« 小田原の戦国時代・江戸時代の焼け跡 | トップページ | めざせ大河! 「北条五代観光推進協議会」 »

2011年8月27日 (土)

「関東戦国の大乱~亨徳の乱展」 & 天正壬午の乱

2016.2.6 加筆
天正10年、天正壬午の乱の前哨戦となる神流川の戦いが行われた神流川へ行ったブログ記事です。→「神流川の戦いの地へ!天正壬午の乱」http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-483a.html

Dsc_0019_21_2
~今年発刊された、山梨県埋蔵文化財文化財センター主事の平山優氏による著作 「天正壬午の乱」 (Gakken)~


オタクなタイトルでござる。でも、超簡単に書いたのでちょっと読んでみてくださればいと嬉し。というか、簡単なことしか分かっとらんのですがね。

小雨模様のサル日、滝川一益を関東から追い払うべくマリコ・ポーロは 神流川 を渡河・・・いやいや、群馬県立歴史博物館で開催されている企画展を見るため、カカア天下と空っ風と木枯らし紋次郎の国へ行ってきました。

「天正壬午の乱」といわれる、木曽義昌の武田勝頼への謀反から始まり、武田家滅亡から本能寺の変、フリーゾーンとなった旧武田領と上野の北条・上杉・徳川による奪取を巡る争乱、そして徳川家康の甲斐仕置までの2年間の局面が考察されています。全体を俯瞰しつつ、各勢力の動向が時間を追って描かれていて、頭の中でゴチャゴチャになっていたややこしいこの数年の時代が整理され、しかも小説のように緊迫感があって面白いです。


天正壬午(じんご)とは、天正10年のこと。‘壬午’とは、‘壬申の乱’の‘壬申’と同じで、天正10年の干支のことであります。天正10年とは、歴史が次の時代を迎えるための大きな事件がたくさん起こった年ですね。


神流川の合戦 北条 vs 滝川一益(信長方)

天正10年6月2日、織田信長が滅したとの一報は、厩橋の滝川一益には7日に、北条氏政・氏直の小田原には11日にもたらされた。小田原に知らせたのは、武蔵の深谷にいた、われらが北条氏照どの重臣・狩野一庵だそうだ。

後報は続々と日本中にもたらされた。当時は情報の確証をとるのは大変なことだったと思うが、北条は即日、「力になるからね~」みたいな嘘八百の気持ちを書いた手紙を一益に送り(一益もそんな手紙を信じたわけもないが)、翌12日には上野を奪い取るべく軍の動員をかけている。


神流川は、武蔵(埼玉・東京・神奈川の一部)と上野(群馬)の国境を流れる川である。この川をはさんで北条と滝川は対峙する。

18日、北条氏邦は神流川の武蔵側金窪原で深谷衆・忍衆と共に、滝川軍と合戦に及ぶが敗退。翌19日は、到着した北条氏直や氏照達の本隊と合流し再び激突。滝川一益は敗走する。


厩橋城(前橋城)

箕輪城に行きたかったのですが、時間が足りなさそうだったので、お屋形様(上杉謙信)の関東の駐屯基地でもあった厩橋城(前橋城)に寄り道しました。


3_21
~群馬県庁ビル~

群馬県は古代遺跡の宝庫なんですって。知らなかった。後方に土塁が見える。


5_31
~以前話題になった超高層群馬県庁ビルの真下なり。県庁ビルは江戸時代の本丸跡に建つ。戦国期の本曲輪は利根川に面した高台の方にあったらしい。~


Photo1_2
~群馬県庁の北東側に残る大土塁群(の一部)。反対側は利根川。♪利根の川風たもとにいれて♪~


徳川家康が「関東の華」と呼んだ前橋城。15世紀末から19世紀中まで続いた名城です。城は、長野氏のもの(?) → お屋形様のもの(北条 きたじょう) → 魔王のもの(滝川一益) → 後北条のもの → 徳川のもの(平岩→酒井→松平)と変わってきました。

松平さんが入城して18年後に廃城となり、前橋にはその後百年にわたって陣屋がおかれました。しかし町はさびれる一方。町の人達が協力し再び松平さんを向かえ、慶応3年、前橋城は再建されました。


えっ!慶応3年!?
歴史というのは容赦ないものですねえ。明治維新ですよ。廃藩置県です。

波乱万丈だった厩橋(前橋)城は、再建からわずか4年、ここに終わりとなるのです。


「どうせ遺構はほとんど残ってないんでしょ」 とスルーせず(実はわらわは、してた)、一度この厩橋城に立ち、利根の川風に吹かれながら四百年近くの間この城がたどってきた人生ならぬ‘城生’に思いを馳せてみてくだされや。

駅の観光案内所に寄ると、前橋城の素晴らしいパンフレットがいただけますよ。


「関東戦国の大乱」~享徳の乱、東国の30年戦争 in 群馬県立歴史博物館

Image9961

展示説明が、時系列に、両足利・両上杉・それを取巻く関東の武将達、それぞれの立場に分けてあって分かりやすかったです。

「里見八犬伝こそまさに享徳の乱を下敷きにした作品」の前説ビデオが、全国にまだ馴染みの薄いその時代に入りやすいかもしれないと思いましたわ。


常設の中世コーナーも私には興味深かったですし、古墳時代のコーナーも面白かった。弥生時代のところで、等身大のお人形さんがご飯の支度?をしているシーンの前で、小さな子供が「こわいよぉぉ~」とギャースカ泣いておった。

8月7日に講演会があったのですが、仕事が休めるかどうかわからず予約が遅れ拝聴できませんでした。9月4日(日)には展示解説ギャラリートークがありますよ。午後1時半~。申し込み不要。600円也。ご興味あらばお近くの方は是非。企画展は9月18日までです。


「享徳の乱」と「天正壬午の乱」は、関東一円とその周辺を舞台にした争乱であること、東国と西国が影響しあいながら大きな時代の変換へ繋がった争乱であること、また、歴史ファンにとってもまだ馴染みの薄い争乱であることなどで、とても似ているなと私は思いました。

はからずも今回は、戦国時代の始まりである「享徳の乱」と、戦国時代の終わりの遠因となる「天正壬午の乱」の一端、「神流川の戦い」に触れる一日となりました。


では。。

コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

|

« 小田原の戦国時代・江戸時代の焼け跡 | トップページ | めざせ大河! 「北条五代観光推進協議会」 »

4.その他の後北条ゆかりの地」カテゴリの記事

6.小田原北条以外の歴史のこと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「関東戦国の大乱~亨徳の乱展」 & 天正壬午の乱:

« 小田原の戦国時代・江戸時代の焼け跡 | トップページ | めざせ大河! 「北条五代観光推進協議会」 »