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2010年6月24日 (木)

北条氏規、今日(24日) 龍城を明け渡す

前日(23日)に八王子城が落ち、今日(24日)北条氏照の弟・氏規(うじのり)が、韮山城を開城します。


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~韮山駅から「龍城」にむかう路上にはめ込まれた、新九郎さんタイル。北条ファンは踏んではなりませぬ。~


14日に落ちた、もう一人の弟・鉢形城の氏邦(うじくに)さんも自身の城にいましたね。氏邦は戦うためでしょうが、氏規は家康殿の幼い頃からの人質友達。よく言われているように、やはり家康殿を通しての、秀吉との折衝のためが大きかったのでしょうか。4万の大軍に囲まれても、3ヶ月も籠城していたのですからね。

「鉢形城も八王子城も落ちた。もう無理だ。自分も城を出て、早く本城に降伏の決断をさせなければ、わが北条の生きる道はない。」と、氏規は思ったのでしょう。思ったと思いたいです。


曽祖父、伊勢新九郎こと北条早雲公が愛した後北条発祥の地「韮山」の、龍城 と呼ばれた韮山城開城。

その時、北条氏規、45歳。


むか~し、遠藤周作さんの『埋もれた古城』という、中世の城跡見聞録を読みました。遠藤周作さんは山城めぐりが趣味だったそうで、戦国小説もけっこう書いてらっしゃいますよね。今でも時々読み返しますが、ここにある、韮山城や韮山の話が私は好きです。八王子城にも登ったと書かれていました。

『埋もれた古城』は、椚先生の『戦国の終わりを告げた城』と共に、マリコ・ポーロのバイブルであります。どちらも素晴らしいタイトルですねえ。そして、どちらも、今は中古でやっと手に入るかどうかだと思いますので、戦国時代や歴史好きの方は、ぜひとも図書館へ。


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~あらためて発行日を見たら、昭和46年!ですって。~


小田原本城が降伏した後、氏規さんは、氏政殿と氏照どの、二人の兄上切腹の介錯をすることとなります。介錯は、一番信頼のおける人にさせることが多いです。失敗したら大変ですからね。ほら、新選組の山南さんの介錯も沖田総司がしましたよね(信頼してたかどうかは分からんが)。

伝わっている話では、家康殿は、「アニキ達の介錯をなした後、アイツは絶対後を追うだろう。させるな。」と、立ち会う家臣達に気をつけさせていたとかとか。


全てが終わった7月21日、氏規さんは、弟の氏忠・氏光、甥の当主・氏直やその弟・氏房達と高野山へ送られます。鉢形城の兄上・氏邦さんは、前田利家におあずけとなりました。

二度と会うことかないませんでしたねえweep


江戸徳川時代、後北条は河内狭山藩一万石として続きます。それは、なんと、この北条氏規の家系なのです。

ほな。


「北条氏規の大阪の菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-361c.html
「江戸時代の北条家、狭山陣屋跡」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5c4c.html

「北条氏政が謙信や信長にプレゼントした、韮山の江川酒」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-493e.html
「早雲の姉と北条氏規の駿府を歩く」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-5a23.html

「後北条の始まりを告げた城 「韮山城」 シンポジウム」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-6735.html
「北条一族の高野山 3~小田原坊」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/3-6cea.html


catコメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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