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2010年11月18日 (木)

土方歳三は北条氏照の生まれ変わりである

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~高幡不動尊の土方さん in 文化の日~


この日は、「八王子とオオタカを守る会」会員向けに、峰岸純夫会長によるプチ講演会(勉強会)が開かれた。テーマは「忘れられた戦国領主大石氏-氏照入部以前」。関東西南部の戦国時代初期好きにとっては‘ツボ’な演題です。


講演前に高幡不動で途中下車。たびたびこのブログに登場する高幡不動尊金剛寺は、今から約千百年前に創建された名刹。ご本尊の不動明王は重文でありまする。

お寺から続く裏山は、戦国時代は砦のような伝えの城のようなものだったようだけど、山頂には「高幡城址」との説明板があって城主は平山氏となっている。平山氏って、氏照どの配下で八王子城の落城時に、弟は太鼓曲輪を守り(らしい)、兄は本拠地の檜原城にいて、横地が最後を向かえた、あの平山殿ですかね。源平時代の平山城主(現平山城址公園)は、その祖先になるのかしら?


話はそれたが、なんにしても、室町中期から末期のこのあたりの支配者は、関東管領(かんとーかんれー)上杉配下の大石氏 → われらが殿・北条氏照どのでござるな。


horse 土方歳三

そして、約300年後の幕末。

新選組の鬼副長土方さんが生まれたのもすぐそばの、浅川を渡ったところ。

土方さんちは、高幡不動金剛寺の檀家筆頭格だったそうだ。土方さん、子供の頃は高幡不動の境内を「わ~い」って戦ごっこで走り回り(たぶん)、少年時代は近くの浅川で、皆の者を指図しながら家業のひとつの石田散薬の原料となる牛額草を採っていた(これはホントだけど、浅川周辺の方達に聞いたところ最近はあまり見ないそうです)。


土方さんに興味を持ったのは中学生の頃。お墓とか生家とか調布から板橋へ、何がなんだか分かってない友達をつき合わせて、ゆかりの場所を訪ね歩いた。高校の修学旅行のグループ行動の時も、やっぱり何がなんだか分かってない親友達を、壬生の屯所から諸藩の藩邸跡や黒谷金戒光明寺や西本願寺に付き合わせたりしてしまった。

土方さんちの先祖は、後北条支配時代は氏照どの配下の三沢地衆(十騎衆)頭目の土方氏だった、らしい。大石氏、氏照どの、土方さん。文化の日のこの日は、たまたま600年に渡る多摩づくしとなった。


horse 土方歳三は北条氏照の生まれ変わり説

いったいぜんたい、それは誰の説だい。それは、マリコ・ポーロの説である。ほぼ間違いないと思う(←信じてはなりませぬ)。


これは前にも書いたが、片や名門の御曹司、関東一の北条軍団の軍団長(峰岸会長さんは、その能力は 「抜群です」 とおっしゃった)。

片や、お金持ちで地元の名士の家とはいえ、フリーターのインテリヤンキーにいちゃん。後には大名格になったけど、よく知らない人からみたら、なんだがよく分からない新選組という小さな集団の副長。


出自も、抱えている組織の大きさも全然違う。でも、300年の時を越えて二人の姿は私の中で重なってしょうがない。

▲ 常に大将をたて、その片腕として力を奮うところ
▲ ちょっと武闘派(ちょっとか?)なところ
▲ 古い権威が好きで大事にするコンサーバティブなタイプかと思いきや、合理的で先進的なもの(城の造りとか、洋装とか)は、即、取り入れるところ


武田に攻められ滝山城の二階門の上で檄を飛ばす(北条軍記)われらが軍団長・氏照どのと、宇都宮城で桑名藩士に檄を飛ばす鬼副長の姿が重なってしょうがないのだ。


秀吉勢に小田原を囲まれた時、五稜郭を新政府軍に囲まれた時、立てこもる皆の気持ちが降伏へと向かう中、二人は言う。

「なぜ降伏する。オレ達はまだ勝てる!」


そして、二人共に命日は11日なのだよ。


ほ~らね~、重なってきたでしょ~。甲冑と軍服を交換して着せ替えたってOKでしょ~。

もともと高幡不動は「生まれ変わり伝説」がある土地。生まれ変わった勝五郎君の前世である藤蔵さんのお墓も境内にあります。


え!?
ちょっと待った!

近藤さんの名前は「勝五郎」だ!
\(◎o◎)/


土方さんは氏照どののこと知ってたかしら。どうだったんだろう?

後北条の子孫達は徳川配下になった家が多いですもんね。子々孫々に伝えているわよね。しかも、三沢衆だものね。

Image10621 ~高幡不動はちょうど菊花展。‘一文字’という菊の花弁を、綿を置くことによって成型?していた。直径25cm程の菊。いと不思議な菊なり。~


horse 伝・北条氏照所蔵地蔵菩薩

高幡不動に寄ったのは、「文化財ウィーク」なので高幡不動さんも、あまた持っちょられるお宝を公開されちょるかな、と思ったのだ…が、奥殿の展示はいつもと同んなじお宝だったぜよ~。

まあそれでもいいわと、例によって「伝・北条氏照所蔵地蔵菩薩」と土方さんのお手紙をじーっとheart01見て来た。


前にも書いたが、私は高幡不動に行くと、この、まるで頭を剃り顔には化粧をほどこした女人のような(胡粉や紅が残っとる)、濃厚でしかも格調高い美しさの地蔵菩薩を見るためだけに 300円払って奥殿に入る。

私はお寺の伝承は参考にするけれど、あまり信じないし、その上「伝」となると、まずもってアヤシイ。だって八王子城は焼けちゃったし、どこにあったのかし?小田原とか上州方面のお城?それとも、こちらの高幡不動さんに預けていたのかな?でも、氏照どの所蔵だと妄想していたいから、もし違ってても言わないでね。


奥殿には、古墳時代からのお宝や、幕末なら勝センセイや、「いっ、大鳥圭介でごじゃいます」(また古い)さんや、榎本さん達の書や手紙状なども見られまする。

あ!それから、重文のご本尊さま木造不動明王と、こんがら童子&せいたか童子が拝めるのもこちらです。巨大な不動明王は、後の世に後北条、氏照どのの配下となった武士団、武蔵七党の西党(先のブログ記事で触れたDr.田村や平山殿などね)に所属する家々が造立したそうだ。


horse 武蔵守護代・大石氏

妄想し過ぎてたら長くなってしまった・・・。プチ講演会の大石氏のことは忘れないように書いとかなきゃ。ゆえに続くなり。

ほな。。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

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