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2010年7月 7日 (水)

江戸時代の北条家、東京の菩提寺

マリコ・ポーロ


004-3
~臨済宗大徳寺派「瑞鳳山祥雲寺」~


徳川の時代、小田原北条家は河内狭山藩一万石として続きます。北条氏規の家系です。

広尾の商店街のど真ん中。りっぱな山門をくぐると、そこは京都の大徳寺の寺域のような空間が広がっています。 江戸時代は武家屋敷街に囲まれていた閑静なエリアには、祥雲寺の元塔頭の由緒ある寺々が軒を連ねています。


この一角の一番大きなお寺が、祥雲寺(しょううんじ)です。

河内狭山藩初代藩主・北条氏盛は、先のブログで書いた、三崎城主で、韮山城代で、我らが氏照の弟で、徳川家康の人質仲間の北条氏規さんの、ご子息(長い!)です。


この、氏規という人も、北条最後のキーパーソンですよね。結局、勝ち残った人はこの方ですねえ。アガサクリスティの推理小説でいうなら、「そして誰もいなくなった」.。が、残ったのはこの人だった・・・みたいなね。

おー、また話がズレそう。


話を戻し、
祥雲寺は20年前まで河内狭山藩の菩提寺でした。

実は、現在、河内狭山北条家のお墓は青山墓地にあります。ご先代のご当主が宗旨替えされたため仏教寺院から出られたのです(青山墓地は都立霊園)。

まあ人様のお宅のことなのでそれはよいしと、広尾の中央図書館に行ったついでに、ちょっと寄ってみたところ、なんと、当時の墓石(宝きょう印塔)が2基だけ残してあったのです!


青山墓地に移られる時それまでの墓石は処分されたそうですが、祥雲寺の先代のご住職が2基だけ残していてくださったそうです。それぞれの家にそれぞれの事情ありですから別にいいんですけど、逆に、そんなのあるとは思ってもいなかったので驚きました。

お庭のアッチとコッチになんの標示もなくあるので、ただ行ってたら分からないかもしれません。

私は、お墓の写真はあまり撮らないのですが、こちらは中にもう入ってらっしゃらないから撮りました。

 

Photo_20210204114701
↑ 狭山北条家のどなたか(不明)だそう。

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~氏信(氏規さんのお孫さん)の宝篋印塔~


高さはどちらも2mちょっと。素晴らしいですねえ。墓石も遺跡です。今、土中に仏様はいらっしゃらなくても、何百年もいらしたのです。魂は少しは残っているかもしれません。

残してくださった先代のご住職に感謝。
合掌・・・。


黒田長政

祥雲寺は、江戸時代の数々の大名家の菩提寺でもあります。


すごいんですよ、このお寺。それほど広くない檀家さん用の墓地に、江戸時代の各大名家の巨大な墓石(五輪塔や宝きょう印塔)が林立しているんです。特に黒田家あたりはポンペイの遺跡みたい。ポンペイ行ったことないけど・・

そうなのです。メインは黒田家一門です。あの大人気の戦国武将・黒田官兵衛のお家です。祥雲寺は、官兵衛の息子・長政殿の嫡男2代忠之さん開基のお寺なのです。

現在も黒田家の菩提寺で、長政殿のお墓は覆屋の中に別格のようにそびえ立っています。五輪塔ではなく墓標型でした。

 

008
~覆屋の中、暗くて見えますか?~


あれっ?
でも、黒田長政ってキリシタンじゃなかったっけ?キリシタンなのはパパ官兵衛だけ?

曲直瀬玄朔とその一門のりっぱな墓石群もありました。豊臣・徳川のご典医で、「医学天正記」を書き残した人ですねえ。読んでませんがねえ。


ちなみに、我が家のマルゴー姫 が捨てられていたのも、このあたりでござる。姫は捨て猫だったのだ。


他人のお墓参りしてる暇があったら、自分ちのお墓参りしろってね。私もね、なに人様の家の500年にもわたる個人情報を探ってんだろうと思いますよ。ほんとに。


ほにゃ。
マリコ・ポーロ

コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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