ディスカバー 伊勢新九郎の相模へ
小田原城といえば、↑これ。そして、小田原というと北条一族が思い浮かぶでしょう。でも、これ↑は、戦国時代の北条一族が住んでいたお城ではないのです。そうです。これは、江戸時代のお城の天守(昭和の再建)。稲葉さんや大久保さんが城主だった頃です。
小田原市は「北条五代の町」みたいなキャッチになっていて、稲葉さんや大久保さんがかわいそう。300年もこの町を一生懸命(たぶん)治めてきたのに。北条よりずっと長いのに。
となると、戦国時代の北条の城はどうなっちゃったの?ですよね。
私は、戦国時代の終焉とともに廃城となった城跡に立つのが好きです。特に八王子城を訪ねて以来、城跡中毒となってしまいました。ウン十年見聞し続けている、ディスカバー日本の旅を、城跡と北条一族を中心に、マリコ・ポーロの妄想と偏見でまとめていきたいと思います。皆さんの、歴史の旅と、ディスカバー日本気分に浸る楽しみの少しでも添えになれば幸い。
では、初回は、ほんの入り口だけ。 小田原城「旧館」へ登城いたしましょう
戦国時代の小田原城は、今の小田原市街地のほぼ全部です。当時のお城のど真ん中を東海道線が走っています。これには、伊勢新九郎さんこと早雲公もびっくり?でも、北条のお城は街道の上にあるものが多いので、そんなに驚かないかも。
新九郎さん時代のお城は駅の反対側にあります。といっても、新九郎さんは伊豆韮山にお住まいでしたので、小田原を拠点としたのは、ご嫡男の氏綱公から。そして、子や孫達がどんどん城域を拡張・増築していったのです。
歴史ファンの中でも戦国時代ファンは、こっちの旧館エリアが大好きでしょう?もちろん新館エリアにも戦国時代の気配を感じられる場所はたっぷりあります。それは追々。
ちなみに、「旧館」「新館」はマリコ・ポーロの造語ゆえ現地では通じまへん。あしからず。
(2011.8 加筆
小田原城は大森時代から同心円状に広がっていった・・・のではなく、古郭は大森時代から詰の城であり、北条氏綱公時代から城の主郭は現在の本丸あたりだった・・との説が主流) おまけ
旧館側の駅中に、箱根湯元のお蕎麦の名店「暁庵」があります。
二代 氏綱公の弟、北条幻庵が別当だった箱根権現の霊泉で仕込んだ「神龍」を飲みながらお蕎麦をたぐれますぞ。
一杯のんでお店を出れば、目にはいるのは、伊勢新九郎さんこと北条早雲公のカッコイイ銅像。「火牛の計」で一緒に戦った牛さん達と一緒です。 大 外 郭(だいがいかく)
旧館エリアでの最大の見ものは、なんといっても、小田原城総構え。深さ約12m、幅約20-30m。城域を囲んでぐるり11km 延々続いていたそうです。その位の深さの堀切はアチコチの城跡で見ますが、この長さは圧巻でしたでしょうね。戦国時代の小田原城は「土の大城塞都市」だったんですね。
この総構えは、市内のそこここに残っています。それも追々、たっぷり。
本気ではなかったとはいえ、さすがの上杉謙信公も武田信玄も簡単には攻め落とせなかった。
なのに・・・秀吉はやってしまった!
北条は城のつくりでも武力でもなく、その、時の勢いに負けたんだ。でも、世の中ってすべからくそうかな。歴史は証明している。最後まで秀吉に媚びなかった一族。上杉でさえ、伊達政宗でさえ降りたのに。
そういうのも、その場所へ行って、その場所へ立ってみて、初めて少し分かる気がしたのだよ。 戦国時代を始めた男 新九郎さんから100年後
天正18年6月、北の大拠点、氏照殿の八王子城 が落城。
氏照どのは、その時、小田原城にいて、八王子城にはいなかった・・・。丹精こめて築城中の我が城が落ちたことを聞いたときの氏照どのの心情は察してあまりある・・。マリコ・ポーロは八王子城の足軽?なので、これを書き始めたらきりがない。追々たっぷりと。
7月、小田原城降伏。開城(落城とは言わない)。先代の氏政殿とその弟氏照どのは切腹。
まさに戦国フィナーレを飾るにふさわしい一族の終焉です。
当主の氏直さんは高野山に蟄居、病に果てます。
その後の江戸時代、氏政さん達の弟御、家康の今川家人質仲間だった氏規さんが大阪狭山藩主となり、今も続いてらっしゃいます。(この方、この前テレビで拝見しました。)
小田原城落城のことについても、追々、熱く語らせてくだされ。 おまけ
新九郎さんの戦法「火牛の計」からネーミングした「火牛」。駅ビル内の「魚国」で、地魚のおつくりをツマミに呑めますぞ。
(2009.10月加筆
火牛は製造を終えました・・幻の酒となりました。)
以上、平成21年如月拙著「城跡見聞録」より抜粋。
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです
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