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2010年11月23日 (火)

由井の源三 こと 北条氏照

(2016.10.26 加筆
10/22 の八王子城ガイダンス施設での峰岸純夫先生の講演で、由井城≠浄福寺城 との先生のご自説が初めて紹介されました。)


013 ~大石氏の拠点?浄福寺城の山頂曲輪~

前回の記事「北条氏照と土方歳三」では、「土方歳三は北条氏照の生まれ変わり説」の超妄想が長くなりすぎてしまいました。


さて、
高幡不動尊で妄想した午後は、「八王子城とオオタカを守る会」会員向けの、会長さん(峰岸純夫先生)によるミニ講演会に参加した。

講演会のテーマは、「忘れられた戦国領主大石氏-北条氏照入部以前」。サブタイトルは「北条氏照の影に隠れた戦国大名」。地域限定マニアックなり。

会員は多摩周辺の方が多いので、大石氏に親近感を持っている方がたくさんいらっしゃる。今年7月の340人以上が集った「八王子城落城420年記念講演会」の質問タイムでも大石氏の名前が随分出た。


今回のミニ講演会。会長さんの最初の一言。
「この会は北条氏照ファンクラブだけど、氏照はたかだか50年。大石氏は氏照以前にこの地に君臨すること200年。氏照ファンなら、ぜひ大石のことも知っていてほしいと思う。」


武蔵守護代・大石氏

大石氏は木曽義仲の子孫である(なのか?)。信濃の小さな氏族だったが、上杉氏がアッチャコッチャしている時に仲良くなり、上杉が関東管領として復帰した時に一緒にやってきて武蔵の守護代となった家だ。

それから200年後。上杉を見切って後北条へくだり、北条氏康殿の次男(本当は三男・長男は小さいうちに亡くなった)の藤菊丸くんを養子に向かえた。この少年が後の大石源三、われらが殿・北条氏照どのである。


余談だが、ちょっと懐かしい?名前も出た。「船木田荘 ふなきだのしょう」。荘園制時代の「○○の荘」という呼び名、なんだかとてもいい感じですよねえ。


戦国時代は「享徳の乱」から始まった

と、今の歴史の授業では習うらしい。

享徳の乱とは、関東公方達と関東管領両上杉家が入り乱れての争いが広がっていった関東の争乱である。それに乗じた伊勢新九郎さんこと北条早雲が、京の将軍家の意向を受けてかどうかは分からないけど、伊豆をゲットしたことが後北条100年の歴史の始まり始まり。

元は、足利幕府の成立時に、関東と東北のことは委任して別管理にしたことに問題があったのだが、そもそも、坂東&東北人は独立気質が強い(たぶん)。「都、なんのその」という思いがあるから(たぶん)、一緒に管理されてたって言うことききゃしないものを、別管理にしちゃったら統治される方も、する方も尚更そうなってしかるべしだったわね(by 坂東人と東北人のハーフのマリコ・ポーロ)。


八王子城の面々は私も含めて少し(かなり)前の教育を受けた人が多い。私達は、「享徳の乱」の名付け親が当会の会長さんゆえ「享徳の乱」は知っていたが、歴史好きでも、ご存知でない方もたくさんいらっしゃる。

歴史学は日々進化していくので、油断していると定説だと思っていたことが俗説になってしまっていたことに気が付かない、なんてことになりかねない。学者じゃなくても歴史ファンとしては、常に疑問を持って新しい発表をウォッチし、新しい文献や書物はどんどん読んでいかねばいかんなあと自らも思う今日この頃。それに、それって、趣味としてならとっても楽しいではありませんか。


ミニ講演会は、大石系図では有名な某家の系図と、今に残る関連文書や記録から見た史実との矛盾点を考察しながら、大石3家の興亡をたどった。

それまでの私の大石氏情報は…

▲ 氏照どのが婿養子に入り北条が乗っ取った家。
▲ 当主・道俊 どうしゅん(系図では定久だが、実は顕重?)は戸倉城(現あきるの市)へ隠居させられ、その後何かがあって自刃(←これぞ!俗説)。
▲ 氏照どのが滝山城へ移る頃、大石の名跡を道俊の息子へ返し、氏照どのの重臣となった。
▲ 子孫は八王子千人同心として幕末を向かえた。
…ぐらいのものだった。

つまり、あまり興味がなかったということだが、この講演会で、名族「大石氏」の二百年に触れることができ、もう一度あらためて浄福寺に行き、源三氏照ではなく、大石道俊の立場で妄想したくなった。


ミニ講演会の質問タイムは、大石の配下で氏照どのの精鋭部隊、小田野氏のことで盛り上がり、話が終わらず、駅前のお蕎麦屋さんでもまだ終わらず、電車の中でまでも続いた。まわりの方達、うるさくて申し訳なかったです。「すっごいオタク~」って目で衆目を浴びてしまった。


由井の源三 (ゆいのげんぞう)

会長さんの講演会で大石一族にたっぷり触れた偶然の翌日、某先生から、マリコ・ポーロの先のブログ記事「よく分からない城 浄福寺城とは」にコメントをいただいた。それは、「由井家の由井源三はないのではないかな?」という短いご指摘のものだった。


私は、最初に北条氏照という人を知った時に読んだか聞いたかした、「氏照どのは、最初は由井家に養子入り由井源三と名乗った」を疑ったことがなく調べもしなかった。これぞまさしく、常に疑問を持ってウォッチしてなければいけないという良い例である。

即、本棚から下山治久先生の、氏照文書をまとめた「八王子城主北條氏照-氏照文書から見た関東の戦国」 たましん地域文化財団平成6年発行 を開いてみた。それから、齋藤慎一先生が今年5月に東京大学出版会から出された「中世東国の道と城館」を読むために図書館へと走った!(←誇張表現あり)

続く。。。


画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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