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2009年10月11日 (日)

逆井城「古城まつり」! 2009

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~北条氏繁が大リフォームした逆井城~


一帯に約七千人が駐屯した北への最前線基地である逆井城は、山城ではありません。沼の真ん中に建つ城です。今でもまわりにその名残はたっぷりあります。

逆井城の素晴らしさは、お城好きには周知の如くなので、いまさら私なんかが言うまでもないが、でもチョットだけ。


逆井城は、当時の北条の築城の技を総結集した城だと聞きました。

この城は、‘大鋸 おが’という平板や角柱をふんだんに使った城で、これは北条が独占していた大変高級なものだったそうです。氏繁殿が、この大鋸を管理していた森杢工助さんに宛てた手紙が残っています。

でも、この10年後には石垣をたくさん使った城が流行ってしまうんですよね。

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~川越藩火縄銃鉄砲保存会 の実演。父上 綱成殿がゲットした河越城から来た援軍。~

火蓋 切れぇいっ!

戦いの火蓋を切る、の語源は、銃の‘火蓋’を開けることからきたのよ。

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火縄銃に火をつけたとこ。
いろいろ説明してくださった。


逆井城も、栗橋城も、関宿城も、ほとんど氏照どのが中心となって奪取している。強い・・・。

その関宿城跡

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逆井城からは利根川を渡るので、千葉県になります。写真の、碑の左側は、利根川の土手です。土塁じゃないですよ。

その他の遺構は私には見つけられませんでした。碑があるだけでした。戦国時代の終焉と共に廃城にはならず、江戸時代もあったのにね。

利根川の堤防工事(スーパー堤防という)でほとんど名残がなくなったそうです。ちなみに、関宿城は謙信公の関東出兵最後の地ですねえ。


わらわの知識が浅いので、ここの城主だった古河公方の重臣、梁田さんについて書くと、ウィキペディアみたいになってしまうので書きませんが、この地域のこの時代ではとても重要なポジションを占めていた人です。興味がある方は、この方の立ち回りを追っていかれると面白いです。江戸時代も続いた家です。

また、徳川家康という人は、北条や武田や、そして古河公方まで、滅びた家の家臣達を多く召抱え登用した人です。本題からそれるので又にしますが、古河公方は江戸時代、喜連川藩として続きました。


近くの河畔に建つ関宿城博物館では、詳しく治水工事の歴史を見ることができてけっこうおもしろいです。

展望台からは坂東平野がぐるり360度見渡せます。

この博物館、実は、江戸時代の天守閣造りとなっています。江戸城の富士見櫓を模したんですって。江戸時代の関宿城とはなんの関係もない・・・ごにょ。


bottle おまけ

利根川をまた渡り、茨城県へ戻ります。

古河も、お蕎麦屋さんの多いところで、アチコチに「手打ち」とか「石臼挽き」とかの看板があり、しかも今「新そば」の季節なので目移りしちゃう。
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私達は、「昇平」さんへはいりました。美味しかったです。お酒は、古河の地酒「御慶事」。これも美味しい。


restaurant 逆井城のなかにもお蕎麦屋さんがあります。
また違うタイプのお蕎麦でしたが、城跡の真ん中でいただくお蕎麦もグーでした。


horse 今日の結論

さしま古城まつりは、「古城でやる、猿島(さしま)町のお祭り」って感じでした。

おかげさまで、たくさんの人と屋台とテントで大盛況で、縄張りの全容がわからず、妄想に浸れなかった。城跡好きは、お祭り以外の時に行くことをおすすめします。

でも、地元住民が四百年後もこうして城跡を有効活用して城跡に親しんでいるのは羨ましいですねえ。子供達が、土塁をよじ登り上からマシンガン(おもちゃ)で狙い撃ちしとるのも、さすが北条軍団の基地だ!と思ったマリコ・ポーロでした。

ほな。


画像は全てマリコ・ポーロと同志が撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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