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2010年6月22日 (火)

今夜半、八王子城総攻撃始まる

ふたたび今より420年前にさかのぼる。

6月14日、北条氏照の弟・氏邦の守る鉢形城を開城させた前田利家・上杉景勝達の連合軍は、松山城(東松山)あたりで軍勢をまとめなおす。

22日夜半、降伏した大道寺らを先頭に立たせ(降りた者は先陣に立たされるのが当時の戦のならい)、かつて小田原攻めの時に武田信玄も渡った大神(昭島市)→ (八王子市)へ多摩川を渡河し始める。時刻は現在の午後10時頃ではないかと言われる。


見上げれば、月は満月よりすこし欠けていた。


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~夕刻の八王子城遠景。中央奥のかすんで見える台形の山。~


霧が出はじめた・・・


horse 連合軍は多摩川を渡った後、平町 → 加住の丘陵を越え → 暁町に至り、ここでニ方に分かれる。

horse 一方は搦め手へまわる
暁町から → 川口川に沿って甲の原を過ぎ → 川口川を渡河 → 調井の丘(川口氏館跡あたり) → 北淺川を渡河 → 搦め手側の案下(陣場海道方面)へ。

horse もう一方は本隊
暁町から → 元横山町へ下り → 南淺川を渡河 → 横川町 → 横山口(元八王子町) → 大手側へ。


出始めた霧は次第に濃くなり、月は隠れ視界は閉ざされる中、午前1時から2時頃、大手・搦め手とも攻撃は始まる。

大手門、横地堤、近藤曲輪・・・次々に突破されてゆく大手側。


外郭は別働隊にまわりこまれる。太鼓曲輪を守るのは、平山綱景。後に、八王子城を脱出した横地監物と共に、最後の抵抗をしたといわれる檜原城の城主・平山氏重の弟だ。奮戦するも討ち死に。


山下曲輪。
「近藤出羽守殿、お討ち死にーーっ」

山下曲輪が突破されれば、そこは御主殿だ。近藤出羽、どれだけ必死の思いだったか。悪鬼の如く戦ったことだろう。


御主殿では、城兵達の妻子が自身や子供や友と差し違えながら、暗黒の城山川に身を投じていく。

御主殿を落とした一隊は、山王台へと登り出す。


あしだ曲輪、梅林、搦め手の棚沢など、ふもとのそこかしこで火を放たれながらの激戦が繰り広げらる。敵味方双方に多大な犠牲者を出しながらも、数では到底かなわぬ城方の重要拠点は次々と突破されてゆく。


「金子家重殿、お討ち死にーーっ」

中腹の金子曲輪が突破された頃、夜は明けてきた。登る太陽。日の光の下に現れた惨状は、いかばかりであっただろう。


23日朝、戦いの場は中腹から山上へ移る


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~外郭の五段堀切も石垣が続く。慶安古図にはここに、「景勝是ヨリ・・」攻め込んだ旨書き込まれている。~


horse それぞれの軍の配置や侵攻経路は諸説入り乱れています。

総大将・前田利家と上杉景勝、真田昌幸らが大手側。搦め手側は、利長(利家の息子)や真田信行(昌幸の息子)らだ。

そうじゃない。搦め手側に火を放ったのは上杉勢だという修験者達の目撃証言から、上杉景勝は搦め手側にいたのではないか。

いや、それは直江兼続が率いる一隊で、景勝は御霊谷から大手側外郭の太鼓曲輪にまわっていたはずだ。


そもそも兼続は、ここにいたのか?7月3日、佐竹に宛てた手紙には「八王子城のこと相い済み、満足申し候」・・と書いてはいるが、自身が現場にいたかどうかは分からないじゃないか。

等々、上杉だけとっても様々です。


と、土地勘が無い方達にはどこがどこやら、まったく分かりませんよね。

私も八王子の在ではないので、八王子城攻めの実況中継?は現代の地図と、慶安古図(のコピー)と武蔵名所図会(のコピー)、椚先生や故小松敏盛さん(ご先祖は八王子城が落ちる時大奮戦した修験者、島の坊俊盛)や佐々木蔵之助さん方の描かれた絵図面などを広げて再確認しながら書いております。


参考にさせていただいたのは、「戦国の終わりを告げた城」の椚先生をはじめ数人の研究家の方達の著作、八王子市の資料、各種文書←もちろん現代語訳(えばるな!)。

それと、実際に自分で何回も歩いた経験を加え、そこに妄想をトッピングcoldsweats01して書きました。


江戸時代にはいって書かれ今に残る聞き書き類には、生き残りの村民や僧侶、修験者達の証言がいろいろ載っていますが、
「証言」の分析は難しいでしょうねえ。

「証言」は非常に貴重なものでもあり、しかしまた、あの惨劇状態の中で、しかも視界が悪い中、果たしてどれだけ見聞きできたのか。

例えば、家紋や旗指物は見えたのか。見えても、それがどの家のものか村民たちは皆が知っていたのか。知っていても、今のように顔も知れ渡っていない当時、そこに大将本人がいたのかどうか分かったのか・・・。


明日、落ちます。


catコメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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