上(天皇とか将軍とか)から与えられるものでした。でも、新九郎さんは自らの力でゲットしていきました。そして、こういう手法で自分の領地を広げてゆく「戦国」という世に時代は変わっていくのです。

百年後、おサルが北条を滅ぼして、領地はまた、お上から与えられるものとなり戦国時代は終わったのであります。

北条早雲こと伊勢新九郎は、日本の歴史をすこぶる面白くさせた人だ。ご本人はあの世で「いや~、これは参った。ぺちっ」と手の平でオデコたたいているかも。

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~山頂曲輪(本丸)跡~


韮山あたりを歩いていると感じることがある。

そりゃあ、ここは戦略的にも政治的にも大事な場所だったかもしれない。でも、新九郎さんが生涯ここを離れなかったのは、この地が好きだったから♪ ではないかな。

初めての自分の土地。
蒼い空。群青の海。
若草を渡る風。
気高くそびえる富士の山

そして、北に広がるのは、

無限の可能性を秘めた坂東平野


見栄と体裁を保つための政略にあけくれるコセコセした、当時のせせこましい京から飛び出し、大きな翼がふわ~っとはえてくるような気分。

新九郎さんは、この韮山で大往生をとげます。後にはりっぱなジュニアがおられるので安心ですね。


以下は辞世ではありませんが、新九郎さんの有名な句。

枯るる樹に
また花の木を
植ゑそえて
もとの都に
なしてこそみめ

「枯れる樹」は衰弱した武家政権=鎌倉(関東)といわれています。

自分がこの関東の地にまた元のように、それ以上に確固たる武家政権の花を咲かせてみよう。決意と希望に満ちたうたです。強いけど優しい。花の添え木に例えてる。繊細な感覚の人だったんだなと私は思います。


最近の説

新九郎さんの年齢ですが、あと20年は若かったんじゃないかと。今川家の妹だか姉だかや甥っ子や、ライバル達の年齢などからかんがみて、どうもそうらしい、と。

そうなると、「遅まきながら」のデビューではなくなる。これは、今後調べていきたいと思っておりやす。


おまけ

お昼は「代官屋敷」でいただきました。ほんものの「江川代官屋敷」の中にお食事処があると勘違いしてしまい、‘義’のない受付の人にケンモホロロに追い出された。しょがないじゃんねー。観光客なんだし。紛らわしいんだもの。氏綱公の御書置を毎朝唱えなさい。

レストラン「代官屋敷」の方は感じよかったですよ。ここは、観光バスも着くし、ゴルフおやじ達も来るけど、広くてゆったりしてて、新九郎さんの領地を眺めながらお食事できます。


「菊源氏」というお酒があります。昔から伊豆へ行くと、けっこうこのお酒をだすところが多くて、伊豆に来たな~というイメージがあり好きです。「代官屋敷」さんにもこれがありました。が、昔、酒造元は韮山の酒屋だったのに、今回、ふと見たら・・灘の酒になってました。どびっくり。

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~北条家の御用達「江川酒」。今は復刻版。~


韮山は、もちろん源頼朝や、彼との恋と勢力争いのライバルのお気の毒な山木殿の旧跡もいっぱい。幕末にも江川さんという名代官をだしました。

歴史を知らないと「田んぼの真ん中に温泉が出た」だけですが、歴史を知ると、一泊二日たっぷり楽しめますよ。


ほな。

コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。

 

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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