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2011年7月25日 (月)

後編~天正18年の小田原へ、歴友と時間旅行

後編なり。

さて、
伊勢新九郎さんこと北条早雲像 → 香沼姫さまのお墓 → 御前曲輪の敷石遺構 → 小峯の大堀切 → 稲荷森の堀 → 八幡山の堀切上・小田高脇 → 東曲輪
と、古郭を巡りまわりし後、報徳神社の堀切を見つつ現代の城内へ入る我ら二人。


江戸時代~現代の小田原城への正規登城口は「馬出門」である。しかし今日は江戸時代ではなくて天正18年にいる。とすると、箱根口から歩いてくるのが理想ではあるが酷暑の中だいぶバテてきた。遠回りは辛いゆえ、この際、何時代でもいいやね。ショートカットさせてくだされ。

関東大震災で崩れしままの石垣の脇を通り(この道わりと好きなの!)、江戸時代の馬屋曲輪跡へ。このあたりだって、北条時代の遺構の上なのだがビジュアル的にはすっかり江戸時代なのでスタスタ歩く私達。


現代の復興(復元)建造物が建ってしまうと、私にとってもうそこは「現代」であって、どうも過去の妄想が出来ない。これは、歴友サユリさんも同じなのだと思う。

それに、サユリさんは関西の方。大阪城はじめ、地元の城や各種宮殿・寺社仏閣などなど凄い復興・復元建造物を日常的に見ているので、ほぼ何も無い古郭に比べたら、天守閣側の復興物に関しての感動はほぼ無いに等しい・・・のではないでしょうか(聞いてないですが)。


江戸時代の馬屋曲輪にある、昭和初期のノスタルジックな素敵な建物(旧城内小学校の図書館にも使われた?らしい?)にある二の丸観光案内所に少々立ち寄った後は、ランチ休憩でござる。


▲ 馬出門で誰何(すいか)をうける

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~一昨年完成した復元馬出門。閉まっているところが見たい。(以前撮った写真)~

「これを、何と呼ぶか?」

一瞬城の外に出て(なぜ?)、また馬出門をくぐり入城しようとしたところ、唐突にそこにいたオジさまに問いを投げ掛けられた。

「おわっ!江戸時代の小田原城に入るには、質問に答えられないとだめなのか!さすがファンタジーワンダーランド江戸時代のラビリンス小田原城!」と、スフィンクスに出会った旅人のように身構えるサユリンとマリリンの2人の旅人。

オジさまが指さすは足元の砂利(じゃり)。へっ?砂利っすか?
「砂利にて候」
恐る恐る応える(いらえる)サユリン。

「ちゃうちゃう、これ」
あー、砂利が流れないようにガードするナニじゃな。でも何ていうか知らないし。これで登城はかなわぬな~と思ったら、親切なスフィンクスは教えてくださった。

「砂利おもい、っていうの」
「砂利・・おもい・・・」と、お江さんのようにオウムガエシするマリコ・ポーロ。

そういえば、お江さんの台詞って何故いつも相手の台詞のオウムガエシなの?いや、あれから見てないですけどね。

話を戻し、
「砂利重い?」と暑さで朦朧状態のマリコ・ポーロ。
「ちゃうちゃう、思い。砂利・思いheart01


戦国時代にも江戸時代にも関係ない問答をし、どうにか馬出門をクリア。小田原城は、てんやわんやの大騒動~。いえ、ですから見てないですって。

なかなかランチにありつけないのが江戸時代の小田原城。

このオジさまは小田原城のガイドさんだった。「次に来る時は案内させてね~。」
あい分かり申した。


▲ 本丸茶屋にて妄想話の花が咲く

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~本丸にあった象のウメ子さんのおウチの跡には、レリーフが建っています。上段は小田原城についての説明板。下段がウメ子さん。~

ランチも行きたいところは山盛あれど、移動時間がもったいなかったので本丸茶屋にした。

やっとお昼だわ。やれやれ ヨッコイショウイチと、本丸茶屋の昭和の天守閣を見上げる特等席に腰をおろし、冷た~いお酒と「冷やし北條うどん」でひと息。「北條うどん」とは、地元小田原の 梅干しと蒲鉾がトッピングされたおうどん。いと美味しいが、いと少量にて、焼きオニギリを追加。


