« 八王子城 その4 「北条氏照の葛藤」 | トップページ | 北条氏照 もうひとつの城 「滝山城」 »

2009年11月28日 (土)

武田遺臣のマドンナ 「松姫さま」

上杉景勝殿のご正室、武田家の菊姫の姉上に 松姫 という方がいらっしゃいます。

武田が敗れた後、甲斐と武蔵の間の峠を超えて八王子へ逃れてきたのを、われらが殿 北条氏照が保護したのです。


0471
~紅葉が美しい、松姫さまが剃髪した心源院の本堂裏手。心源院は八王子城の搦手側にある。~


絶世の美女だったそうですよ。

「え”~??信玄の娘なのに?」 と思わないでください。母上(信玄の側室)の油川夫人は、当時、美人で有名。信玄殿だって、残っている肖像画を見ると そこそこで しょう。等伯が描いた鷹とのツーショット画ではないですよ。弟が描いたと言われている、高野山持明寺に残る方です。(等伯のは、信玄ではなく畠山さんか三好さんじゃないかとの説が、最近有力。)


「八王子城とオオタカを守る会」のボランティアガイドは、常に とんがった山城探検隊や反対運動家なわけではありません。今回の特別コースでは、搦手側の麓にある心源院や秋葉神社などを案内してくださいました。

そこで、氏照どのが保護したということから以前よりちょっと興味があった松姫に、グッドタイミングで触れることができました。


松姫は、信長の息子 信忠さん の、子供の頃から決められていたフィアンセでした。しかし、その後、信長と信玄は敵対し、そうこうするうちに信玄殿は亡くなってしまいます。

松姫は、高遠城主である兄上のところへ身を寄せますが、武田の跡継ぎである義理の兄上(勝頼)も、高遠城主の兄上も、かつてのフィアンセ織田に攻め滅ぼされてしまうのです。


戦国時代ですからね。こういう運命の姫君達は他にもたくさんいます。松姫は嫁いでなかったですけど、何度もアチコチ嫁がされる姫もいましたし。自分の実家を滅ぼした相手の正室や側室になる姫もいました。

こういうのを、「政略結婚で、時代に翻弄された哀れな女性」とは私は考えないのです。そういう時代だもの。


ある程度の家の子女だったら、若君が戦場に行くのと一緒で、姫達は小さい頃から、そういうものだと思い育ってきているのではないかしら。自分の母上だってお祖母さまだってそうしてきている。実家のためになる重要な家に嫁がされることは、重要な戦に出陣することと同じくらい名誉なことだったのではないかな。

そりゃあ、辛くないわけはないでしょう。嫁いだ後も、あくまで実家大事の姫もいれば、嫁ぎ先の重鎮となってゆく姫もいます。実家が存続していようが滅びてようが関係なく、その後の生き方がいろいろあることからも、苦悩や決意も人それぞれ、いえ、姫それぞれ。


話は戻りまして・・・

嗚呼 哀れ松姫は(講談かね)、姪や重臣の娘達を連れて峠を越え武蔵へと逃れます。なんか絵が浮かぶわねえ、この光景。もっと昔の平安時代頃の物語みたいだ。

たどり着いたは、かつての敵地 北条領。われらが殿、氏照どのの八王子でありました。


なぜ、松姫は北条領へ向かったか。

時の北条家の当主、氏政さん(照どののアニキ)の妻は、松姫のお姉さん。最後の武田家の当主(一応)勝頼の妻は 、政さん・照どのの妹。そんな縁を頼ったのでしょうか。それに、氏照どのはそれまでに武田の遺臣達を随分抱え込んでいるので、知人もいたでしょう。


0461
~心源院にも土塁が残っています。~


氏照どのは、松姫一行が自分の領地に入ってきたのを事前に知っていたのかどうかは分かりませんが、姫達を保護し、師である卜山禅師のお寺、心源院へ預けます。

それはそうですよねえ。よるべを失った、名門の、うら若き薄幸の美女。だれが追い出したり、織田に差し出したり出来ますかいな。


私のまわりの歴友の男性陣は、「僕なんか、毎日野菜やお米運んじゃうもんね」とか、「オレなんか、棚吊ってあげたり、電球替えてあげちゃう」とか言っちょる。電気ないけどね。

たぶん、氏照どのはちょっと違うと思います。女性にあんまり興味なさそうだし。(これは調査中。いずれまた、氏照どのの信仰について高尾山のことなどと共にマリコ・ポーロの妄想と偏見を。)

