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2010年8月15日 (日)

今日は北条早雲こと伊勢宗瑞の命日

一週間前の8月8日は、北条降伏後、加賀前田家へお預けとなった北条氏邦殿が能登の七尾で亡くなった日でした。

そして、奇しくも終戦記念日の今日(旧暦8月15日)は、北条早雲公こと伊勢新九郎さんのご命日です。「夏」はいろんな意味で、まことに「後北条シーズン」でありまする。

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~箱根早雲寺 2010.8.14~


箱根湯本の早雲寺は、新九郎さんのご子息の二代・氏綱公が父上の菩提寺とし、以後北条家の菩提寺ともなりました。

このお寺は、小田原攻めの時秀吉殿の本陣となりました。無礼なヤツですねえ。戦が終わった後は焼き払われてしまいました。今の早雲寺は、江戸時代に北条家の子孫方により再建されたもので、規模は戦国時代に比べれば、はるかにはるかに小さくなっています。


当時は、今の箱根湯本町のほぼ全域を占め、たくさんの伽藍や搭頭(子院みたいなの)が並び立っていたそうです。

私達が「いや~極楽じゃのう」と入っているあの温泉もその温泉も、「美味しいね~」と食べているお蕎麦屋さんの初花や暁庵も、「お土産はどれにしようかな〜」と試食しまくっている村上梅干店も早雲寺のどこかだったわけで、もしかしたら足の下に氏綱公や氏康殿のご遺骨が埋まっているかもしれないのです。おちおちリゾートしてはいられませぬ。妄想せねば!


北条早雲公は、生前「北条」と名乗ったことはなく、小田原城にも住んでいませんでした。生まれも、かつては「伊勢の素浪人」と言われ、私なんか「美濃の油売り(マムシ殿)」とごちゃまぜになっていましたが、今では、名門「伊勢氏」の一族で幕府の高級官僚の出とされています。

生まれた年代も二説あります。したがって享年は88才位と64才位の二種。前者説をとると「大器晩成」。後者説をとると「まあ、普通じゃん」ということになります。ご正室は小笠原家の姫。ヴィジュアルは…これも、分かりません。私達がよく見る早雲寺の僧体の画像が晩年または没後すぐに描かれたものと伝わっていますが、高野山高室院にある武者絵は後に描かれたものなのです。


また、伊勢新九郎さんは、晩年「早雲庵宗瑞」と名乗っとられました。ということは、どこかに「早雲庵」という隠居所があったということで、それは、新九郎さんが往生した伊豆韮山の、香山寺(先のブログ韮山・修善寺ご参照願い)の前身だったのではないかという話を聞いたことがあります。


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~箱根登山鉄道の座席は、寄木細工柄。ゴールデンウィークや夏休みの混み合う時は、マイカーやバスを使うと身動きがとれなくなるゆえ、ステキな座席の電車がオススメ。~


早雲寺には、北条五代当主のお墓(供養搭)が並んで建っています。誰でもお参りできます。当時は、こういうふうに一区画にまとまって建っていたわけではありません。それぞれに、「春松院(氏綱)」とか「大聖院(氏康)」とか独立した搭頭(子院)をかまえ、そこに埋葬されていました。

秀吉殿に全焼きされたあと、江戸時代に再建された時から今のようになったそうです。塔頭の中には、南陽院(新九郎さんのご正室)や養珠院(氏綱公の先のご正室)や黄梅院(氏政さんのご正室、信玄の娘)など、女人達の搭頭もあったらしきことが文書に書かれています。


とはいえ、初代(早雲公)・二代(氏綱公)・三代(氏康殿)のご遺骨はあったでしょうが、その後の四代(氏政殿)や最後(氏直さん)のは分かりませんよねえ。しかも、初代~三代までだって、御サル殿下がこのあたり一帯を焼き払っちゃったのです。どうなったことか。まあ、あれだけ情に厚く家族も大事にした御サル殿ですから、お墓に対して狼藉はしなかったと思いたい。そのまま、そっと?焼き払った、と。

氏直さんのお墓は、広島にもあるそうですね。高野山に送られる時、ひそかに逃げて安芸(広島)に行ってそこで亡くなったって?!あれやこれや、どこまで何がホントが分かりまへんな。


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~富士屋ホテルの寄木細工をイメージしたケーキは、三つ鱗紋のお皿に盛られてやってきた(見えないですかね?お皿のフチに紋があるの)。素敵!~


昨日、早雲公のご命日に先がけて、早雲寺にお墓参りに行きました。が、しかし!結界にはばまれ、門前にて身動きとれず!

なんと、地バチ(蜂)の大群が車懸かりの陣をしいていたのです。向かうこちらは、たったの2騎。静かに進攻すれば大丈夫かな~と、少し足を踏み入れれば、次から次へとやってくるため、あえなく撤退。仕方なく門前にて、「これからも、よろしく妄想させてくださりませ。」と、手を合わせてまいりました。

お盆なので檀家さん達もやってきますが、檀家さんへは威嚇攻撃しないの。檀家はお金を落とすからですかね?よく訓練された蜂兵さん達でした。門柱に地バチ要注意の貼紙がありましたが、8月下旬を過ぎればおさまるそうですよ。


前にも書きましたが、私も赤の他人(歴史上の人物)のお墓参りばかりしてないで、血がつながった祖父母4家のお墓参りをしなければ。普段は直系の1件しかしてないです。でもね、亡き祖父が言うとりました。「あんまりお寺さんに行くもんじゃないよ。」と。これは、「よばれちゃうから~」ではなくて、どうやら「お金がかかるから」ってなことらしいでがんすがね(祖父は庄内の人でがんす)。


北条幻庵の箱根
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-87c7.html

北条幻庵の箱根つづき
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-21af.html

ほな。


コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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