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2010年12月 6日 (月)

BS日本の城ミステリ-「安土城」

12/3(金)の2時間スペシャルは二部編成で、第一部が「現存12天守」。第二部は「安土城」だった。

天守閣にはあまり興味がないのだけれど三津五郎さんが好きなので、この番組のことを毎週アップしようと思っていたが、なにゆえか同じ回が何度も再放送されたり、録画し忘れたりで、なかなかフォローできないでおる。


第一部の「現存天守」は坂東三津五郎氏が現地レポート。それはそれで楽しかったが(三津五郎さん嬉しそうでしたね)、わらわ、天守閣はよく分からないので第一部は飛ばして第二部の安土城のことを少し。


いきなりで恐縮ですが、信長は好きではないのである

であるか。
である。

理由は簡単。怖くてみんながビクビク接するような人は好きじゃない。「それは、自分の弱さや不安の裏返しであり、実は孤独な人」みたいな屈折した人も面倒くさい。

「秩序や道理にとらわれない人」は、「秩序や道理を重んじない人」のようで好きじゃないし、「美意識が卓越している」と評価されるその美意識も、私には too much で過剰。

悪口満載。


「いや、信長は、実はそうじゃない!見方が浅い!」と反論したい方もいらっしゃるわよね。私の知人でも信長大好きってのは多いし。たぶん私が好きじゃないところに、逆にみんな魅力を感じるのでしょうねえ。

でも、家臣や侍女にはなりたくないわね(先方もお断りでしょうが)。印象にも残りたくない。よくも悪くも、ちょっとでも目にとまったら最後、どれだけのものを課せられることか。まあ、ただ単に好みの問題ってことである。であるか。


が、かく言うわらわも一瞬は信長にハマったこともある

何を隠そう、初めて一人で城跡を訪ねたのが「安土城」なのである。しかも二度。うにゃにゃにゃ。。。


あれは・・かれこれ・・ウン十年前。20代前後の頃。一度目はどこもかしこも発掘整備中で、たくさんの方がお仕事中だったが、観光客には一人も出会わなかったな。城跡中行く先々で「シガダイ?」と聞かれまくったが意味不明で、後で「滋賀大?」だと分かった。全然違うけど。

二度目に行った時は、信長館も有名になり観光客が増え、素朴だった安土の駅周りが非常に観光化されていた。


実はその後もう一度、親友と奥琵琶湖へ十一面観音を訪ねた帰りに、安土城へ行こう!ということで駅に降りたのだが、あまりのテーマパーク化された駅周辺の雰囲気に怖じけづき駅で引き返したことがある。これって車で行かれる方は分からないでしょー。

そして、あっという間に魔王を好きじゃないことに気付き、安土城のことはどこかへ飛んでしまっていた。


それから、ウン十年後。八王子城と出会い、ここで安土城の記憶が復活した。「北条氏照は安土城を参考にして八王子城を造った」ということを知ったからだ。

番組の最初チラッと安土城の大手道が映った時、「あ!八王子城だ!わが城もついにこういう番組で取り上げられるようになったか。よよよっ・・」と涙をぬぐったら、それは安土城だった。

025
ちょっと八王子城

↑これは八王子城。曳橋(現在は曳橋ではない)を渡って御主殿へ向かう道を逆から見たところ。突き当たりを左へ曲がるとすぐ橋。


毎度しつこいが、八王子城の大手の道はこの周辺だけを紹介されることが多く、安土城のまっすぐな長い大手道に比べたらね~と思われているかもしれない。でも、八王子城の登城道は、現在のバス停・霊園前あたりに当時は最初の大きな門があり、そこが起点で、右側に続く職人街(たぶん)、重臣団の屋敷を見ながら城山川に沿って御主殿まで約1.5Kmを行くことになる。道幅だって安土城より広くて 8m以上あるんだぞ。どやっ!魔王!

と自慢したって、どんな立派な城を造ったって、どちらも数年で炎上しちゃったわね。

八王子城の大手道にご興味あらば先のブログ記事「戦国時代の八王子城の歩き方~山麓」とご覧下され。


魔王の噂話

ここで、信長ファンではない私が番組で紹介された「安土城の謎」を話しても、信長ファンには周知のことじゃと思うゆえ番組の話を。

三津五郎氏が黒金ヒロシ氏と登城。黒金さんは信長ファンですよね~。


私は全然知らないが、「大手道は特別な道で、それは行幸用だったかもしれない」とういう説があるんですって?そこで私も思ったが、お二人も、

「そうかな?」
「信長って天皇という存在を重んじていたかな?」
「信長公だって、少しは・・」みたいな会話が続く。

まあ、天皇の行幸を仰ぐというのは、信長にとってはパフォーマンス的に効果あるでしょうが。


話は逸れるが、黒金さんは‘公’を付けるのね。

八王子城のある方達がこの夏に安土城を訪ねた時にお世話になった、信長の家臣で・・違う、そのご子孫の安土城ボランティアガイドの方が常に「信長公」とおっしゃるのが印象的だった、と言っておったが、いいのですよ。我らは氏照どのの「ファン」なのですから。「ファン」は呼び捨てじゃないですか。「ヒロミーっ」とか「ひできー」とか「ゴロー」とか(←古い。歳がバレる。バレとる)。


さて、三津五郎氏と黒金氏。本能寺のあと安土城が炎上したことについて、

「ほっとした人が多いでしょうね」
「重圧のシンボルが無くなった、みたいなんでしょうね」

ワテも、そう思う~。分かる~。

「信長公はここに住む気はなかったじゃない。」
「あ~、それは全然ないでしょ。」
「通過点ですよね~」

であるよね。


石垣の陰で、何故か声のトーンを落として信長のことを話すお二人が可笑しかった。魔王に聞こえないようにって、自然に声が小さくなっちゃうのかな?


安土城は皆が真似っこしたあこがれの城だったのに、その後、何故、まるで無かったかのごとく大事にされなかったのか。黒金ヒロシ氏はおっしゃる。

「安土城はエロチシズムの極地!なんですよっ!」

すごいね、それって、どんな城?それって、つまり、言い方を変えれば、信長が、信長の、信長は・・・・・・ここでは言えぬ。もっと話を突っ込んでほしかったな~。


お二人の話は、「もし信長がその後も生きて、大阪に城を建てたらどんな城になっていただろう」と妄想に入る。それは、秀吉の大阪城とは全然違うものになっていただろう、と。

でしょうね~。奇想天外、宇宙船みたいなのだったかもよ。天守(天主)がガコッと離れて、ぶぉ~んとワープしちゃうような。最近、妙に宇宙戦艦○○○(龍馬のマルマルマルじゃないぜよ)を思い出させられる日本の環境なのでね。


最後は、総見寺の江戸時代初期に作られた魔王の木像

三津五郎さんは「ふくよかで円満なお顔」とおっしゃってらしたが(ファンなんですね~)、私には、眉間にシワが寄った困惑と怒りの表情に見えた。実際、眉根が寄っていて、京都の等持院で見た足利将軍達の木像にちょっと似てると思った。


ほな。。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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