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2009年12月26日 (土)

琵琶島など「②北条氏照の悩める存在 上杉謙信と景虎さん」

(加筆
最新の研究をよく知らない頃に書いております。そこのところお含みおきのうえご覧くださると助かりまする~。また、10年後の 2019.11 の乃至政彦による講演の内容です。よろしくば是非こちらを講演 「上杉三郎景虎 勝つための戦略」乃至政彦氏(2019.11)


「北条氏照の悩める存在 上杉謙信 と、景虎さん」の続きなり。

 

041
~謙信公の後ろ姿。やっぱ男は背中だね。~


「上杉謙信は、私利私欲がなく義を重んじた・・・」とは、私はけっして言いません。では、上杉謙信のどこがそんなに好きか。

存命中から伝説となるほど強いところ、は当然ですが、生活感がなくて、でも、なぜか感じる父性。ちょっと時代遅れな古い権威がお好みなところ。女より少年達と遊んでたところ(すいません・・)。天下を狙う武田信玄をちょこちょこ邪魔したところ、などなど、きりがありませんが、なにより、

理想とする自分や世の中と、現実の自分や世の中とのギャップに悩んだ(たぶん)ところです。


謙信公については、たっぷり語ってらっしゃるツワモノがたくさんいらっしゃいます。ここでわらわが同じことを書き連ねたり、あれやこれや写真をのせてもせん無いことなので、ほんのちょっとだけ。おまけの春日山城まわりの旅のことを。

 

045
~春日山城の直江殿の公邸へ向かう道~

城跡を訪ねるのは、草が枯れた冬がベスト。春夏は草ぼうぼうで全容が全然分からない。マムシや蛇や蜂もいるし。でも、大雪の時は遭難しちゃうので登城はあかんです。


琵琶島城

軍師 宇佐美(うさみ)殿の居城といわれています。柏崎にあります。

海音寺潮五郎の小説や大河ドラマで「天と地と」を見た世代にとっては、どうしても宇野重吉さんが浮かんでしまいます(緒方拳さんがやっと後を継げたかもでしたが・・黙祷)。娘は、謙信公が生涯ただ一人愛した薄幸の佳人 なみ殿 でしたね。「この戦から戻ったら一緒になろう・・」と約束したのに、戦に出ている間に なみ殿は亡くなってしまいました


宇佐美殿は、実在したのかどうか、仮に実在したとしても本当に謙信公の軍師だったのか。軍師でないにしても、本当に重臣だったかどうか、よく分かっていないそうです。謙信公のいとこで義兄の景勝殿の父上(ややこし)が亡くなった事件でも、宇佐美殿がかかわっているのなんのとのウワサもありますね。

その存在も不明。この城も本当にあの宇佐美殿のものかどうか分からない。でも、宇佐美殿のエピソードは、上杉をより一層魅力的にしています。


琵琶島城は県立高校の広~い敷地内に、碑だけが建っています。警備員さんに一声かけてアヒルの声を聞きながら(元農業高校ですって)行くと、薄暗い木立の中にその碑があります。

ここで興味深かったのは 水路 です。当時は直江津の御館(おたて)まで続いていたそうです。学校の構内に当時の水路の絵図面と説明板がありました。直江津へ戻る途中、車窓から何ヶ所か水路の名残のようなものが見えます。行きは、ただの川だと思ってた。

宇佐美殿は、御館や春日山への行き帰り、陸を馬で行ったのか?それとも水路を舟で通ったのか?舟に乗っている宇佐美殿。剣客商売の秋山小兵衛が浮かぶなあ。漕ぐのは、なみ殿。そういう舟じゃあないですかね。あ!それから、なみ殿は架空の人物ですよ。


北条城(きたじょーじょー)

023

ほうじょーじょー ではありませぬ。分かり易く、駅と城の画像を合体させてみました。謙信公についたり、信玄についたり、北条(ほうじょう)についたり忙しい人の城です。

宇佐美殿のオウチの帰りにちょっと寄ってみました。夏だったので、草ぼうぼう。下調べもまったくしておらず、登り口からして分からず撤退。ま、いいけど。きたじょーだから。


本与板城

直江パパ(兼続くんの義父)の本拠地 与板は、長岡から車で20分位。戦国時代から続く打ち刃物で有名な古い城下町です。


ここへ行くのが大変でした。

長岡駅の観光案内所で聞いても(ちょっと驚いた)、何台ものタクシーの運転手さんに聞いても知ってる人がおらず、最後のタクシーに、「とにかく与板へ向かってくりゃれ」と指令を与え、町へ入ってからは、右だ!左だ!と、地図を見ながらわらわが先導し、本与板城に着いたのは結局午後遅く。

驚くでしょ。でも、ついこの前までは、直江津まわりで「御館」を知っている人もまれだったんですよ。


てなわけで、本与板城は、登山道の途中から薄暗くなってしまったので山頂曲輪まで行くのは断念。もちろん、直江兼続くんの New 与板城へも行けずじまい。ま、いいけど。兼続だから。

「もっと勉強します・・・」と運転手さん。というか、タクシー代まけてちょ。


その夜知ったのですが、New 与板城の方はそこそこ有名らしいです。でも、現代は「与板城」と言っても分からないので、「城山 じょーざん 公園」と言わねばならぬそうです。今年からは16世紀語の「与板城」でも通じますな。

 

052
~与板からの帰路。振り返ると、越後の残照 ~


恥ずかしながら

城跡へ行くと、一句つくりたくなる。
夏の終わりの春日山城下。見渡す限りの、こしひ~かり ひ~かり ひ~かり

 

025
四百年の
思いを仰ぎ
城跡の稲

おそまつ。

次は、「悩める存在 上杉謙信 旅のおまけ」のオマケ。


拙書「妄想と偏見の城跡見聞録」2008年9月より抜粋。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。

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