兄上(北条氏政)からのお届けもの
~氏邦さんの鉢形城から対岸を見たところ。背面をえぐるように流れる荒川。~
天正13年夏のある日、北条氏邦さんの元へ、相模の兄上・北条氏政殿から鮑(アワビ)が届けられました。 この鮑(アワビ)にアタッチされたお手紙が残っています。
そのお手紙には・・
「調理してるのを目の前で見てたから大丈夫だよ。でも、そっちに着いた後の鮮度は保障しないぞ」って、季節は夏ですよ、兄上さま。
まさか、‘生’じゃあないですよね。当時、小田原から鉢形までは、2日はかかります。クール便もないしね。「こしらえ候」って、塩漬け?それとも、甲斐の‘煮あわび’のようにお醤油で煮たのかしら?
氏政殿は、相模の海から離れて暮らす弟君達に、折に触れ、こうして滋養たっぷりの故郷の海の幸を送って差し上げていたのでしょうねえ。
氏政兄上が、わが殿・氏照どのの病を非常に心配しているお手紙もあります。古河公方の重臣で三増峠で討ち死にしちゃう、名医の豊前山城守に診察をお願いする手紙です。
「源三(氏照)の病状がスッゴク心配。怖い。一段致恐怖候」と、とても動揺している気持ちが書かれてあります。
もう一つ。氏政殿と氏邦さんのやり取り。先のブログの鉢形城のところでも書きましたが、鉢形城歴史館の展示で見つけたもので、私のお気に入りです。
引退した前当主の兄上(氏政)に、ついつい戦さの指示を仰いじゃう弟クン(氏邦)。
「もう、自分は引退したんだから、戦のことは新当主(氏直)に聞きなさい」と、たしなめる兄上。
このほかにも残っている北条四代目兄弟のやり取りは、骨肉あいはむ戦国時代の覇者一家なのに、打ち解けて気持ちを素直に書いてていい感じです。
と、ここまで書いてくると、わらわはいかにも古文書の原文を読んでいるようですが、前にも書いているとおり、古文書なんてとても読めしまへん。読み下し文がやっとです。それでも、意味不明〜なところは、現代語訳をカンニングします。
博物館などで、文書(もんじょ)のところはついスルーしちゃいがちかもしれませんが、横に付いている現代語訳でよいので是非読んでみてくだされ。その人が確かに生きていたという臨場感が、もしかしたら遺跡に立つより感じられるかもしれません。
ほな。
コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。
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