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2011年4月21日 (木)

東京にある、今川氏真と早川殿の菩提寺

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東京の杉並区には「今川」という地名の場所があります。その2丁目には、ある有名な一族の菩提寺があります。

我らが北条の、ある時は近しい親戚、またある時は敵、そしてまたある時は同盟国。しかしてその正体は…。そう、名にし負う戦国の雄、海道一の弓取りの家、今川家でありまする。住居表示で分かっちゃいましたか。


信長によって義元殿が討たれた後、今川家は一気に廃れていきます。次の当主となった嫡男の氏真さんは、信玄や家康に追われることとなりますが、この時、我らが殿・北条氏照どのも、兄上・氏政殿と共に援軍として行ってあげています。

しかし、小物なのか大物なのか、へっちゃらりん大魔王の氏真さんは、ある時はご正室の実家である北条に身を寄せたり、またある時は家康の世話になったり、そしてまたある時は父を討った信長に蹴鞠の技を見せたり『信長公記』 たりと、駿河から掛川へ小田原へ京へと高等遊民生活を送ります。

その後は家康殿の元でちょっと戦に出たり、たくさん遊ばせてもらったり。たりだらけですが、この方、まるでお公家さんみたいな身の処し方をする人ですね。

最終的には徳川政権の下で取り立てられ、享年77才と長生きされましたそうな。


氏真の正室は、四代当主氏政や我らが八王子城主氏照達の姉上で 早河殿 とおっしゃいます。早河殿は、夫君の高等遊民の旅に最後まで付き合っています。

早河殿は最初に北条に逃れてきた時に、よくそのまま留まらず氏真さんと共にまた流浪の旅に出たものです。氏真殿とはそこでサヨナラして一族の元に残ったってよかったはずです。氏真さんへの愛が強かったのか、自分達に対する実家の何かが不満だったのか(武田と手を結び、今川の駿府奪還に手を貸してくれなかったととかね)。それとも、小田原には居場所がなかったのか…。


そういえば、同じく氏照どの達の妹で、武田勝頼に嫁いだ桂林院さまも、北条に戻らず勝頼さんに最後まで寄り添い共に相果てていますね。


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~観泉寺~

杉並区にある、今川家菩提寺「観泉寺」は西武新宿線の上井草駅から徒歩15分位。開基は、義元殿から数えて三代目当主・今川直房(範英)だそうです。

お寺の縁起には、
「江戸時代には・・・知行所として上・下井草、鷺宮、中村などを給され・・・」
「また、観泉寺は今川氏の所領支配の中心でもあり・・・この周辺の今川という地名も今川家と観泉寺のかかわりに因むものです。」
とありました。

敷地は今でも広大で、寺域を道路が走り、京都五山か鎌倉五山かというくらいの風格をかもし出している立派なお寺です。トップの写真の場所から表門までも徒歩5分はあり、お寺の東西南北では番地も違いました。


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~墓所~

累代の墓所は東京都の指定旧跡となっていて、一般の檀家さん達の墓地の一画に塀でくくられてありました。ひときわ目立つ中央の2基の宝篋印塔が早河殿と氏真さんのお墓です。

案内版がなく彫られた文字も判読不可能でどちらがどちらか分かりません。ゆえに真ん中でお参り。

「早河様(と、呼びかけてから)、これからもあなた様の一族を追いかけさせてくださりませ。よろしゅうお頼み申しまする。あ、一族って、ご実家の方のことです。bleah


今川家の菩提寺としては、同じく杉並区の長延寺があります。私は今川の追っかけではないのでこちらまでは行っておりませんが、観泉寺と同じく、今川直房が葬られたとあります。何故こういう次第になっているのかは分かりません。どちらかがお墓で、どちらかが供養塔なのですかね?毎度の繰り返しで恐縮ですが、どうも寺社仏閣の縁起はよく分かりませぬ。

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~観泉寺の寺内~

本堂前に大きな大きな桜の木がありました。写真を撮ったのですが、真っしろしろ。桜の写真はむずかちい。モミジも多く、秋も美しそうです。


ちなみに、江戸時代の後北条家の菩提寺も東京にあります。港区広尾の「祥雲寺」です。現ご当主が宗旨替えされたので青山墓地に引越しましたが、素晴らしい宝篋印塔が2基、ご住職の配慮で処分されずに残っています。(黒田家の菩提寺でもあり、長政殿達のお墓もある)。よろしければ、下記。


「今川家の当初の菩提寺 萬昌院」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/
「北条五代の娘たち④今川氏真室~戦国の高等遊民夫妻
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-9cbd.html
「東京にある、江戸時代の北条家 菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-72d6.html

駿府に、北条早雲こと新九郎さんの姉上・北川殿の菩提寺と、氏規さんの人質時代の屋敷跡などを見聞した時の記事
「駿府で暮らした、早雲の姉と北条氏規」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-5a23.html

「駿府 「臨済寺」の特別公開」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-2e50.html


では。

cat コメント欄をもうけさせていただきました。公開はいたしませぬので、ご感想なりいただければ嬉しいです。いただいたコメントにはお返事させていただいております。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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