もちろん、氏照どのも北条のおのこ。義に厚く、おとこ気もある。それから、織田や武田の遺臣への政治的考えもあったでしょうね。


伝わっている話では、松姫のかつてのフィアンセ 織田信忠 が松姫を引き取りたいと氏照どのに申し入れてきたとか。照どのは、それは良かったと(言ったかどうかわかんないけど)、松姫を約束の場所まで送り届けたとか。これが本当の話なら、取りようによっては、織田に松姫を引き渡したそうとしたというようにも思えます。

が、しかし、織田の迎えはやってきませなんだ。


ここからはホントの話。

そう・・
本能寺の変が起こってしまっていたのです。


嗚呼 哀れ松姫は、また八王子に戻ってきます。そして、運命とはかくまでか。その北条も、滅びます。


こういう人って、いますよねえ。行くとこ行くとこダメなの。運が悪いのか、それとも、自分自身がそういう厄を持っていってしまうのか。だけども、本人は、常にどうにかなるの。

松姫は、次に天下をとる家康にも大切にされます。家康は「名門」を大事にする人ですからね。前にも書きましたが、武田や北条や古河公方や、その遺臣達までをも引き受け、徳川政権の重要なポジションに登用しましたでしょ。


松姫の出家名は「信松尼」とおっしゃいます。八王子千人同心となる武田の遺臣達のマドンナとして、八王子「信松院」で後半生を送ることとなるのです。信松院には、信松尼のお墓や像があり、お参りできます。西八王子駅から徒歩。

苦労人の家康は知っていたのだね。人には精神的な拠りどころが必要だということを。特に敗戦により自分の根っこが無くなってしまった人達にとっては、自分のアイデンティティを証明するものがなくてはだめだと。それに、そういう拠りどころがあれば、新政権に抵抗したりとかよけいなことにエネルギーを向けないってこともね。


こういうことって、歴史が好きだと過去の例で知っていたりもしますが、家康は、かつて自分の故郷を奪われ長く今川の人質生活を送った経験があるから、身にしみて分かるのでしょうねえ。

千人同心達は、ご飯運んだり、棚を吊ってあげたり電球替えてあげたりしたのかな。


松姫こと信松尼はただ頼りない、ヨヨッとした美女じゃあないみたいです。養蚕をしたり、寺子屋で教育活動にたずさわったり、人々のために数々の貢献をしたそうです。

まあ、ここまでたくましく生きてきたのだから弱いわけないけし、なんせ、信玄の娘だぞ!同じ信玄の娘でも、上杉景勝に嫁いだ菊姫とはずいぶん違う気がします。


0421_2
~鶴翼の陣を成す松姫関連菓子。松姫最中、松姫饅頭、松姫桑の葉(八王子は桑の都 etc.etc.~


多摩地方には松姫に関するお話がたくさん残っています。道や峠の名前にもなっているし、八王子にはゆかりのお菓子もあります。現代でも人気者です。それなりのことを成していれば、ウワサでも言い伝えでも残るものなんでしょうね。


面白いですねえ。天下動乱期に大々々名家 上杉の正室として表舞台にいた人は、ほとんど記録に残っていないのに、水にもまるる柳の如く流浪の身だった人の方が、人々の記憶に残る。しかも、この二人は姉妹ときてるんです。

IF(もし)、二人の立場が反対だったらどうなっていたでしょうね。特に、上杉。ウエスギスキーの方達、松姫の方が欲しかったですか?お船とバトルだったかもよ。両雄並び立たず。


「松姫は、常に、どうにかなる」人、と上に書きましたが、それは、やはりそれなりの魅力と能力とガッツ!がある人だったからなんでしょうね。考え方も前向きで。その「美しさ」も、顔かたちだけではなく、知性とか母性とかからくる「美しさ」だったと、マリコ・ポーロは妄想します。


戦国時代の姫君達に
献杯・・・
wine

ほな。


cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

|

« 八王子城 その4 「北条氏照の葛藤」 | トップページ | 北条氏照 もうひとつの城 「滝山城」 »

0.八王子城と北条氏照」カテゴリの記事

3.小田原北条のヒロイン達」カテゴリの記事

4.その他の後北条ゆかりの地」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/545855/47585808

この記事へのトラックバック一覧です: 武田遺臣のマドンナ 「松姫さま」:

« 八王子城 その4 「北条氏照の葛藤」 | トップページ | 北条氏照 もうひとつの城 「滝山城」 »