城跡の幻影~八王子城
マリコ・ポーロ
『城跡の幻影~八王子城』
そういえば、そろそろ‘あしだ曲輪’に采配蘭(サイハイラン)が咲く頃だ。
例年より早く暑くなった6月の日中、ビルの狭間にかろうじて出来た日陰で照り付ける太陽を見上げながら、私はあの、城跡にぽっかりと空いた禁足地のような曲輪に群生する薄紫色の花を思い浮かべた。
采配蘭は、落城した城の激戦地跡の曲輪に、ちょうど落城した月の旧暦の頃咲く。珍しい花ではないが丈は20cm程で、戦の時に大将が振る‘采配’に似ていることからそう呼ばれる。
最近は小田原本城の方にかまけていて八王子の城へはご無沙汰していた。采配蘭を見に、久しぶりに城に行ってみようか…
~八王子城‘あしだ(あんだ)曲輪’の采配蘭(サイハイラン)~
その日はまた一段と暑い日で、霊園前でバスを降り家臣団の屋敷跡の炎天下をひとりテクテク歩く。まだ午前中なのに今日のこの暑さはなんだろう。これから三ヶ月もこれが続くかと思うとまったくうんざりしてしまう。
途中、氏照どののお墓があるところで立ち止まり、お墓まで行こうかどうしようか一瞬迷う。季節的に蛇や虫がいっぱいいそうだし、異常に暑いし、今日は一人だし。
そう。午前中だというのに横地堤を過ぎたあたりから、人っ子ひとり車一台出会わない。石屋さんの作業場にも人影がないようだ。
そりゃあ暑いものねえ。ガーデニングや畑仕事をしていたら熱中症で倒れちゃうわな。それにまあ、ここは中山さんちのお墓だし、来月の落城忌の時に「八王子城とオオタカを守る会」の皆とお参りすればいいわと、通りから手を合わせるだけにする。
暑さでヘバりながらやっと山下曲輪に到着。屋根が付いたというジオラマも見たかったが暑いのでこちらもパスして管理事務所へ向かったところ、やだっ!閉まっているではないか。この管理事務所には毎日ボランティアガイドさんが常駐していて、私は顔見知りも多いので城へ行った時は必ずここへ顔を出し、ひとしゃべりしてから登り始めていた。
もちろん、皆さんとお話ししたいということもあるし、また、一人の時も連れがいる時も「これから山に入るよ」という意味で一声かけ、万が一下りて来なかった場合は援軍を寄越してもらうためでもある。
ガイドさん達、今日はどうしちゃったのかしら?今日は誰のお当番の日だったかしら?
なんとなく、このまま帰った方がいいかもしれないとも思ったが、せっかくここまで来たし、最近は平日でも城に入っている人は多いし。あ、もしかしたら、ガイドさん達も案内で出払っているのかもしれない。それなら途中で会うだろう。それに今日は‘あしだ曲輪’だけで上までは行かないつもりだしね。
‘あしだ曲輪’の采配蘭が咲く場所は未だ私有地である。今はただの原っぱになってしまっているが、かつては麓の主要曲輪のひとつであり、城が攻められた時は激戦が繰り広げられた場所でもある。
「私有地につき立入禁止」の札もあるが、けっこう皆入って井戸を覗いたり、御主殿へ通り抜けたりもしている。私も、管理事務所から川にかかる小さな橋を渡り、「お邪魔します」と誰に言うともなく声をかけながら、進入を阻んでいる形ばかりの柵を乗り越え曲輪に入った。
采配蘭は今年もひそやかに誰もいない曲輪で咲いていた。
しばらく眺めていたが、不図(ふと)ここまで来てもまだ誰にも会わなかったことに気が付いた。
なんだか、広~く深~い城跡に私だけしかいないような気がして急に怖くなり、わざと大きな声で「さあってと、帰るかな。お邪魔いたしましたぁっ」と言いながら小走りで曲輪を出る。
帰りがけにちらりと管理事務所を見たが、やはり閉まったままだった。
汗だくになりながら横地堤を抜けると、やっと霊園にお墓参りに行き来する人や車や、植木の手入れをする人達がちらほらと見えはじめ、とたんドッと疲れが出てきた。
「こりゃあ、玉川亭で銘酒氏照を飲みながらお蕎麦でも手繰らなきゃもたないわ」と、駅前のいつものお蕎麦屋さんへ立ち寄ることにした。
「ごめんよっ」←?
