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2010年11月 8日 (月)

早雲寺 「北条早雲画像」の曝涼 2010

北条早雲こと伊勢新九郎さんの肖像画を拝見してきましたよ。


Photo_2
~早雲寺の庭。北条幻庵作と伝わっている。おサルに焼かれたはずだが…。~


昨日、かねてより念願の箱根早雲寺の年に一度の曝涼(ばくりょう)に行ってきました。曝涼 (ばくりょう) とは、お天気の良い日にお寺などが保有する文化財の虫干しをすること。曝涼にあわせて、普段は見せてもらえない宝物を一般公開してくれることが多いです。早雲寺の曝涼は年に一度、11月の初旬です。一般公開は、そのうちの土日2日間だけ。

土日に仕事を休むのがとても大変なので、初めてなり!秒速(各駅停車だけど)日帰り、お昼も食べず数時間滞在。


早雲寺はいつも森閑と静まり返っているので、一般公開とはいえ硬い雰囲気で心して拝見しなきゃならないのかなかな~と覚悟して行ったところ、心配ご無用!

ご住職は達磨大師のような眉毛の気さくな方で、早雲寺の歴史、本堂の寺宝や北条幻庵作(と言われている)お庭や、新九郎さん(早雲)が招いた初代・以天宗清や、戦国期の画家・雪村 せっそん のお話をしてくださいました。


一部屋一部屋案内してくださるのですが、これがなかなか手慣れてらして、右や左の襖を開ける度に、おーっ!となって楽しいんですよ。ほら、障壁画って、見るポジションによって違って見えるでしょう。

その他の寺宝は、箱根資料館の館長さんが説明。といっても、別に好きにブラブラできるので、聞かなくてもいいし、説明タイム以外でも質問やお話しができます。


さて、その他の寺宝といってもほとんどが後北条関係ですけど、後北条追っかけ妄想族の、わらわが印象に残ったのは、漆の芹(せり)椀揃え。

お敷(四角いトレー)の上に小皿や椀がのる、ご飯セットね。それぞれに‘芹’の蒔絵がほどこされているの。製品としての評価は分からないけれど、マリコ・ポーロが惹かれるのは、それにまつわるストーリー。


館長さんの話によると、これは元々100セットあったらしいんですって。そして、北条が降伏した後、当主氏直さん達が高野山へ送られましたよね。その時、半分を高野へ持っていったんですって。それが、現在確認されているうちでは2セット残っていて、その1セットだそうです。

私、この夏、高野山の氏直さん達が蟄居した小田原坊に泊まったばかりなので、ああ、あそこで使っていたのか~、と妄想すると涙が出そう。感慨深かったです。


次に、北条氏政さんが使ったと伝わっている文台。全てに織物が張ってあるんですよ。正倉院裂みたいなのが。例によって京都の初代龍村さんが模作してくれたものなんですが、東博にある本物は銀蘭。銀だから今は真っ黒。

氏政さんが使ってた(たぶん)頃は、こんな感じだったんだろうってね。素敵だ。いかにも戦国大名の持ち物って感じ。

 

Image10801
~早雲寺で売っちょる。勝手に掲載してはまずいかもしれないのでワザとぼかした。ワザとよ。~


ちょっとちょっと、早雲画像はどうしたい?ですか。焦るでない、皆の衆。
繰り返しますが、現物を初めて見ましたよ。筆舌に尽くしがたいね。拙筆では書き表せないから、やめときますわ。

な~んてね。


このブログを読んでくださっている方にはご存知の方が多いと思いますが、私、漠然としてて知らなかったです。当時の「誰か」が描いたのは、新九郎さん(早雲)、氏綱公、氏康殿の三像。

よく、紹介される北条五代の画像は、初代の新九郎さん・氏綱公・三代氏康殿が当時のもの。四代・氏政さまと五代・氏直さんは、江戸時代に土佐光起が描いたものなんですね。私の五代それぞれにつける敬称はさておき、早雲寺にある三代までの肖像は、土佐光起のとはぜ~んぜん違うカテゴリーですな。


