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2011年3月 5日 (土)

BS日本の城ミステリー「江戸城」

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~某ビル(別に秘密ではないが)の屋上より~


土と木だけが残っている戦国時代の城跡が好きなので、近世の建造物が残っている(復元・復興された)城跡にはいまひとつ興味が深まらないのですが、坂東三津五郎さんが好きなので、この番組は 一応は 見ていました。しかし、今宵(3/4)は「江戸城」。中世の江戸城といえば太田道灌と後北条。これは ちゃんと 見なければ、ですよね。


ちょっと興味を持てたこと、中井家

思ったとおり番組では後北条にはまったく触れず仕舞いでしたが、徳川家お抱えの番匠(大工)・中井家の子孫の方が出られたのはちょっと面白かったです。私、石工や番匠や工芸などの職人の話が好きなので。

中井家は、配下に一万人の大工を従え、大工のネットワークを作った家なんですってね。当時の最高レベルの技術を持ち(そりゃそうだ)、その鉛瓦の開発により瓦の軽量化をはかり、大きな天守を造ることができるようになったと、お話してらっしゃいました。


もうひとつ興味を持てたこと、外堀

江戸時代の江戸城スキーには当たり前のことだと思いますが、江戸時代の江戸城に興味がない私は、あの外堀が約100mもの幅で14kmもあったということを今回知りました。数字で表されるとあらためてその巨大さを認識しますね。

でも、その外堀の発想の元は後北条の小田原の総構えでしょ。城番組なのですから、それぐらいは番組で紹介してほしかったですわね。コホン。


しかし驚くのは、それが約半年で出来てしまったこということです。日本中の大名家に持ち出しでやらせたんですからねえ。短い期間で徳川家は大変な力を持ったものです。いや、違うか。長~い年月をかけて着々と培ってきた力ですかね。

みんな早く終わらせて、早く帰りたかったんだね。滞在が長引くほど経費がかかる。家康殿の思うつぼ。


ちょっと、ムッとしたこと

「それまで辺境の地であった江戸を、家康の力で変えていった・・」とナレーションが言ったこと。

そうでもないですよねえ。「辺境の地」とは、それこそ、天皇さんがいらっしゃる京の都を中心とした近畿圏の武将達がメインの歴史観からの見方で、当時の江戸もたくさんの大河が通り、流通も盛んで、戦国時代もかなり機能していたと思うんですよ。それを、未だに言うかなあ。

確かに、家康が入府してから江戸は急速に発展したでしょうが、それは江戸に限ったことではなく、どの城下町にも「時代」がもたらしたものだと思うのです。まあ、その泰平な時代の元をつくったのは家康殿と言えないこともない。


最後に三津五郎さんがおっしゃいました。

「江戸は日本最大の城下町。この城が東京に残っていて良かった。」


そうか・・・。それは本当にそうだと思いました。私も江戸に住んでいるので、東西南北どこへ行くにも普通にほとんど江戸城を横目で見ているんですね。

これは凄いことであります。気づかせてくださり、三津五郎さん、ありがとうございますでございます。


以下、BS日本の城ミステリーより。

「安土城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/bs--3249.html
「高知城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-2245.html
「熊本城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-7233.html


ほな。。

コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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