北条氏照と土方歳三の国府台城
マリコ・ポーロ
~「里見公園」となっている国府台城の観光用入口。薔薇や梅が咲く芝生の公園だが、向こうに広がる台地の方に二重土塁などの遺構が残り、里見関係の碑などもある。~
国府台合戦の舞台となった国府台城。われらが北条軍団軍団長である八王子城城主・北条氏照どのも兄上と共に出張りました。氏照どの感状など出していますね。
そして、それより三百年のち、今度はわれらが新選組副長・土方歳三がこの地に立つことにあいなるのでござりまする。
身内のお墓のひとつが、国府台合戦の舞台のど真ん中にあります。以前はこちらへお墓参りに行った帰りは、「関やど」でチョイとお蕎麦をたぐったり、矢切の渡しをドンブラと渡り、柴又帝釈天の寅さんちでお団子をつまんだりしていたもんです。
が、しかし、北条氏照と出会ってからはそんな優雅なことはしていられなくなってしまいました。帰りはついでにどこか一つだけ城跡に寄らなければいけないミッション?ができてしまったからです(お墓参りと登城とどっちがついでかという声が親族よりあがる)。
今回のお墓参り帰りのついで!の寄り道は、土方さんの妄想が続いていたパッションだったので、二度目の国府台合戦の舞台「国府台城」にしました。私は北条氏照のおっかけなので、寄り道は国府台城が一番多いのですが、土方さん目線 での登城は初めてです。
城跡でお弁当を広げ、国府台合戦と旧幕府軍ゆかりの場所を行ったり来たりしてたら時代が錯綜してわけが分からなくなって気持ちが悪くなってしまいましてね、ホント。 まずは氏照時代の国府台合戦のこと、チビット
国府台合戦は二度ありましたが、一度目と二度目は随分背景が違いますね。それに、二度目は2年続いて2回(ややこし)あったようですね。
小弓、古河、上杉をはじめ、太田、里見、正木、原、真里谷、佐竹などなど房総・武蔵・常陸あたりの大中小戦国武将達が入り乱れ、その上、上杉謙信が来たり帰ったり、はたまた越後から遠隔指令を出したりするたびに、中小武将はあっちついたりこっちついたりで、まったくもって大変だったらありゃしない。
だいたいからして、二度目の合戦は、厩橋(現代の前橋)にいた越後のお屋形さまが、「お米持ってきて」って太田殿に命令しちゃったのがキッカケだしねえ(だけじゃないけど・・)。
一度目の合戦に出張ったのは、お祖父様の氏綱公&パパ氏康でした。古河公方代理の北条父子 VS 小弓公方+介添えの里見殿の構図です。主な舞台は、国府台城からも近い松戸の相模台城と松戸城。二城はまるで尾根続きといってもいい程くっついています。
二度目はその25年後のこと。パパ氏康&氏政兄上の時代です。今度は本格的に、北条 vs 里見です。
国府台城や相模台城は、城跡というより古戦場のイメージがありますね。私は戦国時代に限らず鎌倉時代などの古戦場も好きです。「古戦場」という響きもいいじゃないですか。
「古」がつくことで「戦場」の血生臭さが消え、乾いた風が流れます。かつては殺戮が繰り広げられたはずなのに、今は「まるで何事もなかったかのよう」な空虚な気配に惹かれるのです。
実は、今まで行った中で一番好きな古戦場は「上田原」なんですよ、武田 vs 村上の。これもいつか話を聞いてくだされ。 国府台城
~国府台城から、北条軍団が渡河!してきた江戸川を見下ろす~
国府台は現代の千葉県市川市。東京との国境いで、矢切の渡しや松戸の渡しの江戸川に沿った、江戸エリアを見渡せそうな台地にあります。葛西城なんかは、川向こうすぐです。上の写真の、このあたりを北条軍団は渡ってくるんですよね~。私の大好きな「渡河」シーンですわ。
国府台は「こうのだい」と読みます。当時は高野台とか鴻之台とかとも書かれたようですね。文書類にそう出てきます。かつては文字通り下総の国府があったあたりで、しかも城のある場所は古墳だったんですって!公園内に石棺があります!それを太田殿が城にしたんですねえ。もと古墳だったところを城にするとこって多いですよねえ。
現代は、国府台合戦の舞台は、葛西城も含め全て同じ京成線沿線になります。
国府台城も今は公園で、その名も「里見公園」。土地の人達にとっては「太田公園」とか「北条公園」とかより、「里見」の方が親近感があるってことですかね?
