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2011年5月24日 (火)

小田原藩相馬家、菩提寺

近ごろ、我らが殿、八王子城主・北条氏照どのの北条最後の頃のように小田原ばかりに行っている。その上、今回は戦国時代ではなく江戸時代のこと。江戸時代の小田原にはあまり興味がないが、「相馬家」とくれば話は別。

先のブログ記事で少だけ調べたことを書いたが、小田原藩の相馬家は相馬の大元である下総相馬の系列らしい。その後、古河公方の奉行 → 後北条家の重臣 → ちょっとフラフラして → 徳川親藩大久保家のスペシャル待遇家臣 → 明治となった。

菩提寺のご縁起や説明板などを読んでみたかったので、「北条ウィーク」の午前中、ちらっと誓願寺へ寄り道。

Photo_2
~誓願寺~

誓願寺は、小田原市内のど真ん中、浜町にある。お隣は、店先で魚を干している魚屋さん(お土産にどーぞ)。まわりは庶民的な商店や住宅で、寺前の通りの名前はそのまま「誓願寺通り」。


大概お寺の墓地は出入り自由だが、誓願寺は柵扉がしっかり閉まっていて中に入れないようになっている。もちろんお寺の中には入れるし、墓地の周囲は低い柵なので中をうかがうことはできる。

残念なことに、お寺さんの縁起には相馬家のことは書いてなく説明板もなかった。相馬家は小田原藩というものの中で歴史ファンが墓詣でなどに訪れるほど有名ではないので(ご無礼)、まあ、そんなところなのでしょう。だからお墓もたぶん他家の、といっても歴史の長い家が多そうだが、そういう他の檀家さん達に混ざって奥の方にあり分からないだろうな、と思っていた。

と、思っていたが、境内に面した一番手前に古い宝篋印塔や墓石が、ただならぬ雰囲気を醸し出しながら一塊になっている一画が。

わらわは近眼なので眼鏡を取り出し(←不審者)、そこにある新しいお搭婆の文字を読むと、相馬家うんぬん・・・。あらっ、相馬家ではないですか!


相馬家に縁もゆかりも、ましてや、北条みたいに追っかけをしているわけでもないワタクシが、相馬さんちのお墓参りをするのも意味不明なのですが、これも何かの縁と柵の外から手を合わせさせていただいた。


さて、誓願寺にはもうひとつ有名な方のお家のお墓がある。これも前にちらと書いたが、幕末、小田原藩も揺れ動いた。箱根あたりを中心に戦もあった。この小田原戦争での藩の始末の責任を一身に負い、自ら割腹した、岩瀬大江進殿のお墓がそれである。こちらは柵の外からは分からなかった。

岩瀬一族は、度々家老職を勤めることもあった大久保藩の重臣の家で、市のHPによると、「岩瀬家文書」といわれる貴重な文書類も多数お持ちだそう。

小田原の街は見逃せないところばかり。あなどれませぬのう、小田原。


horse またまた相馬野馬追のこと

小田原藩とはほぼ関係がないが、約700年近く前に下総相馬から離れた奥州相馬(江戸時代は中村藩)のこと。

5月20日の河北新聞に、南相馬市の桜井市長が、今年の野馬追は予定通り行う方針であるとおっしゃった記事が載りました。

今月下旬か6月上旬に執行委員会を開き、関係者の意思を確認するとのこと。

今、祭場地は緊急時避難準備区域に、相馬小高神社は警戒区域内となっているので、行事や神事をどこでどのような形で行うかが課題であり、「(原発から30キロ圏外の)相馬市だけですべて行う、という形にはならないと思う」とのことです。

開催(予定)は、7月23~25日。


では。。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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