« 今夜半、八王子城総攻撃始まる | トップページ | 北条氏規、今日(24日) 龍城を明け渡す »

2010年6月23日 (水)

今日(23日)八王子城、落ちる

前回続き…

空は明るくなった。戦いは続いている。


主戦の場は山上の曲輪群へ移る。寄せ手は山頂へ向かってあらゆる方角から次々と這い上がってくる。


005_21
~松木曲輪(二の丸)の腰曲輪。落雷をうけた木。上部が白骨のように枯れている。八王子城の運命を象徴する、ご神木のようだ。~


八王子城は中腹から急に傾斜がきつくなる。山頂へ至る道は幾筋もあるが、それらもわざと「けものみち」と言っていいほどに作られた道幅で、道の片側は絶壁だ。

各曲輪には多数の小曲輪(腰曲輪)や小さな段状曲輪が付属し、攻める側はどこに立っても四方八方から狙い撃ちされるような仕組みになっている。ここからの攻撃には寄せ手側に一層の犠牲者がでる。

前田利家が国元の重臣へ宛てた手紙には、「八王子城は 名城 で、当方も討死や手負いがかなりでてしまった」とある。


また、榊原康政が清正にあてた手紙には、「八王子城は北条氏照が長年かけて築城してきたもので、鳥や獣が飛び回るようで、立つのも困難な城・・・」とあるが、うまい描写で、城側はその通りの険しい山の小さな山上曲輪群を、ここかと思えばまたあちら、と飛び回りながら奮戦していたのであろう。


山上の曲輪群は狭く小さい。攻め手は、大将達といえど最前線で戦わなければならない。

夜は開け日は高くなったとはいえ、今度は霧のかわりに火を放たれた山麓方面から立ち上ってくる煙が視界をさえぎる。


「怯むなー、進むめぃー。怯むヤツは切るぞっ!」
抜刀し、後ろから鼓舞する将達。


真夏の暑さの中で甲冑をまとっとた体は、熱風と煤と泥、血と涙と汗で人のものではなくなっていただろう。

頭上から降ってくるのは石や矢や鉄砲玉だけではない。それらの犠牲となった味方も落ちてくる。それでも上へ上へと登っていかなければならない攻撃軍。戦場とは常にそういうものだとは思うが、山城の殺戮劇は悲惨というほかない。


小宮曲輪(三の丸)で獅子奮迅の働きをするのは、北条の評定衆筆頭・狩野一庵。

討ち死に。


満身創痍の中山勘解由は高丸から中の曲輪へ移動。

前田利家や上杉景勝らの説得を振り切り、「もはやこれまで」と妻と自刃。


山頂曲輪(本丸)を守るは、かつて大石家へ養子にはいる氏照に小田原から付き添ってきた横地監物。40年来の深い絆で結ばれた、氏照股肱の忠臣だ。

寄せ手が刻々と近づいてきた時、松木曲輪(二の丸)で戦っていた大石が本丸に駆け登ってきて横地に叫ぶ。

「落ち延びられよっ、小田原へ!この八王子城の最後を殿に伝えてくだされい」


当然、横地は「否」 と答えたはずだ。

それでも大石達は、「早く行かれよっ、ここは我らが必ず死守してお後を追いまするっ」と、尚も言ったことと思う。


結局、横地は八王子城を後にした。逃れる途中、本丸を振り仰いだ頃には、大石達はすでに後を追うことは出来なくなっていたであろう。

(横地は氏照の息子~氏政からの養子~を連れていたという話もある。横地のその後は、いずれ、また。)


日が真上から西に移り始めた頃、戦国史に名を残す凄まじい戦いは終わった。

首実験は、中の曲輪で行われた。しかし、勝った方には、まだやらねばならぬことが残っている。


明日(24日)、弟・氏規の「龍城」が落ちる。


コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

|

« 今夜半、八王子城総攻撃始まる | トップページ | 北条氏規、今日(24日) 龍城を明け渡す »

4.その他の後北条ゆかりの地」カテゴリの記事

0.八王子城と北条氏照」カテゴリの記事

10.北条一族、最後の3ヶ月と高野山」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 今夜半、八王子城総攻撃始まる | トップページ | 北条氏規、今日(24日) 龍城を明け渡す »