~公園を歩いている間ずーっと先導してくれた猫。「義堯殿かっ?」と聞いたら「に˝ゃぁ~(そうじゃ)」と。~
城の中だけでなく、公園入口手前左の坂を下った江戸川の方からや、反対に右の総寧寺の方へも是非ぐるりまわってみてください。土塁や堀の名残りが見受けられて公園の中より城跡感があります。
また、国府台駅から里見公園に向かう松戸街道に沿ってたくさんの学校や病院がありますが、このへんもあやしい地形です。タモリさんが江戸周辺の町をブラブラする番組でおっしゃってましたね。「土地は記憶している」って。そういう感じですよ。私、初めて行った時、「むっ、ここも登城口のひとつだな!」と登っていったら学校の中に入っちゃったりした所もあります。国府台城ってかなり広大だったと思います。
そして、土方さん。
国府台城の総寧寺と弘法寺(ぐほうじ)
総寧寺は里見公園こと国府台城の麓に、弘法寺はその目と鼻の先にあります。
慶応4年(= 明治元年)、土方さんは、北斗の七星の如く終生一緒だと誓い、紅葉となった…ちゃうちゃう盟友近藤さんの、勝先生を通しての助命運動に望みをたくし江戸を後に北へ向かいます。
まずは、この国府台に集結する旧幕府軍総勢二千数百人の大鳥さん達と合流。
土方さんは、三百年前ここで、故郷の多摩ゆかりの北条氏照が戦をしたことを知っていたかしら。いんや、生まれ変わりだから、思い出したかしら?ですね(「土方歳三は北条氏照の生まれ変わり説」をご覧あれかし)。
総寧寺は、北条氏照どのの頃には関宿城にありました。その前は、近江にあったものを兄上の氏政殿が関東にもってきたそうです。六角佐々木氏の開基ですな。ということは、国府台合戦の頃はここにはなかったんですね。
総寧寺が国府台城に移ったのは江戸寛文の頃だそうです。国府台城は家康の江戸入部の時に廃城となっていますので、城跡の随分のエリアがお寺だったはずです。二千数百人の大部隊。実際は、「総寧寺に集結」というより、「旧国府台城に集結」というイメージだったと思います。
斉藤さん達は先に行ってるので、土方さん一行はたった7人。新選組も解体。それなのに、土方さんは旧幕府軍の前軍の参謀に任命されています。まあ、北条軍団の軍団長の魂が入ってますからね(これ、最初ふざけて言ってたんですが賛同者が多いんですのよ。北条研究の先生方もですよ)。
そして土方さんは、ここから宇都宮、かつては氏照どの傘下にあった壬生氏の壬生城、会津を経て宮古湾でひと暴れし蝦夷へ向かうわけです。土方さんが函館一本木でその命を終わらせるのは約一年後のことなのです。
~軍議が開かれた「弘法寺」。総寧寺(国府台城跡)から松戸街道を渡ってすぐの、やはり台地上にあり今でも寺域はかなり広い。市川駅まで長い門前町が続いている。~
と、こう書いていても永禄と慶応が入り乱れてわけが分からなくなってしまいましたが、永禄の国府台合戦も謎が多いのですねえ。分かってないことがたくさんあるそうですが、私の一番の疑問は・・・
第一次と第二次の間、国府台城にはだれがいたの?
第一次で小弓公方が終わり、里見殿はいったん撤退したんですよね。でも、第二次の頃、また里見がいますね。太田殿が里見に寝返ったからそのままの流れで国府台城をゲットしたのか?あにゃにゃ?
ほな。 国府台城や相模台城や松戸城での先のブログ記事もお読みいただけると嬉しいです。
「国府台合戦場の桜」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-e1c9.html
「土方歳三は北条氏照の生まれ変わりである」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/in-012e.html
「南総里見ファンタジーツアー 1~5」
↑ たくさんなので、このタイトルで検索してくださると助かります
ほな。
コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。
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