‘元祖 義’ 伊勢新九郎の韮山へ
前編なり~京都から駿河へ~
~伊豆 韮山。源頼朝&政子さんツーショット。韮山は新九郎さんの生涯の拠点。それより300年ほど前、源頼朝 旗揚げの地でもある。~
前回のブログ 「北条一族 湘南ボーイへの道」では、北条早雲こと伊勢新九郎 vs 三浦一族をたどる旅をご紹介しました。
いかがでしたか?新九郎さんと三浦半島に興味をもっていただけましたか?
そんなあなたを次にお連れ申すのは、 「新九郎さんはいったいどこから来たのか」をたどる旅。旅先は 駿河&伊豆 です。
では、参りましょうぞ。 元祖‘義’
‘義’って上杉謙信じゃないの?と誰もが思いますでしょ。違います!マリコ・ポーロの妄想と偏見史観では、上杉は「本家 義」。 「元祖 義」は新九郎さんです。というか、もともとは、孟子の教えだそうですが。
二代目の氏綱公が、その息子である三代の氏康殿に残した「御書置」があります。それは、初代の新九郎さんの教えでもあると思います。
つまりは、北条一族のテーマなのです。そこに最初に掲げているのは、
‘義’を専ら(もっぱら)に守るべし!
‘義’
それなくしては、戦に勝とうが金持ちになろうが、偉くなろうが、女にモテモテだろうが(とまでは書いてないが)、なにほどのことがあろう。
‘義’を捨てて戦さに勝った、と人に言われては末代までの恥辱である。‘義’を守っての滅亡と、‘義’なくしての栄華とは、天と地ほどの違いがあるのだよ。
そして、氏綱公はおっしゃる。
人の命はわずかの間。むさい(欲深くて卑しい)心根でおってはあかんぞよ・・と。(マリコ・ポーロ意訳)
伊勢新九郎さんは、京で応仁の乱を実体験している人です。‘義’のない荒んだワールドの中に身を置き、その成れの果てを見てしまった。そこから発生した考えでしょうか。
北条一族には、百年間、このテーマがず~~っと流れていたように思います。
さて、その北条一族初代 新九郎さんが、‘義’を行うべく見出した場所は・・・。 新九郎さん駿河へ行く の巻
「駿河」というと、まず皆さんが思い浮かべるのは、江戸時代のタヌキジジイ様でしょうか。マリコ・ポーロは時代を少々さかのぼり、戦国時代の今川家のご当主達に思いを馳せます。
ご存知の如く、義元どのが桶狭間で魔王に討ち取られ今川家は滅亡しました。でも、なんにしても今川家は百年以上も駿河に勢力をはっていた家です。
私は、この今川家の基盤をつくったのが、北条早雲こと伊勢新九郎さんだと思っています。
ちなみに、北条早雲は、後半生のほとんどを「早雲庵宗端そうずい」と名乗っとられました。残されている文書では「宗端」と署名されています。前半生では、ま、いろんな説がありますが、私は「新九郎さん」とお呼びしたい。
足利幕府に宮仕えしていた伊勢家の新九郎さん。勤務地は京の都。時は応仁の乱の真っ最中。
新九郎さんは、途中で辞めちゃってフリーターになったり、お寺で修行したりしている。救いようのない世に無常を感じたのか。同時代には一休さんや蓮如、雪舟なんかがいますね。
このまま風の様に生きて朽ちてもそれも人生、と思ったかどうかはわからんが、そんなある日、彼の妹だか姉だか(北川殿)が今川のご当主に嫁ぎ駿河へ行った・・・。
これが、新九郎さんの人生を烈風の中へ引きずり込んだ。
それは、突然このご当主が戦で死んでしまうことから始まります(内部の人間に殺されたというウワサもあった)。例によって例の如く、駿河の地では跡目争いが始まります。
京都から駆けつけた新九郎さんの働きで、チーム北川が勝利。北川殿の息子が跡目を継ぎます。ところが新九郎さんは事態が収まった後も京に帰らず、今川家のビジターのような形で駿河にとどまるのです。
だって、いまさら京へ戻って足利将軍家で働いても楽しそうじゃないものね。駿河の大地の方が夢がある。それに、北川殿と新当主の甥っ子くんの事もとても大切に思っていたのでしょう。もしかしたら、幕府の指示だったかもしれませんしね。
いただいたお城は沼津の「興国寺城」。
↑あれに見ゆるが興国寺城だっ!
前置きが長すぎて。城の見聞は後編へ。
(2012.1 加筆
最初のお城は興国寺城ではないって、黒田基樹氏の本に・・・)
ほな。 コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。
画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。
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