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2010年9月17日 (金)

なにはのことも夢のまた夢 「大阪城」

閉門時間に「ほたるの光」が流れるかどうかの東西境目調査報告が長くなってしまったので、やっと sayuri さんとの「いい旅・妄想気分 in 大阪城」。

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~大阪夏の陣図にある北条三つ鱗。sayuri さんが目ざとく見つけてくれました。下方端っこに見える?内府殿の本陣に近いぞ。黒田長政殿、ちゃんと描いといてくれておおきにな。この時の北条の御大将は誰かしら?狭山の氏信クンはまだ14-5才位ですけど。 (写真はお土産用のレプリカです)


埋もれてはった石垣

sayuri さんに教えてもらって知ったのだが、内府殿は、「殿下の大阪城」の石垣をそのままペッタンペタンに埋めちゃって、その上に盛り土をして、「徳川の大阪城」を建てたんですって。

ほお~、さすが内府殿。やることエグイと思いながら城内を歩いていたら、ありましたありました、その説明板。


外郭の石垣は市内の所々で地表に残っているそうですが、その天守閣の埋もれた石垣は、発掘されて、また地下に保存されているそう。

見てみたいわねえ~、400年前の累々と積み上げられた石垣。しかも、400年間(今も)地下に埋もれていたのですよ。城跡妄想族としては、妄想するだけで背筋がゾワゾワします。

(2011.7 追記、年に一回位、覗かせてくれるんですって!この埋もれた石垣。いいなぁ、そういうのって。大阪城親切だわ。)


しかし、内府殿の徳川300年が崩壊した100年ののち、そこに再現されたのは、「タヌキ内府殿の大阪城」ではなくて、「おサル殿下の大阪城」だったのだ。石垣は徳川時代のもので、ごめんなさいましだが、300年間建ってたお城の立場をどないしてくれはるねん。幕末、大阪城は江戸城より活躍してますぞ。

やはり、地元の支持率が大きくものをいう。地元票は大事だということでんな。


余談ですが、わが本城・小田原城は逆で、300年の徳川時代の方の城を再現中。しかし、城の外郭や観光キャッチコピーやキャンペーンボーイズ(北条五代)は、戦国時代の後北条家なり。


史跡は一時代だけやあらへん

天守閣で、
「北条の者、どやっ」

と、殿下に扇子でうながされた気がして‘なにわ’の街を見下ろすと眼下に広い緑地帯。

「あれは何でござりまするか?」
と殿下に問えば、

「難波宮でゃあも、マリコ・ポーロ殿。縄文遺跡もあるでよ。」

おおっ!そうじゃん、じゃん! ここは飛鳥時代、難波宮(なにわのみや)でもあったのだ!
難波宮って、孝徳天皇と聖武天皇と二度、都となっていたわよね。


二度の難波宮、石山本願寺、豊臣の城、徳川の城・・・「復元」って、どの時代を復元すればええんやろ?←史跡は一番上が優先。

難波宮跡にも立って妄想したい。しかし、この酷暑では、妄想族ならぬ朦朧(も~ろ~)族。ニュースに「歴オバと歴女(どっちがどっち)、大阪城で熱中症で倒れる」なんてでたら恥ずかしいのでやめといた。

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~館内(天守閣)で見られるCGの秀吉物語。石垣山一夜城から小田原を見下ろす、殿下と白装束の伊達政宗公。~


大阪のヒーローは真田やったん?

「ほたるの光」と共に、今回の大阪城で驚いたことがもうひとつある。

考えてみればそうなのかもしれないが、なんせ戦国時代にあまり詳しくないし(ほな、いつなら詳しいねんな?とはよう聞かんでくれや、広く浅くゆえ)、特に西の戦国関連史跡はアウェイであるので思いも及ばなかった。


城内で、妙に「真田」とか「六連銭」とかが目につくので、sayuri さんに

「なんでだろうね~?」
と言ったところ、
「大阪は真田ですやん」。
「…っ、いつから?」
「昔っから」

しょえ~っ
せやったんか~

目からミツウロコ。



ガッテン!トリビア、県民ショー。

後醍醐天皇の楠木正成みたいなもんなんでしょうねえ。


こういうのって面白いのう。例えば歴史上の人物で、地元の人と他所者とでは、その土地を代表する人物として思い浮かべる人が違ったり、その人物への思い入れとか評価が違うってことあるわよねえ。

小田原は、北条五代より二宮尊徳だし、米沢は上杉謙信より上杉鷹山だし、萩は桂さんや高杉さんより吉田松蔭先生でしょう。他所では松蔭先生知らない人多いのよ。井伊直弼や吉良上野介や石田三成は、全国区(特に東国)では人気ないけど地元では昔から人気あるしねえ。石田三成は最近違うらしいけど。


淀の人、お茶々さま

「淀君の侍女にはなりたくない」
「エキセントリックな感じだし、朝と夕で言うことが違いそうだしねえ」
「それこそ、自分にいいこと言う人達だけを贔屓にして周りに置いていた感じがあるから、みんな、情勢の客観的判断が出来なくなってっちゃったんでしょうかね」。

