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2011年1月31日 (月)

「大河 江」 講座トーク in 江戸東京博物館

江戸東京博物館、大河ドラマ特別展「江」の特別講座で興味深い話を聞きました。講師は長浜市長浜城歴史博物館の太田浩司氏。大河「江」の時代考証担当のおひとりです。


wine お市さんが浅井(あざい)に嫁いだ年代のこと

信長達に詳しい人達にとっては当たり前なことかもしれませんが、浅井の知識が浅い…私には興味深かったです。

二説あるそうですね。
ひとつは永禄10~11年。もうひとつは永禄4年。

えー、すごい開き!しかも、上杉謙信が小田原攻めをした年と、武田信玄が駿河侵攻した年あたりですよ。狭い日本のアチコチで皆さま色々やってますな。


話をお市の嫁入りに戻し、お市さんが嫁いだ年代がどうして問題かというと、それによって「婚姻の意味がはげしく違ってくる」からだそうです。言われてみれば、まさしく、そうですよねえ。最近は4年説の方が有力だそうとのことですが、以下トークの大意。


もちろん両説とも文献などの裏付けがあるのは言うまでもないですが、永禄10~11年とすると・・・

魔王はすでに美濃を制覇し岐阜に居城を構えている。浅井は、東西の交通の要所に勢力をはっているとはいえ、時の織田家に比べたらもはや小名(?)。その浅井に織田家の方からだけ強力な手駒(お市)を出すことをするか?

また、その頃お市さんは22-3才。初婚としたら、ありえないくらいの晩婚。(分かんないですよ~。魔王の妹だもの。みんな恐れて平にご容赦願っていたのかもよ~。)


かたや永禄4年とすると・・・
魔王はまだ魔王になってなくて(←こんな言い方を太田氏がするわけない)、清洲住まい。天下布武の段取りとしてはどうしても美濃が欲しい。

織田と浅井とで美濃を挟み打ちにしたいものだのう。そのためには浅井との縁組は不可欠だ。市は14-5才。おー、ちょうど良い年頃でゃあも。そこで強力な手駒・お市を嫁がせるのであ~る。

それなら永禄7年生まれの万福丸は、お市の子ではないかという最近の説も成り立ちますか。


そう、大河「江」は永禄10~11年説を採用しているのじゃ。
あーそれでか。お市さんのあの高慢な態度も。いかにも「格下へ嫁いであげました」感を出している演出だったんですね~納得。ていうことでいいのかな?

永禄4年からやったら、マムシも出して(いや、すでに亡うなっているか)美濃攻めもやらなきゃならないから大変。いっそ小谷落城シーンから始めてもよかったかも。

そういえば、小谷城の調査では焼土はまったく検出されなかったんですって。八王子城なんて目で見えるとこにも焼けコゲ残ってますけどね。つまり、小谷城は落城時に炎上してないということです。これは城郭研究者の間では定説だそうなのです。

大河ではかなり燃えてましたね~。こういうのは私は別にいいと思ってるのですよ。大勢に影響ないですし、炎上はドラマ的に落城の悲劇性が強調されますし。私は、ね。


「お江に、叔母上(濃)にお会いしたいのです!と言われたらどうしよう・・・ドキドキ。光秀よ、えっと、史実ではどうなっとったきゃあも?」
by 魔王


wine お江さんの不思議

お江さんは 「お江(おごう)」といわれたり、「お江与(おえよ)」といわれたりしてますね。大河「春日局」の時は「お江与」でした。淀の少女時代役の喜多嶋舞さんの「おえよ~」の言い方が妙に印象に残っています。

今回の「江展」では、お江さんが手に触れた(←太田氏の表現)と判っているもので現存する、たった二つのものが出展されています。それは二通の書状です。そこの署名は「五」と読めます。「ごう」の「ご=五」です。

お江さんは「ごう」と呼ばれたことは確かのようですが、では漢字の「江」とか「江与」は?