と暖簾をくぐると、
「あれ~、久しぶり~」と相変わらず賑やかな女将さんの声。ちょっとホッとする。
銘酒氏照とざる蕎麦で一息ついたあと、女将さんと天気や地震などの話を少しする。
「そうそう、そういえば、冬のガイドツアーも終わっちゃったし、守る会の方達は最近いらっしゃる?」
と私。
「えっ?守る会って?」
と怪訝な顔の女将さん。
「お城の。八王子城とオオタカ守る会の。」
なおも不思議そうな顔で女将さんは、
「分からないわ~、いろんな人達が来るからね~。」
「ちょっと女将さん大丈夫?しょっちゅうここに集まっている会じゃない。いつも私が一緒に来ている人達よ。○○さんや○○さん達。ねえ大将。」
女将さんたらついに始まったかと、私は厨房にいるご主人を見る。しかし、同様に困惑の表情のご主人の口から出た言葉は、
「お客さん、いつもお一人でいらっしゃってますよねえ…」
「そうなのよ~。いつも一人でとても楽しそうにお酒を飲んでお蕎麦を召し上がってらっしゃるから、お蕎麦好きなんだね~って大将と話してるのよ。」
えっ?何を言ってるの?
私は、いつも…
二人の気の毒そうな顔を見てそれ以上言うことは出来ず、
「あ、そうそう、そうだった。他の店と間違えちゃった。なんせ暑くてね」
と取り繕うように言うと、二人も救われた様子で、
「ほんとだよねえ。こう暑いと勘違いもあるわよ。こっちなんか一年中勘違いだらけだけどさ~」
アハハと笑い合い、「じゃあまたねえ」と明るく元気に店を出たものの頭の中は混乱してしまっていて、動揺は治まらない。しばらくの間、店の前で「銘酒氏照」の文字が白地にぬかれた碧色の布看板を眺めながら、朦朧とした頭で考えた。
ある思いが浮かんでは「まさか」と振り払い、でも、またその思いは浮かび、振り払いたくとも振り払えないのである。
今一度お城へ行ってみよう。駅前で客待ちをしている地元のタクシーに乗り込み、再び城へ向かう。
「管理事務所の前までお願いします」
という私に、運転手さんは、
「管理事務所は、大学が引っ越した頃から使われてないんで誰もいないですよ。それでもいいですか?」
やはりね。
そういうことか…。
「ええ、かまいません。行ってください。」
管理事務所の前で車を降り、運転手さんには、すぐ戻るから待っててほしい旨伝えて歩きはじめると、心配した運転手さんが「危ないから」と少し離れて着いてきてくれた。
再び‘あしだ曲輪’に立って私は思う。
この城跡のことを隅から隅まで奥深くまでよく知っていたあの人達。当時のことをまるで見ていたように語ってくれたあの人達。420年前にこの城を守った人達のように、平成の今またこの城の自然や遺構を守ろうとしていた人達。
私が、この城のことをみんなに知ってほしいとの思いにかられブログを始めるまでになるほど、この城とこの城に生きた人々の魅力を教えてくれた、あの人達。彼らはいったい誰だったのだろう。
「市が整備に本腰を入れ始めてだんだん人が来るようにはなったけど、まだまだ静かなもんですねえ。」
運転手さんの言うように静かな静かな曲輪の、草いきれで陽炎がたっているような日の陰に群れ咲いている采配蘭。まるで、この城を死守した城将達が、いまだ無念の采配を振り続けているかのようだ。
揺れる采配蘭の上を、ひとつの黒い影がよぎった。空を振り仰ぐと、雲ひとつない真っ青な空を一羽のオオタカが悠々と羽を広げ御主殿の方へ飛んでゆくのが見えた。
日はまだ中天にあり・・・。
なーんちゃって
このお話はフィクションであり、実在する人物・団体とは一切関係ござんせん。
以前の関連記事です。
「落城した城跡に咲く、サイハイ蘭」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-d7ab.html
ほにゃ。
コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。
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