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2011年2月23日 (水)

戦国時代の「ウズマキかわらけの謎を解く」展

昨今の中世城郭研究で力を入れられている「かわらけ」に、ちょっと興味があった。

▲ 「かわらけ」とは?

素焼きの土器のことである。戦国時代ドラマで、出陣前の三献の儀の後、ハシッと酒器を床に打ち捨てるシーンをよく見るが、あれも「かわらけ」である。

山のお寺に行くと願掛けで「かわらけ投げ」をさせてくれるところもある。私の何十年にもわたる親友に、あまりに願をこめたので力(リキ)が入り過ぎて、テヤッ!と投げたつもりが足元にたたき付けてしまった者がおる。いや、ただ単に手を離すのが遅いだけなんだが、周りの観光客には大ウケじゃった。


「かわらけ」は、片や下々が日常使う雑器として、片や神社や公家や武家などが、神事や儀式、おもてなし、また、燈明皿などとしても使われていた。

「かわらけ」は素焼きのままなので長い使用には耐えない。だから逆に、城跡などの調査としては非常に参考になる。長く使う物だと、発掘されても、その城が機能した年代を推定するのに場合に寄っては百年位の差が出てしまうからだ。

「かわらけ」研究については、昨年「多摩のあゆみ」の後北条特集で梶原勝氏が書かれたものを拝見してはじめて知り、ほへぇ~面白い話だわ~と思っていたところ、年末に拝聴した「小田原北条氏の城郭、発掘調査からみるその築城技術」のシンポジウムでも宇留野主税氏が触れてらして、ちょっと興味がでていたのだ。


そんな時に、グッドなタイミングで、横浜歴史博物館で開催されているこの企画展のことを、さる(秀吉ではない)山城レンジャーの方が教えてくださった。「小田原城から出土した、天文22年の年号が刻まれたのも出てますよ」と。

年号が入った「かわらけ」というのもあるのか。しかも、小田原で天文22年!北条氏康の頃ですな。こいつぁ見なきゃ女がすたる(すたるか?)ので、先日、残業調整で早く上がれた日に見に行きまいた。


▲ 「かわらけ」の面白いとこ

「カラオケ」と言い間違えそうになるとこ・・・ではなくて、

「カラオ・・」いや、「かわらけ」の形状には時代によっても、戦国大名家によっても違いがあるそうだ。この企画展では、時代別、家別(公方家・両管領家・後北条家など)、城別(各家の本城から支城まで)に展示されていたので、その違いが解りやすかった。まあ、なんてったって後北条家の形状が一番シャープで、キリリと垢抜けていましたがね~。


▲ 地位の上下によって、手びねり(手づくね)かロクロかの差かあるらしい

格式が高いのは「手づくね」。足利公方家は当然、手づくね。扇谷・山内両上杉や後北条家をはじめ戦国大名家でも、宗家は、手づくね。以下はたとえ城主でもロクロ作り、というのが基本らしい。八王子城やその他各家の支城からも「手づくね」が発見されているが、それらは当主から下賜されたものだということだ。


▲ 使う土(つち)によって格式が違う

「かわらけ」にはほぼその土地の土を使う。関東の土は焼くと赤茶色になる。私達が土器として思い描くあの色だ。先日の「江」で柴田勝家殿達がお酒を飲んでいた「かわらけ」は色がかなり濃かったですな(←もう知ったかぶり)。

一方、鎌倉や横浜の寺(金沢八景・称名寺)などから、平安~鎌倉時代にかけての、白色の「かわらけ」が発見されている。こちらは「白かわらけ」といわれるものだ。

鎌倉から京都に「ご接待に使うから、至急かわらけ送ってちょ」とお願いした文書なども残っていて、「白かわらけ」はブランド物であったらしい。


前北条時代に坂東でもチャレンジした「白かわらけ」が、三嶋大社や、以前このブログでも書いた箱根神社・伊豆の前北条氏館跡などから出土されている。

これらは伊豆周辺の土で焼かれたそうで、白くない。京の「白かわらけ」と並んで展示されていたのでよく分かるが、染井吉野のような、うっすらほんのり桜色なのだ。 「ピンクかわらけ」と呼ばれるそうだheart。京より格式は下がるので、手づくねではなくロクロ作り。この「ピンクかわらけ」、私はけっこう気に入ってしまった。


▲ 「ウズマキかわらけ」とはなんぞや?

