7月17日は二代・北条氏綱公ご命日
旧暦7月17日は、氏照どのの祖父、北条氏綱公の命日にてござります(19日との説あり)。
~扇谷上杉 vs 氏綱公、「高縄原の戦い」の場。品川駅前の品川プリンスから高輪プリンスホテルあたり。~
氏綱公は、ハデな立ち回りをした父と息子、つまり、北条早雲公と三代目の氏康殿との間にあって存在は地味ですが、この二代目の氏綱公が大した方だったので後北条家は5代続いたと言っても過言ではないのです。
後北条統治の基礎を固め、マニュアルを作り、北条一族がこの先進むべき方向を示した人、とでもいうのでしょうかねえ。
「北条」と名乗ったのも氏綱公からです。なぜ、「北条」と名乗ったのか。坂東武士の象徴「北条」の名にあやかったのでは?とか、後北条の「お家乗っ取り養子送り込み作戦」の手始めとして、前北条家に入婿したのでは?とか色々と説があって分からないそうですね。
それから、たびたびこのブログでも触れている「ご遺訓」の中で、「義」の在り方を解いた方でもあります。
氏綱公のことは簡単にすませたらもったいないゆえ、今日はご命日にちなみ、イントロとして我が居住地近くの氏綱公ゆかりの場所をご紹介。サビは追々。
~渋谷氏の、渋谷城跡といわれている。渋谷さんは扇谷上杉の配下で、このあたりは、上記の高縄原合戦の時に氏綱公の分隊が焼き払っちゃった。これがキッカケで上杉は江戸城に撤退。平安時代から続く名族・渋谷氏も滅びた、と伝わっている。裏(失礼)渋谷のど真ん中の雑多なエリアにあり、今は金王八幡神社。~
北条氏綱。享年55才。
ほな。コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。
画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。
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