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2009年10月 7日 (水)

逆井城「さしま古城まつり」の前ノリ

松本城つながりで、拙書「妄想と偏見の城跡見聞録~信濃編」を抜粋をするつもりが、今週末は「逆井城 さしま古城まつり」なので変更です。

北条ファンは大好きな「地黄八幡 北条綱成 つなしげ」&ご子息「菩薩北条氏繁 うじしげ」の城です。

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~地黄八幡の旗~


パパ綱成は、どちらかというと大船の玉縄城主としての方が有名だと思います。パパは、もともとは伊勢新九郎さんこと北条早雲ゆかりの、駿河今川家の家臣でした(このブログの、相模・北条・新九郎さんシリーズをご覧いただければ嬉し)。

今川のお家争いの時に北条を頼ってきて、三代 北条氏康の妹婿&盟友となり、それ以後は北条一族の重鎮となっていったのです。旧姓は福島(くしま)さん。

このあたりのことは、前に大河「風林火山」でやっていましたね。河越夜戦のとこでも、綱成はちゃんと出演してました。氏康殿も、おとこ気があってカッコよかったし、北条ファンにとっては嬉しいドラマでしたよね。


余談ですが、この綱成の弟御に容儀骨柄美麗 (すごいっ!どれほど?見せてみそ) といわれた福島弁千世という少年がいました。氏康公 秘蔵の小姓heart01で、河越夜戦の時に籠城する兄上に殿の伝言を伝えるため決死の覚悟で敵陣を抜けていった・・・、と「北条記」にあります。

「北条記」は軍記ものですし、だいたいが河越夜戦は‘夜戦’ではなかったそうなので、弁千世くんのことも、話半分に読んどいてくだされ。


「逆井城」は、つまり、古河公方の支配下だった城を北条がゲットし、その後、そういう(どういう?)バックグラウンドをもった、北条綱成とそのご子息、主にご子息が力をいれ築城した城であります。


なにごとも楽しく広く浅くのマリコ・ポーロ。このややこしい関東公方・関東管領が入り乱れる時代の歴史や勢力の知識が、他よりもより一層浅い。でも、浅すぎては妄想できないし偏見にもならなくてつまらないので、ちょっと調べているうち逆にとっても興味が沸いてきてしまいました。実は、今、凝り始めたところなのです。

楽しく分かりやすくなければ意味がない城跡妄想族?としては、一個の城を核にして、そこから楽しく広く浅く広げてゆこうと作戦をたてました。それが、 「逆井城」


逆井城は、今、北条がリニューアルした当時の状態に、「出来うる限り」忠実に復元されているそうです。楽しく分かりやすそうでしょう。

戦国時代の城は江戸時代の城とは違うよ、といわれてもね、戦国時代の城って黒澤映画みたいの?どんなんかよく分かりませんよね。

「出来うる限り」というのは、100%が当時の逆井城の復元ではないということです。

敷地全部を使い全部の建物を復元、は、そりゃ無理です。縄張りや櫓や堀などを整備・復元・修復したり、近辺の絶対年代の城跡や寺社仏閣の建物で、かろうじて残っているものを遺構したりしたそうです。

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~一の曲輪跡にかかる木橋と櫓門。曲輪にめぐらされた土塁と空堀も美しい~


たまたま拝聴した講座の先生が西ヶ谷先生で、逆井城の復元の総司令官とのことでした。その時代背景や復元にかかわるご苦労と戦いのお話もたくさんうかがえ、画像もたくさん見せていただくチャンスに恵まれました。(玉縄城に某女子高が建つ前のスライドも見せてくださった。)


八王子城もそうですが、各地で史跡保存に携わっている方々は皆さんそうだと思います。環境保存もそうだわね。動植物の種の保存も、みんなみんなこういう活動って、ちょっと行き過ぎてたりすると、ある種のイデオロギーと重なったりして、まわりは退いちゃう時もある。でも、やっぱり誰かがやらなければ残らない。

残らなくたっていいじゃん?
でも、それでは、大きな意味で、自分が生まれてきた意味、自分のアイデンティティもなくなっちゃうよ。無人島でたった一人で暮らして死んでいくのが本望って位の主義があるなら、それはそれでいいけど。

やっていくと、やっていくほどに壁が厚いことが分かり、だんだん戦闘的になっちゃうのよ。正義感が強い人間ほどそうだと思う。端で楽しいとこだけ摘んでいる私がこんなこと言えることではないですけどね。


閑話休題。楽しい方に話を戻そう、

今、「城」と称して、本来は「城」がなかったところに、時代背景の違う「天守閣」を建てている観光地が多いですよね。って、まだ楽しくないかも・・・coldsweats01

つまり、
個性的で魅力的な人物が多い「戦国時代の武将」と、規格化された「江戸時代の城」とのコラボレーション」ですな。


逆井城の近くにも、江戸時代には天守閣はなかったのに、天守閣を、しかも違う場所に建てている「某城」があります。←ややこしい。意味わかるけ?

逆井城も、コレと同じように、コレより層の高いコンクリートの天守閣を建てられてしまうところでした。ここで、西ヶ谷氏達が、「今度(こたび)ばかりは、そのようなことは許さぬっ!」と、抵抗したそうです。

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~近くのお寺から移築した、同時代の観音堂。天正16年の建立の棟札が残っていた。~

屋根の萱葺きの層が美しいこの観音堂も、現代のものに建てかえられるところだったのを修復し、こちらへ移築したそうです。


このお堂はもちろん、城も、コンクリートの模擬天守を建てるより数倍の経費がかかりますが、今の子供達に、後の世に、正しい歴史を伝えることが出来ないなら、1円だって無駄な経費だと、歴史好きの私の偏見では思ってしまいます。

だいいち、「城といえばドド~ンと天守閣やで!」では、今日び、もう観光客誘致にはならしまへんがね。


horse さて、逆井城の場所は・・

現在の茨城県古河です。なぜ、そんなところに(失礼、古河市の方)、京都の足利幕府の支社や、北条が力を入れた城が?と思いました。

ちょびっと調べたところ、ここは北への最前線基地。そして、坂東平野の主要な‘川’ 利根川・渡良瀬川・思川・逆川などなどが合流するところなのですね

当時の坂東平野というと、つい‘馬’が足がわり、と考えてしまいますが、実は‘舟’が足です。近くの‘関’宿城も、川(河)越城とかとかとかも、江戸時代も水運で繁栄したところのようです。

今の川とは水量も幅も全然違うでしょうし、江戸徳川幕府時代から河川改修工事は続いてましたしね。

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~関宿城博物館にある坂東平野の水運の絵図。現代の電車の路線図のように、川が平野を網羅している。~


今週の日曜日、11日は「さしま古城まつり」です。私はまだ行ったことがありません。逆井城は、古河市の石下駅からちょっと距離あります。バスがないので、車かタクシーで少々不便ですが、いい機会なので興味のある方は是非!です。

わらわも行く予定ですが、前日のパワーと相談です。戦国時代の終焉と共に廃城となった城跡は、現代では不便なのよ。近くで車の人はいいけど、遠くから行く人は、車にしても、最寄の駅からレンタカーにしてもタクシーにしても経費がかかるじゃない。

近くには、関宿城・古河城・古河氏館なぞもあるのねえ。

ほな。

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