そして、また、新九郎さん画像は、綱&康のとも、別物であります。綱&康のは土台が紙本。新九郎さんのは絹本。だから、色の深味も奥行きも、例えばビデオとフィルムみたいに違う。

それは、部屋に一歩入って一目見た瞬間に、コーヒーの違いが分かる男でなくても、誰にも分かります。写真で観ていただけではわかりませんでした。


それから、主旨が違う。これは、現物でなくとも分かりますが、綱&康は肖像画。新九郎さんは、椅子に座って袈裟こそ着てはいないけれど、禅僧の頂相(ちんぞう、禅宗の高僧の肖像)みたいに描かれている。

新九郎さん像も、ほば生前に描かれているだろう、とのこと。


ほかにも色々細かい違いや謎についても説明してくださった館長さんに、新九郎さん像について質問をさせていただきました。

▲ 「これが伊勢宗瑞(早雲)だと何か書かれたものがあるのですか?」

ない、そうです。


それから、早雲寺は小田原攻めの時にサル殿下が陣にしたでしょう。事が終わって引き上げの時には全部焼いちゃった。じゃあ、
▲ 「これらをどうやって残したのでしょうか?」

疎開させてた、そうです。
その時、早雲像は、早雲寺初代と二代の住職の頂相(本堂で拝める)と一緒にあった。北条家は早雲寺の大檀那だから、一緒にあったのなら、まず、早雲像に間違いないでしょう。

とのことでした。

 

Photo
~おうす(お抹茶)をいただいた。飲み干したら・・三つ鱗が!!
くぅ~、グッとくるぜ。お菓子は新九郎さんの故郷、備中(岡山)荏原荘、古月堂の朗廬饅頭と、ゆかりの大徳寺納豆。~


本堂に、初代住職・以天宗清の遺偈 ゆいげ(お坊さんの遺言みたいなもの)がありました。

大意
自分が死んだあとに墓は建てるな
三千世界(この地球上全部)が墓である
華やかな墓はいらない
月は青天にあり
影は波にあるのだから


いいね~。
かく、ありたい。

でもこれって、生前それなりの事を為し遂げた人が言い残すからカッコイイのであって、なんにもしてない人(マリコ・ポーロ)が言っても「何言ってんだーーっ」になっちゃうわね。

現ご住職が説明しながら、月は…からのところ、「ここからが、いいでしよう」と。

以天和尚の遺偈のために、以後の歴代住職達もお墓は建てず、開山堂に納骨されるだけだそうです。


先のブログの修善寺・韮山のところで書きましたが、以天和尚は、新九郎さんが京都大徳寺から招き韮山の香山寺(たぶん、早雲庵)の住職となった方。その後、新九郎さんが亡くなり、ご子息の二代氏綱公が新九郎さんの菩提寺とした早雲寺の初代住職となりました。

新九郎さんと以天和尚の会話って、ちょっと興味があるわね。洒脱で味のある話をしてそう。


▲ マリコ・ポーロが、さすがにお寺さんに聞けなかった疑問

幻庵殿作のお庭。庭園研究の専門家によると、江戸時代前期万治・寛文期の作と推定されているそう。これは早雲寺の栞にも書かれています。そうですよね。秀吉殿下が焼いちゃったからね。

となると、幻庵殿はもういない頃…「幻庵流」、ということでいいのかな?以前、甲斐の恵林寺で、「夢窓疎石作」というお庭を見た時にも思ったこと。あの庭も信長が焼いちゃったんですよね…。テンテンテン。

Photo_2
~箱根湯本駅にて。早雲寺で三つ鱗に囲まれまくっていたら、駅のホームの印まで鱗に見えてきてしまった。~


早雲寺、もっと書きたいが限がないので、今日のことだけ。以下でも書いてます。
「今日は北条早雲ご命日」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-5875.html


ほな。

コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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