武田勝頼ファンのサユリさんとは、歴史妄想話を始めるとやめられない止まらない。

甲相同盟の私達は、武田勝頼と北条夫人の最後の時の話や、北条夫人の願文の信憑性や、八王子の町を作った旧武田家臣・大久保長安が、松姫さまを頭に武田家再興と幕府転覆を企てて千人同心を組織し八王子城に甲州金を隠した妄想や、某?歴史小説や某時代劇とは言いたくない時代劇の悪口などなどで盛り上がる。

こういう話をしていると、楽しくて限が無いわねえ。

大久保長安の甲州金の妄想をした時、松本清張の「異変街道」を思い出した。あれは、江戸初期のことではなかったわよね?


▲ 小田原城天守閣にて大妄想

しょえ~!そうだった。ここ、エアコンなかったんでありんした!でも、大丈夫。海から山からの風が吹きぬけて涼しいから。

空調・ミストシャワー完備、CG映像使いまくりの近代的な大阪城や会津若松城などに比らぶれば、いとレトロなり小田原城。

しかしです!
縦格子窓から見えるのは青い蒼い相模の海。中を吹き抜ける少し塩の香を含んだ自然の風は、いかにも我らが北条は湘南ボーイだったことを実感させてくれるでしょ。


大河「武田信玄」では、氏康殿が最後、祖父・早雲公や父上・氏綱公に比べ「なんと己は地味な存在だったか・・。何も出来なかった・・」みたいに越し方を振り返るのも海を眺めながらだったし(たしか、刀を海に投げたわよね?)、「風林火山」の氏康公が勘助に「お酒は夜飲まない」の話をしてたのも、海鮮バーベキューをしながらだったでしょ。(この二人の北条氏康よかったよね~。)

各地の支城に派遣された当主の弟くん達もそうだっただろうが、天正18年、高野山に流された五代当主北条氏直はじめ一族郎党達は、どんなにこの青い相模の海を懐かしく思ったことだろう。

030~天守閣から海側を見たところ~

そんなことを考えながら天守閣から海を眺めていたら、

「全ては余が至らなかったせいじゃ」
との声。
振り返るサユリさんとわらわ。

あ~、な~んだ氏直さんか。

「早雲公より続きし我が北条を、余が不甲斐ないばかりに終わらせてしまった・・」

「氏直さんのせいやあらへんねんて。時代の流れやわ。」
「氏直さんは色々頑張ったじゃない。パパや叔父さんを説得したり、氏房くんを通して宇喜多さんと和睦交渉したりねえ。」

「それに、北条は無くなったりなんかしてへんやん。河内に一万石で残ってはるねん。」
と、氏直さんを慰めるサユリンとマリリン。

「でも、結局は、叔父上様(氏規くん)の家に取られちゃったわね。」とキツイ一言。「ね、ね、ね、あれって、ほんとに叔父上に毒殺されたの?」

「あ、それから、ここ(小田原城)と水之尾(宇喜多秀家陣場)の間を地下通路で繋げたってホント?そこを通して和睦交渉したり、江川酒や蜜柑の差し入れ交換してたって本当?」

「せやせや、それからな、お父上な、石垣山に城が現れた時、なんじゃあれはっ!って、やっぱり本当に言わはったん?」

「あ、あと、氏照どのは最後かなりお悪くて、田村先生のお屋敷で臥せってらしたかもしれないって、ほんと?」

「そんなことよりなにより、氏照どのってどんな方?今の芸能人に例えると?(←知らないって氏直さん)」

マリリン・ポーロとサユリンのホント攻撃に、氏直さん恐れをなしたのか、
「お、そろそろタイマーが切れるゆえ戻らなければならぬ。しからば、これにて」

シュワッチ!

あとには、焚き物の床しい香が残るのみ・・・

ちっannoy


しかし、いい風だ。かつて北条一族だけではなく稲葉さんや大久保さんも、同じ風に吹かれたんだろうな~。


私はここに来ると必ずしばし眺めるのが、小田原が日本中の戦国武将に囲まれている図である。これ、大好き。えっ?北条ファンなのに何故これが好きなのって?

