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2011年7月31日 (日)

「関東の名城を歩く」 ショック!

「南関東編」は私にとって身近な北条の城が多くて、夢中で読んでて寝不足ぎみ。おかげで本は線引きだらけ、付箋紙だらけの始末なり。

「あにゃ?」と首をかしげたり、「しょえ~、そうだったのかあ」と愕然としたり、「ほぉ~、知らんかったんとってん」と勉強になったりしとります。まあ、ほとんど知らんかったんとってんですが。


この本に書かれていることは、文献・考古学・縄張りなどの全てが今の時点で私達が知りうる最新の説や調査内容だと思ってしまいますが、読んでいくとどうもそうでもないようですね。

いや、もちろんほぼそうだと思いますが、例えば縄張図。私にはとんと分かりませんが全てが最新のものではないそうですし(江戸期のであるとかの意味ではないですよ)、また、これはもう少し検証を詰めたらもっと新しい事がド~ンと発表されるなと思える城があったり(私の考えすぎ?)します。


また、例えば、複数の某城々にかかわる某一族の動きや、某城主の入城時期などに関して、執筆者によって真っ向違っていたりもします。その上、そのページが続いているもんで、読んでるこちらがハラハラドキドキしたりとスリルとサスペンスな城本でもあります。


それもこれも、これだけたくさんの研究者の方が揃い踏みして執筆してらっしゃる本だからこそなんでしょうねえ。編者の先生方や出版社の方達もご苦労はあったでしょうが、それが報われて北関東は増版、南ははじめから部数を増やしたとのことで、よかったです。


そして!
我らが殿・北条氏照どのの本拠地・八王子城や弟くん・氏邦さんの鉢形城に関して、・・・文献資料によれば、「小田原合戦以降で江戸幕府開府以前の再普請」が想定され、それは今後の課題である・・・と、ついに八王子問題となりそうな提議がなされてしまいましたね。

もし、その想定が当たってしまったら、私にとっては杉山城とは比べものにならないほどの「ショック!」であります。

だって、私が北条にはまったのもブログを始めたのも、八王子城に出会ったからなんですよ。八王子城に初めて行き、発掘された遺物の写真も見(その後江戸博で本物を見た)、「この城を造った人が知りたい」と思ったことからですもん。

氏照どののお導きと思っていたものが、タヌキ内府殿や大久保のオヤジの(知らないけど)お導きだなんて。そんなんいやや~~。だから長安が武田家再興のために甲州金を隠し埋めただけですってば~。

003_2

でも、私がビビビッときたのは、この↑石垣です。この石垣が柵門台までず~っと続いていたことを想像したことからです。この石垣は氏照どのの仕業ですよね?なにも、タヌキ殿や長安のオヤジがこの石垣の道を上まで造る必要ないですもんね!大丈夫ですよね!ね!

しかしまた、これからの研究の成果が待ち遠しくもありますな。あしだ曲輪の謎や、その先の御主殿との間にある「旧御主殿」と言われている場所の謎も解明されるでしょうか。でも・・・

どうか想定が外れていますように~。


小田原城のことは追って。
小田原城や石垣山城の執筆担当は小田原市文化財課の佐々木健策氏ですね。佐々木氏にはお会いしたことがないですが、書かれたものも読んでおりますし、シンポジウムも拝聴したことがあります。よかったです、小田原、佐々木氏で。

小田原・八王寺周辺の執筆者は下記。

檜原城・戸倉城・足柄城(竹井英文氏)
津久井城(野口浩史氏)
高月城・浄福寺城・八王子城・片倉城(土井義夫氏)
滝山城&河村城(齋藤慎一氏)

鉢形城は浅野晴樹氏、杉山城は村上伸二氏です。


では。。

コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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