さて、今回の企画展のメインテーマは「ウズマキかわらけ」である。

「ウズマキかわらけ」とは、器の見込み(内底)の部分に渦巻き紋の彫りがある「かわらけ」である。渦巻きは、ロクロ目とは明らかに違っていて、中には渦巻きのグルグルが後北条の畝掘りにあやかって(←ウソ)畝状に盛り上がっているものもある。渦は右巻きのも左巻きのもあった。

「ウズマキかわらけ」は、主に、扇谷の上杉の勢力下の城、河越・江戸・丸山などから発見されていて(山内関係から出ないというわけでもない)、「ウズマキかわらけ」は「扇谷上杉氏のかわらけ」とする見方が主流だそうだ。少し前に話題だった杉山城から検出の「ウズマキかわらけ」も展示されていた。

Image12241 ~チラシより~

▲ なぜ、渦巻?

たくさんの城跡から発見された「ウズマキかわらけ」達を見ていて、ある物を思い出した。利き酒や試飲をする時の、見込み部に青い渦巻きがある白いぐい呑みである。

器に白い色を使うのは、お酒の色を見るためだ。最近は日本酒の利き酒もワインのようにグラスを使うことも多いが、その場合も色を見るのに下に白いナプキンや紙をあてる。

では、青い渦巻きはなんだろう。以前に漆器や陶磁器やワイングラスなどを扱う仕事をしていた時、お酒の学校へ行っていた。その教本を引っ張り出して調べたところ、青い渦巻きはお酒のクリアさをより  見るためではないかとある。青色は便宜上で染付にしたとしても(それとも他に意味あるのかな?)、渦巻きでなくたっていいのではないかとも思う。


▲ 渦巻きである必要はなんだろうか?

渦巻紋は縄文土器などにも施されていて、そのあたりから考えると、「永遠」とか「生命力」とか「神聖」とか「魔よけ」の意味があるようだ。神事や儀式に使われることが多かった「かわらけ」は、渦巻きのその神秘にあやかりたくてグルグルを付けたのだろうか。

全然違うかも。またまたマリコ・ポーロ的妄想でござる。


▲ オマケかわらけ

小田原城から出土した天文22年と刻まれた「かわらけ」を見ましたよん(教えてくださりありがとうござる)。天文22年。越後のお屋形様がご上洛した年ですな。ロクロではなく「手づくね」ですから、完全に当主・氏康殿が使ってますよね!それとも神事用かな。これ、欲しいんですけど。


葛西城から出土した「金箔貼りのかわらけ」があった。「かわらけ」と「金箔」もミスマッチね。葛西城は一時、扇谷のものだった時もあるようだが、この「かわらけ」は後北条型なので、北条がサルに感化されて金箔貼りにした?なんてことはないに決まってるが、何に使われたのかな。


北条氏繁が息子の氏勝に与えた「出陣次第」の中に、出陣と帰陣の時に用意すべきものとして、絵入りで折敷の上の「かわらけ」を含めたテーブルコーディネートがあった。呑み方などの作法も書いてあるそうだが、この絵は氏繁殿が書いたのかしら。


先にブログ記事で書いた、小田原城の幸田口から「漆塗の弓」と共に検出された銅製の「笄」が、小田原城発掘品コーナーに「かわらけ」や漆椀や陶磁器に混じって展示されていた。それも、何の説明書きもなくポソッと。。。もう一度じっくり見たかったので私は嬉しかったが、「もったいないから説明書きをつけた方がいいと思う」とアンケートに書いてまいった。


てなことで、「かわらけ」ばかりを見るマニアックな「かわらけ」展だったが、「かわらけ」に囲まれて自分も400年前に埋もれてしまったような気分がして結構おもしろく、長居してしもうた。


企画展は、3月21日(月・祝日)まででござる。サブタイトルは「茅ヶ崎城跡と南関東の中世城館」なので、茅ヶ崎城跡の発掘報告も充実。私は時間がなくて行けなかったが、茅ヶ崎城は隣の駅なので一緒にまわるとより楽しそう。


ほな。。

cat コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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