素晴らしいではないですか。ひとつの家を終えるのにここまで豪華なフルキャストに囲まれた家がありますか?

たとえサル殿下が自分に対する服従心を試すためものだったとしても、たとえヤル気がなかった家が何件かあったとしても(by サユリさん。ウケた~)、戦国時代の一大フィナーレがここ小田原の天正18年にはあるのですよ。いえいえ、天正18年で終わらせてはなりませぬ。歴史は続けて考えなければならいんだって。

いや~、しかし小田原は、天正18年につきるねえ~と、またまた思い入れ過ぎのマリコ・ポーロである。


▲ 甲冑展

Image949~図録~

天守閣にて日本甲冑武具研究保存会創立50周年特別展「戦国から近世の甲冑」を拝見。小田原城天守閣の企画展とは思えないくらい(失礼、だっていつも絵とか写真とかお花なんだもん・・)見ごたえがあったわ。

甲冑を見るといつも思うのだが、江戸期の甲冑に比べると、やはり、戦場をくぐってきた甲冑には迫力がある。もちろん、お江さんではないが「戦はイヤ」にござりますが、戦国時代の武将達にとって甲冑は死装束。美意識の結晶とか、工芸に対する造詣の深さというよりも、己がいかに死ぬかを表すもの、つまりそれは、いかに生きるかという死生観を表すものだと思っている。

だから、明日の命をも知れない時代の甲冑にはその死生観をより感じ取ることが出来て惹きつけられる。

それに、江戸時代の甲冑って平安時代のものに似ていて美々しいが重たそうだし、戦国期の甲冑って、色々制約がある江戸時代のそれよりも個性的。もし、私が戦国武将だったら、前立ては虫がいいな。ムカデとか蝶とかね。虫がコワイくせに何を言っとる。だから死生観よ。

以上は、甲冑にまったく詳しくないわらわの私観にござります。

北条関係の甲冑がないのが残念だが、三鱗の「黒漆塗星散三巻形兜」は、誰の?

「甲冑展」は終わってしまった。もっと早くにブログでご紹介すればよかった。


▲ 歴史見聞館の、氏政&氏照の声を替えてください

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歴史見聞間は、軍記物に基づいた北条の歴史を紹介しているところ。影絵風な新九郎さんと風魔の「火牛の計」とか、立体紙芝居風「河越夜戦」とか。俗に「小田原評定」と言われているもののシーンは等身大(かな?)の人形が舞台で演じる風。イケメンの氏直さんと、イケジジの政&照。

この氏政殿と氏照どのの吹き替えの声がイヤなの。しゃがれたオジイさん声なんだもの。そりゃあ、長年戦場で戦ってきた人達の声だから、しゃがれているかもしれませんが、お年寄り過ぎ。まだ、51-2-3才位ですよ。

当時の50代はもうオジイかもしれませんが、イメージ的にりりしくない。「こりゃ、負けるに決まってる」って感じ。お願いですから、声を替えてくだされませ。


▲ 幸田口から下城。〆は、もちろん、政&照のお墓参り


炎天下の灼熱地獄。しかも小田原は海の町。一日中海水浴場にいるようなもの。好きでなきゃ出来ない。楽しかった~。歴友、北条注入され過ぎて大丈夫か!熱中症ならぬ北条症?

次は、攻める方目線で、「なんじゃ、あれは」の石垣山一夜城と、徳川陣場めぐりですよ。お昼も今度は海の幸ね。


あっ!重要なことを忘れていた!
去年、大阪城で最後「蛍の光」が流れたのに驚愕したマリコ・ポーロ。「さすが関西、サルの城」と思ったあと、小田原城でも流れることを知ってギャフン(←古い)となった。今回、サユリさんに、小田原城の「蛍の光」を聞かせて差し上げればいかった・・・。すこぶる残念。


以下、前編です。よろしくば、渾身の?ほたるの光の城についても。

「前編」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-26ca.html

「ほたるの光」が流れる東西境目の城はどこ?
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-bea6.html


では。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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