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2009年12月12日 (土)

北条氏照と、八王子城の神や仏 その1

そもそも八王子城のある深沢山は、華厳菩薩と8人の王子八王子神社 の山でもあります。(華厳菩薩?8人の王子?その謎は、「その2」で。)

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~八王子城山中のとある藪の中にある半跏思惟像。ステキです。江戸時代、八王子神社を再興した鉄山無心に毎日ご飯を運んだお猿さんのお墓の脇で思惟してらっしゃいます。~


城跡を歩いていると、城内のあちこちに鳥居や祠があるのを見るでしょう。お城は、麓も含めて全城域、八百万の神々や仏や、その合体型?の権現達で守られています。戦に出る時は力をもらい、城に居るときはその張られた結界に守られるのです。

私は寺社仏閣にもとても興味があり、遥か昔600年位前の20代~30代の頃?は、京都・奈良・近江の見聞にはまっていました。特に好きなのは、奈良の飛鳥時代の仏様達と近江湖北の十一面観音様達ですが、今、パッションが氏照どのなので、これは追々。


話を戻し・・・
八王子城は、その上、もともとが修験道の山だったため山伏達が古くから往来した名残がそこここにあります(誰かが持ってっちゃった碑もあるのよ。ヒドイでしょ。返してあげてちょ)。

落城時、修験者達も城に籠り‘戦勝祈願’と‘調伏’の護摩を焚き、共に戦ったそうです。ご子孫の方達は現在もこのあたりにお住まいで、現在はたいがいお寺さんです。

氏照どのも、八王子城周りに漂う、こういう異能集団や人外のものがかもし出す気配やパワーがお気に召して、ここに城を築きたいと思ったのでしょうかね。


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~小宮曲輪の狛犬親子。分かりますか?チビは左下です・・。これは、戦国時代や北条氏Lには関係なく、近代のものです。~


昔、武将の御曹子達には、お坊さんが‘師’としてつきました。上杉謙信の天室光育、伊達政宗の虎哉宗乙などは、ドラマでもよく出てくると思います。

北条家は曹洞宗だったので、氏照どのの師、心源院の‘卜山舜悦’も禅宗のお坊さんです。


‘師’達は、仏の道だけではなく学問も教え、そして、人生の師でもあります。人によっては、将来、軍師となったりもします。御曹子たちは、家督を継いだあと、小さな頃からのこの‘師’に更に大きな寺を寄進したりして一生大事にします。

父上やその重臣達にとって、御曹子の‘師’選びは、とても慎重だったことでしょう。一国の運命を左右することにもなるのですからね。

‘師’達は、御曹子だからと遠慮などするタイプではなく、一癖も二癖もある個性的な方が選ばれることが多いようで、教育の仕方などのエピソードを読むと、けっこう面白いです。


そして武将達は、メインの信仰のほかに、裏?信仰ももっています。

そりゃそうだと思いませんか。領主としてリーダーとして慈悲の心も大事ですが、戦う人ですからね。人の命や土地や生活を奪い、罰を与え、非情にならなければならない。仏の道とは相反する行いの中で、自分を律していかなければならない。その矛盾に悩んだ代表として浮かぶのは、私は、上杉謙信公です。


謙信公と同じく、というか武将では多いですが、氏照どのも‘飯縄権現’をとても信仰していたそうです。

本地垂迹、飯縄権現は不動明王の化身。戦いの神様です。(皆さま是非お調べください。興味深いですよ。)


八王子城のある深沢山の隣は、飯縄権現を奉る真言宗の高尾山薬王院。氏照どのは氏康パパとともに、高尾山の大檀那でした。

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~こちらは小澤酒造の日本酒「高幡不動」。ラベルは不動明王です。高幡不動尊金剛寺も真言宗。千年以上前の開基です。関東の戦国武将の尊崇をあつめました。~


氏照どのは、かなりストイックに飯縄権現を信仰していた感があります。実子もいなかったとの説もあります(落城時に亡くなったご子息は、氏政アニキからいただいた養子です)。

