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2009年10月17日 (土)

戦国時代満喫コース in 小田原

小田原という町は、戦国時代と江戸時代が渾然一体となった城跡である。


明日 10月18日は、「石垣山一夜城まつり」
その前乗りで、戦国時代の気配を感じられる、マリコ・ポーロ風味の「戦国時代 満喫コース in 小田原!」を案内(あない)いたしとうございます。

Image309 
 ~伊勢新九郎さんの垂れ幕。
  小田原城新館側の駅前の、

 小広場にあり。~


北条時代、城域は現在の小田原市街地ほぼ全域を占めていました。今は真ん中を東海道線が通っていますが、もともと北条は街道の上に城をつくることが多いので、つまり、これでいいのだ。



小田原は、我が家から一時間弱。箱根や伊豆への途中でもあるので、子供の頃からしょっちゅう行きます。海の表情がいいですし、美味しいお店もたくさんあり、東京の城南地域や神奈川県の人間にとっては近いはずなのに、人気では鎌倉や三浦半島に負けてます。何故だろう?なんか北条氏と似てる。


小田原は、北条が滅びた後の江戸時代も、江戸城の支城、小田原藩 として続きます。東海道の大宿場町、巨大城下町です。藩主は、はじめは稲葉さん(春日局の子や孫たち)、その後は、いろいろあって、結局大久保さん。そう。彦左と一心太助の、大久保彦左衛門の兄上の系列です。小田原城旧館?には大久保神社がちゃんとあります。


話を四百年以上前に戻しまして、今回マリコ・ポーロがご案内するのは駅の東口側。小田原城新館まわりに残る 戦国時代の気配 です。西口側、小田原城旧館あたりは、「ディスカバー 伊勢新九郎の相模へ」の記事で、これも、さわりだけご紹介しております。

注)前にも書きましたが、旧館・新館は、マリコ・ポーロ流の呼び方ゆえ現地では通じませぬ。くれぐれも、「あの~、新館へはどうやって行ったらいいですか~」なんて道を聞いたりしないでたもれ。変な人だと思われるからね。


まずは、墓前で誓いましょう

駅すぐ近く、「おしゃれ横丁」というオシャレな横丁にある、氏政さんと氏照どののお墓参りを。

   「仇(かたき)は、わらわがきっと・・・」 ←ウソですよ

胴が埋葬されている、というウワサもあります。


いろんな時代の大手口から

Photo

幸田口門跡
氏康公の頃は「蓮池四ツ門」と呼ばれていた



三代 氏康公時代の大手口といわれています。
謙信公や信玄が攻めてきたとこですよ!

お城に向かって商店街をブラブラ歩いていると唐突に現れます。ここから江戸時代の橋を渡って、復元された江戸時代の「銅門」から登城してもいいけど、ちょっと待って。戦国時代満喫コースなので、まだ入城しないでもそっと先へ歩きましょうぞ。

お城の堀は戦国時代からあった、というか、当時のものの一部だそうです。もちろん形状は変わっているにきまってるけど、氏康公を訪ねた京都のお坊さんの紀行文に残っています。

新九郎さんが建てた駅反対側のおうちから、子孫達がどんどん拡張・増築していったんですね。この堀までが氏康公が拡張していったエリア、二の丸。この先が、氏政兄弟が拡張していったエリア、三の丸です。

土塁の上、つまり、三の丸の中を歩いて裏の郵便局の方へ抜けられますが、戻って、すっごい建物!の「三の丸小学校」の角を曲がってくだされい。

Photo_2


 箱根口門跡



謙信公や信玄に攻められた後、氏康殿や氏政さん達は城の防御を一層固めていきます。有名な大外郭もこの頃につくられました。箱根口門は、その頃の大手口だとのことです。

氏政さんや氏照どのは、降伏したあと、この門から城を出て田村邸へ移ったのでしょうか・・・


小田原城開城 そして 切腹

ま~だ、お城に入ってはなりませぬよ~。

天正18年7月5日、小田原城は開城(落城とは言わぬ)。サルに降伏します。そして、7月11日、氏政さんと氏照どのは切腹。
群雄割拠、自らの力で領土をゲットしていった、野望と夢に燃えた戦国時代も、これで ジ・エンドです。

戦国武将達は、この、サルに降りていった時に、戦国時代をあきらめていったのでしょうか。でも、伊達政宗公だけはあきらめなかった気がする・・・。だからカッコイイ。

Photo_3


氏政さんと氏照どのが弟御の介錯により切腹したのは、
彼らのご典医 田村安栖の屋敷でした。
ここ「安栖小路 あんさいこうじ」にあったそうです。




 四代 北条氏政さんという人

父上、祖父上、曾お祖父さま、が、ずば抜けた活躍をした人でしたし、なにより、負け方の裏大将ということで、大した人物ではないと言う人もいます。

なんの!

氏政さんの時の北条の領土の拡がり方を見てくだされ。過激な弟くん達や叔父上達や、先代からの重臣達を適材適所に配置し、皆が取り立てて反発した形跡もない(寝返った者が出たのは最後の頃でしょ)。

大したトップであったと思いますよ。私には、一族経営の巨大コンツェルンの、先代達のご遺訓を大事にする跡取り総帥みたいな人物像がイメージされます。「おおどか」でお行儀がいい(逆にそれが首を絞めることとなった?)。

マリコ・ポーロは八王子城の足軽なので、氏照どののシンパですが。


いよいよ登城

「報徳二宮神社」から入りましょう。

そうなんですよ。二宮金次郎こと二宮尊徳は小田原藩足柄の生まれだそうですよ。小学校に必ずありましたよね。タキギを背負って本を読んでいる像。

小学生の頃は、何をした人かよくわかりませんでしたが、エライ人なんですねえ。小田原藩関係各所の財政を立て直したり、日本全国600もの農村の復興運動に生涯をかけたそうです。当時すでに、環境問題にも取り組んでいたとか。

あ~、今、上杉鷹山と二宮尊徳がいたらね~


って、戦国時代満喫コースはどこへいった、ですね。失礼しました。

この報徳神社の中がこのコース最大の見所、メインエベントです
旧館側の大掘切の続き、当時の空堀が残っているのです!
ゾクッとしますよ。ここが、今の観光小田原城の中!?と思いますよ。
Photo_4








城内

まあ、ごずいにまわってくだされ。ウメ子さん(象)はお亡くなりになっちゃったけど。
御茶壷曲輪(茶壷におわれて戸をピッシャン)や、御城米曲輪(北入口側の臨時駐車場)などに、北条の頃の遺構が少し。
その他も、城内の平らなところはほとんど曲輪跡です。遊園地のとこもよ。

見聞館も入ってみてね。一度は面白いです。
イケメンとイケジジの北条一族に会えます(ふふ)。


わらわは、明日、北条の援軍として石垣山に出張ります。

石垣山一夜城は次回、近日中に。
小田原ランチと一服とお土産は次々回に。

ほな。


コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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