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2010年9月28日 (火)

小田原攻め、徳川方の陣場めぐり

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~内府殿の陣場には東照宮が建っている。~


中秋(9/22)も過ぎ、夏草におおわれていた山城の遺構がそろそろ地表に現れる頃となりました。晩秋、初冬、真冬、早春と続く山城シーズンの始まりです。特にうっすら雪が積もった時の山城は最高ですよねえ。土塁や堀や曲輪の形がはっきり分かります。

「八王子城とオオタカを守る会」でも、11月~翌3月までのガイドツアーのスケジュールが決まりました。このブログでも近々お知らせしたいと思います。


さて、
先日、わが本城小田原で、敵方である徳川家康殿の陣場跡を巡り歩いてきました。


horse 場所と配置

駅から東へ歩いて15分位、山王川と酒匂川の間に「今井」いう所があります。このあたりが徳川殿の陣場の跡。今井陣場とよばれています。太閤殿下がいた石垣山一夜城とは、お城を挟んだ反対側です。

徳川の陣場跡は、上の写真の家康の陣跡以外は普通の観光地図には出ていませんし、現地に案内板もありません。ゆえに、今回は小田原ガイド協会さんのガイドツアーに参加して連れて行っていただきました。


家康殿の陣場は、北条五代が築き上げてきた当時の小田原で、よくこんな広い範囲を構えられたな、というくらいのかなり広い地域です。ゆうに一町分あまりはありそうです。

四方を土塁と堀で囲み、その周りに酒井、榊原、大久保、奥平などそうそうたる徳川諸将の陣場が配置されています。


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~あるお宅のお庭に残る徳川陣場の土塁の一部。オウチが写ってしまうので上部はカット。個人宅なのでガイドさんと一緒でなければ入れない。~


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~こちらも、あるお宅と畑の間に残る徳川陣場の堀の一部。路地を歩いていると見られる。~


horse 篠曲輪(ささくるわ)

北条方の曲輪です。山王神社のあたり一帯なので、総構えの外側ですね。出丸のようになっていたようです。

小田原攻めで、最初に両軍相対した最も激しい戦いがあったところです。夜戦だったようです。攻めたのは、井伊直政と本多康重。守るは北条重臣の山角父子。敵味方合わせて千人あまりの犠牲者を出した末に、どちらも退却。


余談ですが、篠曲輪の戦いの翌日(6/23)に八王子城が落ちています。


horse 榊原陣場

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何の案内板もありませぬ。心光寺あたりです。小田原城の外郭の東側に一番近いところにあるので、最前線基地だったんですな。

7月5日、最後の当主、北条氏直は滝川雄利の陣に降りた後、榊原の陣へ移りました。このあたりには、ちょっと昔まで土塁が残っていたそうですよ。


horse 大久保忠世陣場

榊原陣場の後方あたりにあります。常顕寺と呑海寺あたり一帯ではないかとの推定。同じく案内板はありまへん。

以下、言い伝え。
緒将の陣場を見回った秀吉が大久保殿の陣場の整然さにいたく感服し、勝利のあかつきには、この小田原を大久保殿に与えるように家康殿に申し伝えたそうな。


horse 奥平九八郎陣場

お城を背中に歩いてきて、栄橋を渡った右側あたり。位置関係としては、願成寺を挟んで北側が酒井殿の陣場になります。


horse 酒井陣場

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やはり案内板はなく、この↑少し新し目の五輪塔が、とても新しく整備された一角に囲われています。

お城を背中に小田原大橋に向かって大通りを歩いた途中で、家康殿の本陣の最右翼にあたります。願成寺は酒井の兵舎として使われていたようだとのことです。


horse 嗚呼・・・渋取口

後北条時代の小田原城の東口の城門が渋取口です。水堀(天然)だった渋取川は、今は暗渠になっています。

渋取口は、小田原攻め時は、山角主計頭、鈴木大学助など氏直さんの馬廻衆が守っていました。この門を出たところに、榊原や滝川の陣場がありました。その背後が徳川陣場です。


天正18年7月5日、北条最後の当主・北条氏直が弟の氏房と共に、この門を出て滝川殿の陣場へ向いました。氏直さんはその後、高野山へ送られるまで家康方の陣で過ごします。

氏房さんは岩槻城主でしたね。宇喜多秀家と仲良しで、籠城中も石垣山の秀家殿と連絡を取り合い和睦交渉を続けていたそうです。これは知らなかったんですが、秀家殿からはお酒や魚などの物資が届けられ、氏房殿はその返礼に、お馴染み北条御用達 bottle 江川酒を送ったんですってね!当時の書き物にそのことが書かれているそうです。


石垣山と小田原城を結ぶ地下トンネルのウワサもありますが、それはまず、ありえないわよね~。いや、分からんぞ。

氏房さんは、2年後に肥前で亡くなっています。秀吉の朝鮮出兵の時でしょう。28才でした。


horse 家康殿の本陣

トップの画像のあたりです。ここだけは案内板があります。

小田原攻めでの諸将の軍勢はだいたい1万~1万5千であったところ、家康殿は3万もの大軍を率いてやってきています。箱根山を越え、宮城野を通り、今フラワーガーデンのある久野諏訪の原を下ってきて、ここ今井村の土豪・柳川和泉守泰久殿の屋敷に陣場を構えたそうです。小田原攻めの100日間のほとんどはこちらで過ごしました。


陣場は主に、土豪屋敷やお寺などを摂取して構えます。

上に挙げた、徳川諸将の陣場も、家康本陣の柳川殿の屋敷をはじめ、神保家、剱持家、沢地家など北条方に組していた者達の屋敷や、代々にわたり北条の庇護をうけてきたお寺が提供したものです。しかし、それは、秀吉側に‘寝返った’のではなく、状況を考え、先を考え、双方のためにも早くこの戦を終わらせようとしたためであったのでしょう。


先に、「当時のご小田原に、よくこんな広い範囲で陣場を構えられたな…」と書きましたが、こうして外側から見ると、戦を回避するために、それぞれがどんなに手を尽くしていたかが分かりますねえ。

徳川軍は、陣場にした家やお寺に刀や槍など様々な物を謝礼のような形で残していきます。徳川方はそのままここに残り統治していかねばならないから、地元の有力勢力の協力は大事。好印象を残さねばね。


horse 徳川陣場めぐりのシメ

小田原ガイドツアー(歴史系)の最後は、絶対はずせない我らが殿・北条氏照どのと兄上様・氏政殿のお墓参り。墓前にて解散。

それにしても、やっぱり残念だったよね、ご両人さま。


徳川陣場めぐりは歴史ファンにとってはとても興味深い、ちょっとオタクな小田原歩きです。一度ぜひ行かれてみてくだされ。半日コースかな。

マリコ・ポーロの「あのあたり」とか「このまわり一帯」とかの案内では全然分からないと思うので、お城の銅門を入ったところにある、ガイド詰所で地図をもらったりして聞いてから行かれることをオススメします。

ほな。


cat コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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