上杉謙信みたいですが、けっこう多いのかもしれませんね、こういう方。現代でも、何か、成すべきこと、にはいり込んでいる方にはいらっしゃるかもしれません。


八王子城の中には、氏照どのの禅室「朝遊軒」があったそうですが、その場所は分かっていません。研究者の方達に、あやしい場所をいくつか教えていただきましたが、皆さん違います。

これは、発掘したり、「ここにあったよ~ん」という文書が出てこない限り、しかとはいえないですよね。掘り起こしたいですよねえ。あの裏とか、あの横とか・・・。

謙信の「毘沙門堂」や、厩戸皇子の「夢殿」みたいに、氏照どのも、戦の前や思い悩む時そこへ籠ろうと思ったのでしょうか。まあね、籠る間もなく落城しちゃいましたけどねえ。


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~心源院の土塁の上から浄福寺城を望む。狼煙(のろし)が上がっておるぞ。~


さて、搦手側にある、氏照どのの師 卜山禅師のお寺「心源院」は、当時、七堂伽藍を有する、このあたりでは有数のお寺だったそうです。

北条の御曹子の‘師’のお寺ですからね。大きな勢力だったでしょう。今でもたくさんの檀家をかかえる大きなお寺です。八王子城の搦手を守る土塁らしきものも残っています。


八王子のご城下は二度の戦で焼かれたため寺社仏閣は新しい建物が多のです。一度目は、もちろん秀吉の小田原総攻撃。八王子城下は、上杉勢が放った火で焼き尽くされました。これは戦の定法です。特に上杉が悪いわけではありません。

二度目は・・・第二次世界大戦です。空襲をうけました。


それを生き延びたものがあります。二度の戦を生き延びた四客門と、二度目の戦を生き延びた枝垂桜です。

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~写真、なぜか全てボケてて、あいすまぬ。四客門は室町時代のもの。~

垂桜は、空襲で蒸し焼きにされ、なんと中が空洞のまま今でも毎年花を咲かせるそうです。

植物ってすごい。何かが宿って生かしているのですよ。来春は拝みに行きたいです。


心源院から→秋葉神社→大六天、つまり搦手側を通って尾根続きに八王子城に行けます。先月の「八王子城とオオタカを守る会」の特別コースがこのルートだったのですが、私は用事があり、秋葉神社で撤退しました。

搦手からは一度登ったことがありますが、かなり急峻です。来月、1月の「八王子城とオオタカを守る会」の特別会は、浄福寺城&搦手を登るコースですよ。ちょっと難義そう。でも、重たい甲冑を着てるわけじゃないですからね。


次回は「その2」。八王子神社の由来となった「華厳菩薩」と「8人の王子」についてです。こちらは、大手口です。


PS ① 心源院には・・・
天然理心流、第四代のお墓がありました。わらわの三大ヒーローの一人、土方歳三関連の方がここでも現れたのでビックリ。

PS ② 高幡不動には・・・
「伝 北条氏照 所蔵 地蔵菩薩」がおわします。いつもかどうかは分かりませんが、宝物殿で拝めます。彩色が残る、十頭身くらいのスレンダーな非常に美しい地蔵菩薩です。地蔵菩薩というより、観音菩薩みたい。お口にも紅色が残っています。

以前、京都の法金剛院で拝した十一面観音に似ているなあと思いました。この十一面観音は、当時の白河法皇の愛人で鳥羽上皇の中宮で、西行法師あこがれの魅力的な佳人、待賢門院のお姿を写したとのこと。その観音に似ているのよね。

もし、本当に氏照どのが所持していたのなら、氏照どのは美しいものが好きだったのですねえ。そして、もしそうなら、どこにあったのでしょう。滝山城?小田原城?それとも、高幡不動は高幡城の跡。高幡城は北条が支配下においた城。城代は氏照どのの家臣です。そこに奉ってていたのかしら。


ほな。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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