小田原にある上杉龍若丸の墓
上杉 龍若丸(たつわかまる)…
北条氏康によって本城も落とされ、関東を捨てた関東管領・上杉憲政のご嫡男です。長尾景虎どのに関東を取り返してもらうため越後へ逃げる時、龍若丸君(たつわかまるぎみ)は家臣に託されました。(置き去り、とも言いますか?)
しかし、その家臣は龍若丸君を北条氏康殿へ差し出すのです。氏康殿は龍若丸君を処刑。敵の嫡男ですものね、当時は仕方がない。そして、若君を差し出した不忠者の家臣も処分。磔だったとか?
パパ上杉は、その後、長尾景虎殿を養子にし関東管領のポジションを与えます。「上杉謙信」の誕生です。
~こちらは、龍若丸(たつわかまる)くんと、彼と一緒に命を落とした6人の家臣のお墓の覆屋と伝わっている。小さな五輪塔が7つある。~
大河「風林火山」でもかなりフィーチャーしてましたね、このシーン。軍記物のストーリーにそわせて、龍若丸を一人前の武将として扱ってあげる氏康殿が、太刀を与えての一騎打ち。かなうわけもなく龍若丸は討たれます。この時かろうじての反撃の一太刀が、氏康殿の天下御免のムコウキズ。パッ!…さおとめもんどのすけ(古いね、また)、ってことになってました。
北条ファンにとっては嬉しい描かれ方でしたねえ。氏康殿の男気がカッコ良かったし、可哀相だった龍若丸君もこれで少しは浮かばれたような気がしました。こういう、大筋に影響ない範囲での、その人となりが際立つようなドラマ的な脚色は大好きです。
これらの石塔が本当に龍若丸くんとその従者達のものなのかどうかは私には分かりません。
しかし、覆屋の中で7つの小さなお墓がくっついて並んでいるのを見て、乳母の夫達にまで裏切られた龍若丸くんが急に不憫になり、手を合わせました。6人の家臣の中には、一人二人はいたわよね、若君の忠臣が…。
龍若丸君のお墓は、前回の「徳川陣場めぐり」同様に小田原観光マップには載っていません。調べりゃ分かったのでしょうが、あまり興味がなかったので今回のガイドツアーで連れて行ってもらい場所を知りました。城を背中に酒匂橋に向かって国1を歩き山王川を渡ると通り沿い右側に「→こっち」と案内が出ています。
お墓には、群馬県平井城址保存会会長・矢島勇氏の歌がありました
悲運なる
若君なれど
小田原の
市民に護られ
眠れ安らかに
ガイドツアー歩きはこれにて。
ほな。 コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。
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