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2010年5月 3日 (月)

「関白づくし」の石垣山一夜城

先日、小田原ガイドツアー in 石垣山に参加しました。小田原周辺はいつも勝手にウロチョロしていますが、ガイドさんに案内(あない)していただくのは初めて。

008 ~石垣山にゴロゴロしている石~

小田原のガイドさんは、文学・江戸時代・戦国時代・土塁…などなど専門分野がいろいろあるらしい。お城専門の方でも、小田原城は山城ではないため女性のガイドさんも多いのね。山城は、イザという時に救助もしなきゃならないから、山登り屋でないと女性ではなかなか大変です。でも、いらっしゃいますよ、八王子城にも女性のガイドさん。とてもソフトですが頼りがいのある方達です。


この日の集合場所は、入生田(いりゅうだ)駅。小田原から箱根登山鉄道で3つ目です。

登城は・・・、
ここから、太閤橋を渡り→関白沢に沿って関白道を通り→畑の平林道→石垣山一夜城へ。

下城は・・・
相模の海を見ながら、来たのと反対側の早川駅(JRで小田原の次の駅)に向います。
石垣山から→関白出世道を通り→堀秀政殿(先のブログご参照)のお墓のある海蔵寺へ。
この関白道の左脇の道を通っても下城できます。こちらは、道のところどころに、小田原攻めに参陣した武将達を紹介した案内板があります。

まったく太閤だの関白だのってなによっ!と、憤慨してはいかんのです。関白殿の城ですから仕方がないのです。ネーミングは後付けだそうですが。

登城に使った関白道も、途中途中に周辺の動植物などの案内板があり、けっこう楽しい。舗装された道がほとんどですが、一応山を登るのですから急です。途中、箱根ターンパイクと交差する時があり、「おおー、ここかぁー」とちょっと驚いたりもしますよ。


「石垣山城」という城名も後付けです。関白殿が城を築くまでは笠懸山と呼ばれていました。関白殿が総石垣の城を造ったため、その時から「石垣山」と呼ばれるようになったのです。

082

しょっちゅう書いておりますが、一夜で出来たなんてウソ。関西から人員を総動員し、約3ヶ月間、昼夜問わず突貫工事で造ったのです。小田原城までJRで、たった一駅。工事の音や、馬のいななきや、そこに集まる商人達で、大変な騒ぎだったでしょう。

だからね、関白殿が 「どやっ!」 っと木だか布だか取っ払った時、北条が、「しょえ~!ちっとも気が付かなかったじゃん(相模弁)」 なんてわけないんですよ。乱波(らっぱ)もたくさん放ってたでしょうし。


上の写真は、入生田駅からの関白道や林道のアチコチにごろごろ放置されている石垣用の石です。親方達が「この石、ゲット!」と、所有を示すそれぞれのマークを付けた石も多いです。見えますか?この石も バッテン×みたいな印が付いてますね。
石の下部もご覧くだされ。切った痕が残っています。


これらの石は、関白殿の石垣山城のための石ではないそうです。それは、矢穴があるから。

これも見えますかね?石を切る時、矢を立てて、それを上からガツンと叩いて切る方法があるそうですが(つまり、クサビを入れる穴みたいなの)、これらの石も矢穴があるので、その方法で切られています。

しかし、関白殿の石垣山城には、その手法でなされた石垣はないので、これらの石は、その後の別の城用、つまり江戸城や江戸時代の小田原城などの石垣用に使われたものだそうです。
江戸城の石は、ここの他には、ほとんど伊豆あたりから運ばれてきたものです。


石垣山の関白沢の脇には、石を引きずって下へおろした形跡が今でもたくさん残っています。四百年近くも風雨にさらされながらも残っているとは、どれだけの重量の石が、どれだけ多量に運ばれたか想像できます。この跡はガイドさんに教えてもらうまで気が付きませんでした。

史跡というものは、知らなければただの跡だけど、知ると深くて面白いですね。
007
見えますかねえ(こればっかり)。画像の真ん中あたりに横一文字に草がはえてない所が石を引きずった跡なんですが。分っかんないよねー。まあ、興味がある方は見に行ってくだされ。そうと知っていれば肉眼ならよく分かります。


石垣山一夜城山頂のことは前に書きましたので繰り返しませんが、ここに登って小田原城跡を見下ろすと、いつも、最後の時の氏政殿や氏直さんや、わが殿 氏照どのの気持ちを考えます。そして思います。「どうにかならなかったのかな~。嗚呼・・」と。


石垣山城は、江戸時代には小田原藩の管理下におかれました。今は小田原市です。同じ小田原市でも、北条五代の本拠地の小田原城より、ここには遥かに戦国時代の気配が残っていると感じるのは私だけでしょうか。

ほな。


コメント欄をもうけさせていただきました。
公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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