などと会ったこともない人のことをあーだこーだと話しながら館内(天守閣)を見学。

幸村が、一人離れて最後の時を向かえたくなったのも分かる気がする。大野殿とかもいたけれど、戦を知らない女の意見だけで事が決まっていくような、そんな雰囲気だったのかしらねえ。


「そういえば、最近は、淀 って言わないみたいね。」
sayuri さんとわらわの会話は続く。

きみ’とは、遊女(あそびめ)の呼び方である。‘江口の君’とか言うでしょう。豊臣家を落ちぶれされた悪い女みたいな意味で‘淀’と言われたらしい。今は、‘淀殿’とか単に‘淀’と呼ばれるのね。当時は「淀」とも呼ばれなかったらしいし。


淀という人の人生も壮絶だ。生涯で3度の落城を経験してる。その3度目が、自らの命を終える落城だ。普通は一度目で死んじゃうから、命の運が強いのか弱いのか分からないが、私には、脂粉の香りが強そうな濃厚なイメージの方ではある。


普通は側室の子も正室が育てるのだから、秀頼も、ねねさん(今、おねっていうの?)の元で養育すればよかったのに。それでも結果は同じかな。ねねさんが家康側になった時に、秀頼クン、ママに呼ばれて大阪城に行っちゃう可能性は強い。(秀頼が誰の子か説は触れないでおこう。)


淀殿の気持ちも分からないではない。

それまで、自分の下だと思っていた者、しかも戦国時代、それも魔王の家。上下関係は天と地ほども違うだろう。その超目下の扱いをしていた秀吉を「殿」と仰がねばならない。仕事場(戦場)に一緒に出て、その働きを見ていた信長達の方がまだ認め合うものがある。

その上、正室ならまだしも側室。しかし、今は、その秀吉しか頼る人はいない。

生来、矜持が強い人は、そのプライドをどこで保てばいいのだろう。


それも、秀吉がフェミニストだからもったのかもしれない。淀殿にもっと順応性があったり、頭が良ければ違う結末があったかもしれない。


な~んて、分かんないけど。会ったことないから。会いたくないけど。


来年の大河で、淀殿はメインだわね。最近の大河は、主役とその仲間以外は全て悪者パターン。しかも、因業で姑息な悪役。みんな、お決まり赤穂浪士の吉良殿みたい。

昨年の、家康や伊達政宗公。今年の徳川慶喜殿や松平容保さんの扱われ方は、いくらドラマでも堪えられない。ろくに見ていないけれど、品性なさ過ぎだと思う。だいたい、会津中将さんは、あんな物の言い方はなさらないでしょう。


敵役=悪役ではないと思うの。カッコイイ敵役は描けないのかしらね。同じ局でも、「大仏開眼」の阿倍仲麻呂はダースベーダーみたいで良かったのに。

また話がそれてしまったが、淀殿は、主役の姉上でもあるけど敵方でもある。どっちサイドの淀殿に描かれるのでしょう。たぶん私は見ないけど・・・。


オマケの奈良のお酒

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「無上盃」の純米吟醸。今市町の豊澤酒造。豊祝。sayuri さんにいただいた。かたじけのうござりまする。

奈良のお酒は、「春鹿」と「男魂」しか知らなかった。僧房酒発祥の地であるが、ちょっと垢抜けていない(失礼)というのが奈良のお酒への偏見で、それがまた良かったのだが、それは、本当にまったくの偏見だったみたい。

「無上」の酒とはまた、酒蔵の大将スゴイ名前をつけたなと思ったら、この上無く美味しかった。口当たりがよく、余韻があるのに、残らない。

ラベルに「せんと君」がいた。見えますかね?「盃」の文字の右隣。せんと君、寝転がっているのが奈良らしい。奈良の寝倒れ、ね。司馬遼太郎さんが「街道をゆく」で、カッタルイだかダルイだかは奈良の風土病らしくて、家へ人が訪ねてくると寝転がって話をする、と書いてらしたが、せんと君もか。


妄想対談に続く企画もの

行く夏を
奈良の人と
惜しみける

またまた芭蕉のパクリじゃが、sayuri さんとは大阪城の茶店で、おいなりさんをオツマミにビールを飲みながら、昔の大河ドラマや昔のNHK人形劇や歴史小説などなど、O型同士の気さくなオシャベリで盛り上がった。盛り上がり過ぎ、話し足りなくて帰ってからもメールで続ける始末。

長年の付き合いの親友でも、家族でも、趣味の話をどっぷりできる人はなかなかいないものだ。茶店の方達、「オタクやな~」と思ったでしょうねえ。

おいなりさんが三角なのも、カルチャーショック。なんで三角??
そうかっ!三角の方がキツネが食べやすいからやな!


大阪城での記事を、sayuri さんと同時アップしました。何を書くか打ち合わせはまったくなし。sayuri さんのブログ、特に地元の奈良のお寺や史跡のことを書いてらっしゃる記事が、とてものどかで私は大好きです。

「ぼっちらぼっちらと」
http://d.hatena.ne.jp/staygreeen/


ほな、さいなら。


コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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