よく言いますよね、「〇〇の方」って。「小谷の方」「淀の方」みたいに住んでいる所で呼ばれることが。お江さんの場合は、「江戸の方」→「お江戸の方」→「お江与の方」じゃあないかな?という説もあるそうです。


上にも書きましたが、お江さんのものといえるもので今に残るものがほとんどないなんて不思議です。将軍の正室・将軍の母・天皇の祖母、と皇室以外の女性では最高の地位、正一位に登り詰めた人なのに。

私、「江展」では、お江さんが愛用した文箱とか、手あぶ火鉢とか、ご持仏とかがズラズラ並んでいるのだとばかり思ってました。ところが、あるのは、お江さんを取巻く他の戦国期後半、というか織豊期~江戸初期の人達のものがたくさんでした。

それはそれで、むしろ私は面白かったですが。


そしてですね、ご存知かもしれませんが、お江さんは 火葬 です。当時は土葬が主流でしょ、特に位が高い人は。お江さん本人の遺言だったとか、毒殺による証拠隠滅とか、疫病とか様々な風説が流布されています。不思議よね~。


wine 「江~姫たちの戦国展」 追記

まず、先のブログ記事でご紹介した宮殿(くうでん)ですが、忠長殿が母上・お江さんの菩提を弔うために造ったということを究明されたのは、齋藤先生だそうです!

そして「江展」は、肖像画がたくさん出ているのも見所のひとつでした。

後北条ファンの萌えどころとしては、氏直さんの正室・督姫の肖像画です。
督姫は家康の次女で、後北条が滅び氏直さんが亡くなった後は、あの姫路城の池田殿、後の岡山藩の藩祖に嫁いでいます。

池田家は今上天皇(現在の天皇陛下)の姉君・厚子様が嫁がれたお家ですよねえ。そうそう、関係ない話ですが厚子様は伊勢神宮の祭主でらっしゃいますな。

督姫の肖像画は、小袖も打ち掛けも帳もぜ~んぶ、「目にはいらぬかーっ」 と言わんばかりに葵の御紋づくしでしたよ。


horse 大河ドラマの時代考証

この日、受講者から質問がくるより先に最初に万福丸の件の話が出ました。問い合わせが殺到しているらしいですしね。まあ、だいたい私達が想像してたようなことだったみたいですが。

大河の時代考証や、関連企画展を担当している研究者や学芸員の方達は、もちろん、きちんと説明し、いくらドラマでもどうしても譲れない時は何度も申し入れをしてらっしゃるみたい。でも、「大人の事情」でそうもいかない事もあるのでしょうねえ。それなのに視聴者からは責められて(え、わらわ?責めてないし)。枠の中で葛藤してらっしゃいますか。さぞや気苦労が多いこととお察し申す。


つい最近知ったんですが、大河ドラマって歴史劇じゃなくて時代劇なんですって!小説で言えば、歴史小説ではなくて時代小説ということですな。

大河には、「このドラマはフィクションで事実とは…」のテロップを流したらどうかという話もあるそうです。私はそこまでする必要はないと思うんですが、歴史にあまり詳しくない人達の中には大河は史実だと思って見ている人が意外にけっこういるし(ウチの両親や同僚達もそう)、あと、歴史に詳しい人でいちいち「ご指摘」をしてくる人達(そんなこと私は、しとりゃーせんからね、ホント)もいるから、みたいですのう。

大河ドラマはフィクションであることを思い出して、あーだこーだと皆で話しながら楽しく見ましょう。これは自分に言ってるのである。「いくらフィクションでも説得力ないなー」とか「登場人物の生き方に共感できんな~」という人(わらわ)は見なきゃいいだけです。


と言いながらも、さあて、大河「江」では、世継問題をどう描くのかな?お江さんは次男の国松(忠長)を異常に贔屓しますよね。昨今の大河のパターンでいくと、チーム家光&春日局は悪役かな。そして、最後は、「いきなりですが、実は皆いい人でした」かにゃ(苦)。


ほな。。

cat コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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