« 八王子城 その3 「城跡のレッドデータブック」 | トップページ | 武田遺臣のマドンナ 「松姫さま」 »

2009年11月22日 (日)

八王子城 その4 「北条氏照の葛藤」

小田原総攻撃。
北条氏照は、なぜ小田原本城にいて、自身の城「八王子城」にいなかったのか・・・。

005_2
~八王子城の石垣。当時のものを使って復元された。~


最近、北条氏照のことばかり考えている。足跡をたどったり、ささやかな手持ちの書状集や年表をを眺めたりして妄想していると、この方って、人生ほとんど最前線へ出張っていて、小田原や自分の城にいなかったんだなあ、と、つくづく感じます。


今まで私は八王子城と北条氏照をもっと知ってもらいたくて、「北条一族の中でも、常に一目おかれた存在で、最後までカッコイイ氏照どの」を書いてきました。でも、そろそろ、どうやらそれでは終わらないことにも目を向けなきゃいけないところにきました。

それがまた、よく分かっていない氏照像に新たな魅力を加えることにもなると思うのです。ほら、上杉謙信だって、その裏の面を知ると、幻滅したり嫌いになったりしないで余計に好きになるでしょう。


氏照を知れば知るほど強くなる疑問。
なぜ、最後、八王子城にいなかったのか・・


同じく北条軍団の部隊長であった弟くん達や重臣達は、ほぼそれぞれ自分の城で戦っています。彼らの城は支城ではあるけれど、各方面の拠点。そこが落ちれば小田原本城は終わりです。実際、そうなりましたしね。

氏照の八王子城などは、その最たる城です。いくら軍団長とはいえ、氏照だったら、八王子城で先頭に立って戦っていそうでしょう。しかし、氏照は最後、一年近くこの自分の城におらず小田原城にいるのです。


そこに私は、北条氏照の「葛藤」がうかがえるような気がするのだよ。

それは、北条内での自分の立ち位置の変化?それは、時代が変わり、西の勢力に対する自分の戦略がもうイケテナイんじゃないかという微かな不安?


小田原開城後、切腹を申し渡されたのは前当主・氏政と氏照の兄弟。そこから、やっぱり氏照は最後までトップにいたんだ、と思ってしまいます。様々な方達が書いてらっしゃるものにも、「一番の主戦派だったから・・」とあるものが多いですよね。

私も、北条氏照を、軍団長、軍団長と書いてきましたが、本当に最後まで実質上も軍団長だったのでしょうか。当主は、すでに兄上ではなく甥の時代です。そのブレーンも育ってきているでしょう。

029_2
~小田原歴史見聞館の小田原評定シーン。氏照どの(向かって左)、当主 氏直(中央)、
そのパパ氏政(右)~


それまで氏照どのは、関東以北のプチ(失礼)戦国武将との戦にあけくれていました。
その間に、時代は、日本中に覇権を拡げようとする、つまり「天下統一」という名目の大きな目標をかかげる信長や秀吉や家康など、近畿圏のスーパー武将を中心とした世界へめまぐるしく動いていました。

氏照どのがフト振り返ってみたら、西からの風は、戦や徴兵制度や領土経営の方法をすこぶる変えていた。もう、対処療法の同盟ごっごをしている時代ではなくなっている。でも、自分はまだ、伊達との同盟を申し入れている。


同じ北でも、若い世代の伊達政宗や直江兼続はすでにそういうことに気が付いていた。そして、北条内でも弟の氏規さんなどは、家康と今川人質時代からの仲良しなので、より情報通だったと思います。

小田原大決戦を向かえた時、それらが顕著になってしまい、ここにきて北条一族の一枚岩が崩れ始めた・・・

そういう構図をマリコ・ポーロは妄想します。


氏照どのが鈍感で頑固だったら、「今までのやり方でいいのだっ!」だったでしょうけど、そんな人じゃあないので、自分が少し遅れ気味になっていることも実は、ちょっと前からうすうす感ずいていた。

もちろん、同志のようだった兄弟達。敵に寝返るなんてことはするはずないですが、時代が急に変わったことで、それぞれの思う道も違ってきたのではないでしょうかねえ。


氏邦さんは自身の城(鉢形城)で決戦へ!
氏規さんも自身の城(韮山城)で、これは、降伏、とまでは言わないですが、折衝へ。

そして、われらが殿 氏照どのは・・・


ここで「葛藤」なのですよ。

わかんないですけどね。もっと調べて考えて、妄想を深めたい。


033
~八王子城下の宋閑寺。北条氏照の菩提寺。~


本当は、本当に以上は私の妄想で、北条氏照はただ単純に、「オレがいなきゃ本城はだめだ!兄上や直にまかせてはおられぬ!八王子はまかせたぞー」で、どど~んと戦って負けた、だけかも。

それか、シンプルに、もっと病が重くなっていたとかね。


氏照の謀反による小田原監禁説なんてのもあるらしいし、北条記なんかでは、切腹を言い渡された時、「そんなつもりじゃなかった。だったら、一戦交えて城を枕に討ち死にすればいかった・・」みたいな事を言ったと書いてありますが、それこそ、そんな事を言うわけないと思います。これは、江戸時代に書かれた軍記物ですからね。

小田原での氏照どのの言動が分かるものがもっと欲しいですね~。


八王子城には、いろいろ‘でる’そうなので、もし氏照どのがお出ましになったら、「そこが!聞きたい」

その時、冷静でいられたら・・・ですがね

ほな。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

|

« 八王子城 その3 「城跡のレッドデータブック」 | トップページ | 武田遺臣のマドンナ 「松姫さま」 »

0.八王子城と北条氏照」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 八王子城 その3 「城跡のレッドデータブック」 | トップページ | 武田遺臣のマドンナ 「松姫さま」 »