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2010年10月12日 (火)

香林寺の開基は、氏綱公ご正室?為昌殿ご正室?

2014加筆
養珠院さまの出自については、昨今明らかになりました。伊豆横江北条の娘だとのこと。こちらで書きました→「ついに分かった、養珠院さまの出自!」http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-f9c7.html 以上をお含みおきの上、以下ご覧くださると助かります。)


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~小田原「香林寺」の弁財天。弁財天は後北条の守り神。三つ鱗がチト新しい…。~


またまた北条の謎の女人②のお話。
(謎の女人①はたっぷり書かせていただいている香沼姫さま。)

先のブログ記事でも何回か触れたことがありますが、二代・北条氏綱公には二人のご正室がいらっしゃいます(側室は、あまたさぶらいける by 源氏物語)。よく聞く京のお公家さん近衛家の姫は後添い。謎の女人②とは、早くに亡くなった先妻の養珠院(ようじゅいん)さまのことです。


養珠院さまは、どこのどなた様?

出自不詳。生年不明で、あんな説やこんな説があります。ただし亡くなった年は、菩提寺に関する氏綱公のお手紙が残っているのでだいたい分かっています。


(あんな説・・・)
養珠院さまは前北条、つまり北条政子さんの家系の、鎌倉執権一族の姫ではないかという説があります。

氏綱公は関東において自家の位置付けをするために、「関東管領の上杉」に対抗する名跡を手に入れようと、「執権」であった「北条」ゆかりの家へ婿入りした形をとり、 伊勢→北条 となったというのです。そうだとすると、北条得意の養子送り込み作戦のスタートというわけですか。

そもそも、氏綱公自体の若い頃がよくわかりませんが、養珠院さまを娶った後も、しばら~くは「北条さん」ではなくて「伊勢さん」ですよね。


(こんな説・・・)
養珠院さまは堀越公方の妹ではないか?

伊豆修善寺・韮山をウロチョロした時のブログ記事でも書きましたが、そのウロチョロの時に知ったのですが、堀越公方は前北条館の跡地に御所を構えたこともあってか「北条殿」とも呼ばれていたようです。


(いずれにしても・・・)
新興勢力の伊勢新九郎家が、いきなり「ウチ、これから北条って名前にするから」と言っても、足利さんや上杉さんはじめ周りが認めないはずです。何かしらの納得せざるを得ない出来事があったんだと思うのです。

それには養珠院さまが関係してるのか、または、違う何かなのか。


どこかから他家の書状でも出てこないですかね。「早雲の息子ったら苗字を‘北条’に変えるんだってさ。ナンタラ で カンタラ だから、って理由こじつけてるけどね」とかの、ナンタラ や カンタラ の部分が分かるようなものが。でも、北条を名乗るについての他家の批判的な文書もないようなので(ある?知らない)、皆、とりあえずは諾だったのかしら。


香林寺

 

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~小田原「香林寺」。背後の山は小田原城古郭に続いている。~


香林寺は、北条氏綱公ご正室・養珠院の中興開基となっています。

しかし、以前たまたま遭遇した香林寺の檀家さん関係で歴史好きな方に聞いたところ、「養珠院さまのことはお寺で聞いたことがない」とおっしゃってました。でもね、市の案内にも、市史にも、香林寺にも、「香林寺は、北条氏綱の正室・養珠院の中興開基」って書いてあるのですよね。


寺社仏閣に伝わる縁起は、大枠の雰囲気は信じるけど細部は信じないマリコ・ポーロ。

養珠院さまの資料は少ないし、「おっかしいのう~??」と、お寺の周りをウロチョロするも、一人でそんなことをしたとて分かるはずもなく、また、お寺に聞いたところで本当のことを教えてくださることは少ないし、それどころか、ご存知ない所も多いですしね。


これは、今まであちらこちら見聞して歩いた時の経験から感じたことです。寺社仏閣や旧家は伝承をまもらなければならないから、客観的に検証はなさらない。身内のことだから史実はあまり関係がないからでしょう。

赤の他人(たとえそれが学者や研究者でも)に、自分の寺や家の過去からの個人情報を掘り返され、事実を突きつけられるのは、よほど歴史的使命感にかられた方以外は好まないのです。また、万が一、史実は違っていたら、寺や家の誇りはガラガラと崩れてしまいますしね。

お寺さんや神社は特にそうですが、お寺や神社こそ歴史的使命感を持っていただけたら嬉しいですねえ。もちろん、そういうところも多いですよ。まあ、わらわなんぞが事実をあばいたって(あばけないし)、だれもなんもビクともしないですけど。それに、あばかなきゃいけないというものでもないわね。


そうこうしていていたら、黒田基樹さんの「北条早雲とその一族」に、小田原香林寺の中興開基は北条為昌の室・養勝院、とある、との情報をいただきました。養勝院さまは、玉縄北条氏の重臣・朝倉右京家の娘。朝倉氏は香林寺の大檀那だったそうなんです。

(加筆: 2012年発刊の黒田基樹氏著「戦国北条五代」では、養勝院は綱成の実母になっています。)


北条為昌は氏康殿の弟ですね。玉縄城主で、「つなしげぃっ!」 の北条綱成殿の養父になった方です。氏綱公と為昌殿は父子。お二人の室、養院と養院。一文字違いですな。さあ、どうでしょうね~。ま、「後北条ゆかりの女人のお寺」ということで、ひとつ。

ちなみに、朝倉右京殿の屋敷跡は、今、「右京」という日本料理屋さんです。安栖先生の「あんさい小路」にあります。


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~本堂の裏は美しい竹林。竹林の背後、古郭へ続く裏山には、トップの写真の弁財天を江の島から勧進した韶偒(じょうよう)上人が悟りを開いたといわれている石窟がある(写真で見える?)。~


香林寺へ行くには

香林寺は、以前のブログで北原白秋のことと共にご紹介した、戦国時代の小田原城古郭の一番奥の大堀切あたりから板橋方面へ下りきったあたりに在ります。

でも、何もわざわざ小田原城古郭を延々と登って、それから下って行く必要はありませぬ。小田原から箱根登山鉄道でひとつ目、板橋駅から徒歩7-8分。小田原城あたりからも歩きの観光コースでもあります。


板橋は、どこを歩いていても常に、北条時代からの「小田原上水」のせせらきの音が聞こえる水の町。

北条時代から江戸期にかけての数々のお寺や、明治の元勲や実業家の別邸や、歴史の長い商家などがある、ゆかしい町です。また、追々。


よろしくば、下記ブログをご覧いただければいと嬉し。修善寺と韮山を歩いて妄想した時の見聞録で、堀越公方と北条のことに触れたものです。
「早雲・秀吉の兵火に耐えた五体の運慶仏」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-a414.html
の、あたり。

ほな。


コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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