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2010年12月 1日 (水)

後北条の築城技術を、発掘調査から見たシンポジウム

北条氏照どの若かりし頃の「由井&大石」の疑問で、ツルツルの脳に(お肌ではない)シワが出はじめたさなか聴講したシンポジウムで、またまた「由井」や「源三氏照」が出てきた。

シンポジウムは、
「小田原北条氏の城郭-発掘調査からみるその築城技術」
主催は、
東国中世考古学研究会。

国立近代美術館講堂で、11月27(土)と28(日)の2日間でした。例によって2連休はできないわらわ、「北条氏照の城と城下」の事例報告がある 27日の方に休みを奪取。

Image11111 ~お昼は近代美術館のある北の丸公園で、紅葉をおかずに手作りオニギリを食す。江戸時代の初め頃は、上さまのお身内やお側の有力大名の屋敷があった。この先の清水門あたりが江戸時代の江戸城では私の一番好きな場所。江戸城で最も古いエリア。~


シンポジウムの
報告事例は下記の通り(継承略)

1.小田原本城にみる築城技術(佐々木健策、小田原市教育委員会)
2.伊豆・東駿河の城郭(池谷初恵、伊豆の国市教育委員会)
3.江戸城周辺の最近の調査から(水本和美、千代田区立四番町歴史民族資料館)
4.北条氏照の城と城下-滝山城と八王寺城(宇留野主税、さくら川市教育委員会)
5.北武蔵の築城技術(石川安司、ときがわ町教育委員会)
6.箕輪城・金山城からみた小田原北条氏の影響(秋本太郎、高崎市教育委員会)
7.唐沢山城跡などにみる小田原北条氏の関与(出居博・太田嘉彦、佐野市教育委員会)

その他、紙上報告6件。
(岩付城・相模・古河公方・房総緒勢力・武田氏・越後上杉氏など関連。)

具体的な事例報告はレジュメをご覧くだされ。六一書房で 2500円 だそうです。会場では2000円でしたけどね。


冒頭の記念講演、萩原三雄氏(帝京大学山梨文化財研究所)はレジュメが要点だけでしたので、マリコ・ポーロ的に記憶に残ったところを以下にまとめました。おっしゃったことを一言一句正確には書いておりませんが、大意はほぼ合っていると思います。

▲ なぜ、今、小田原北条氏の城郭を研究するのか。

「杉山城問題で、縄張研究が脆弱で停滞しているということを痛感した」
からだそうです。

「縄張研究は、考古学者や城郭研究者や歴史学者など様々な分野の研究者が協力して進めていかなければならない」と。
最近、研究者の方達は重鎮方でさえも皆さんそうおっしゃいますねえ。そうなれば本当にいい流れですよね~。


▲ 遺物を見る場合の注意として、
「物というものは、皆さんの家でもそうでしょうが、長~い間使うもの。戦国大名の家だからといって、いつも出来たばかりの新品を使っていたわけではない。一世紀ぐらいに渡って使い続ける場合もある。検出された遺物が、例えば15世紀の物だから、この城は15世紀の城だ!と見てはいけない。」

まさにその通りですが、そう思うと、遺物からの検証って超々慎重に進めなければならないのねえ。


▲ また、こうもおっしゃっいました。
「城というのは、常に増改築を繰り返している。完成体はない。」
武田勝頼の新府城を例に出されて、「このように、土木事業は終わっていても、作事が終わってないという状態もある」。

支城とか出城とかの場合は、その役割が終わると途中で移転したりクローズしたりする場合がけっこうありますよね。そして、

「城の土木技術を見る場合は、その中に、その城の精神性も見なければならない」


▲ また、「この城は‘北条系だ’とか‘〇〇系だ’とかよく言うけれど、はたして戦国期の城は織豊期の城ほど成熟して体系化されていただろうか。当時だって他の城を見る機会もあるから、ある城を見て良いと思えば自分の城にも取り入れた。〇〇系と決め付けるのは危険だ。」

そうですよねえ。われらが殿・氏照どのだって魔王の城を参考にしたし。

それに、関東以北に石垣(石積や石敷などではなく)を使った城はない、と言われていたのに続々と検出されていますしね。


江戸村化されつつある小田原城だって、つい最近、戦国時代の北条の石垣が発掘されましたよねえ。

そうそう、佐々木氏は小田原城伐採問題にもほんのチビット触れられました。「300本も切らないから」「これから1本づつどうするか考えていきますから」って。

う~ん。私は・・私としては、この日は発掘調査のシンポジウム。木を切る切らないではなくて、それによる遺構や埋蔵物への影響について触れてほしかったな。でも、佐々木氏は市の方だから立場もおありなのでしょうから仕方ないですよね。

Image11121_3 ~三つ鱗だらけの、かっこいい立派なレジュメ~

八王子城と滝山城の報告をされた、宇留野氏。若~い方ですが、最後に、滝山城&八王子城の築城技術解明にむけた必要な作業としていくつかあげられた中に、

「八王子城根古屋付近の出土品の再検討」とありました。ぜひ是非やってほしい。そして、個人のお宅の摩訶不思議な資料館や、存在を知らない人がほとんどのジオラマとかではなく、小さくてもいいから、鉢形城みたいに立派でなくてもいいから、城跡にきちんとした資料館が出来たらいいなあと思います。

「かわらけ」の話も面白いと思いました。「多摩のあゆみ」でも梶原勝氏が書いてらっしゃいましたし、他にも「かわらけ」について書かれたもの多いです。「かわらけ研究」は流行なの?やっぱり、後北条の形状が一番垢抜けてて美しいですが・・・なんちゃって。

氏照どののこと、やはり、「由井の名跡を継いだ」のようにおっしゃってました。由井氏館跡まではお話されていましたが、そのすぐ西の浄福寺城のことは一言も触れてらっしゃらなかったな。浄福寺城は遺構調査だけで掘ってないから?


シンポジウムは、新しい事例を知ることができるし、また、今回の発表者は30才代の若い方が多く、過去の説にこだわらない考えが聞くことができてとても有意義でした。


さてっと、シンポジウムのことではないですが、小田原城の埋蔵物こと。

今年、幸田口土塁から戦国時代の漆塗りの弓が検出されましたね。防腐剤としてチョチョット塗られてるのか?装飾的なのか?わかりませんが、幸田口は上杉謙信公や信玄も攻めてきたところ。北条の弓とは限りませんよねえ。どなたさんの弓かしらね~。

4日(土)~12日(日)の、小田原の「最新出土品展2010」を見に行きますが、楽しみなり。最終日12日は調査発表会ですが、日曜なので例によって休みとれませんでした。残念なり。


ほな。。


画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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