恵林寺で見た、松姫さまの手紙
~恵林寺(えりんじ)の四脚門。魔王によって全山焼かれたあと、1606年に家康が再建。~
仕事が立て込み今頃やっと夏休み。しかもたった3日間。しかもこの夏家族に野暮用の変があったっためまだ泊りがけはできず、得意の、北条の軍役よりキビシイ日帰り強行軍で甲斐へ行きまいた。しかも、ワインを飲みに。
「三増合戦まつり」の感激冷めやらぬ中、たまたま偶然、「甲州へワインを飲みに行こうか」 ということになりました。ワインが主目的とはいえ、三増を引きずっていたマリコ・ポーロ。そこは、武田信玄の菩提寺「恵林寺」に挨拶(お墓参り)にいかずばなるまいて。
信玄は三増から道志川を渡り上野原を抜け甲斐へ退きましたが、われら追撃隊?は江戸から行くので小仏峠を越えます(正確には、くぐります。トンネルなのでね)。三増の永禄12年、小山田信茂がわれらが北条兄弟・氏照&氏邦の城を攻める時にやって来た峠ですな。
そうこう妄想しているうちに、岩殿山城が見えてきましたぞ。むっ!小山田の城だ!
~スマホがアホで、タッチパネルのシャッターが反応せず全容が撮れてなかった。もっと左右に大きく威容を誇る岩城なんですよ。~
山梨は東京から近いこともあり、子供の頃から何度も行っておりますが、信玄の菩提寺である恵林寺は初めてです。想像とまったく違いました。かの有名な国宝・恵林寺です。瑞巌寺や善光寺のようにもっと観光地観光地していて俗っぽい寺町や参道なのだろうと思っていました。
ところが、甲斐の山々や葡萄畑に囲まれた静かなところなんですねえ。黒門で後ろを振り返れば、ひときわ高い富士のお山が望めます。
恵林寺は重厚で壮大で風格があり、でも、簡素で威圧感がありません。この上品さは、信玄の好みかなのか、夢想国師の好みなのか、徳川家康殿の好みなのか、快川和尚の好みなのか、柳沢吉保殿の好みなのか。連れや歴史ブログ仲間達の意見を聞いたところ、全票、柳沢吉保殿に入りました。わらわもそう思います。
ちなみに、快川和尚は、恵林寺が信長に焼き打ちされた時に、かの有名な「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」おっしゃり、約百人の僧侶達と共に火定(焼死)なさった和尚です。また、柳沢吉保殿の菩提寺でもあるとは、行くまで知りませんでした。
私なんぞ俗人は、まず心頭を滅却することからして出来ませぬわ。ハハハ。
しかし、いいお寺ですねえ。朝一だったので他の観光客の方もまばらで、とても広いのに落ち着けますねえ。借景となっている乾徳山もくっきり見えて美しい。夢想国師作と伝わるお庭を眺めながら縁に座り、しばし心を解き放とうとしました・・・が、またまた疑問が!
え?こちらのお寺は信長の焼き打ちにより全焼したのですよね?お庭は?つまり、早雲寺の北条幻庵の庭、高野山の秀次自刃の間などなどと同じこと?あにゃにゃ?
信玄(なぜか呼び捨て)のお墓や、武田二十四将のお墓も一応お参りしました。「北条軍ですが、今後とも何かと色々よろしゅう」 と。
三増を引きずっていたので、TKD24(AKB48ならぬ武田24、歴ブロ仲間のパクリ)の墓所では浅利殿の供養塔を探しましたが、ないですよね?ありましたか?何度もお墓マップを見ましたが見つけられませんでした。
朝駆けしたのでお腹がすき過ぎ血糖値が下がっていたので、参道で不味い(すみません)お団子を美味しくいただきながら(美味しくないものも、ありがたく美味しくいただこう)、一休みしたあと「信玄公宝物館」を見学。
~恵林寺の庫裏の天井。すごい・・・。ず~っと前から後ろまで眺めようとして後ろにひっくり返りそうになった。明治38年の出火で焼失後の再建。裏の原生林の木だそうだ。~
「信玄公宝物館」では、松姫様の消息文を発見!
松姫さまは武田信玄の姫。あんなことやこんなことがあって、われらが殿・北条氏照どのが引き受け、晩年は八王子で、武田遺臣や現代の八王子のオジ様達のマドンナとして暮らします。
松姫さまのことは何度も当ブログでご紹介していたので、ここでお会いできて嬉しゅうございます。マリコ・ポーロ、恵林寺で一番の萌えどころでした。秋山伯耆(武田の重臣。戦国の女城主といわれた信長の叔母さんの夫?)宛で、直筆ではないらしいですが、国境いの警備を依頼しているもののようです。強い人だわね。
いつ、どこから出したものかな?秋山殿は勝頼さんの元のいたらしいので、高遠城とか新府城にいた頃に出したのかしら?読めないから分からん。
松姫さまの書状を、
じーーーーーーーーっと見ていたら、近寄ってらした紳士が、「八王子の方?」と。まあ、そんなようなものかもしれないので 「はい」と応えたところ、こちらの館長さんでした。
なんで八王子って?まあねえ、松姫さまの書状を、じーーーーーーーーっと見てるのなんて、ほぼ八王子衆なのでしょうねえ。
それから館長さんと、武田菱や、雲峰寺の仏像や、風林火山や諏方法性の旗や、見旗盾無御照覧あれ!や、山梨の石の話で盛り上がり、色々教えていただき、長くなり長くなり・・・にあいなったぞなもし。
先の、夢想国師の庭と魔王の焼き打ちの疑問を館長さんに伺いました。館長さんはおっしゃいました。
・・・恵林寺が信長によってどの程度まで消失したのかは定かではないし、焼かれても、樹木はその後もまたそのまま育つし、借景の乾徳山は今も変わらない。北条夫人の願文(実は北条夫人が掲げたものではないといわれている)や、松姫の書状と同じく、「精神は夢想国師の庭」なんだと思いますよ。・・・
なんて素敵なお答えでしょう。私達観光客は歴史学者ではないですものね。そこに漂う精神性だってある意味「史実」ですよね。こういう考え方大好きです。胸がじんとしました。
というところで、さてと、ワイナリー巡りに向かうとしましょうか。
~勝沼ぶどう郷は、360度、見渡す限りぶどうだらけ。緑のところは全部ぶどう棚よ。~
♪甲~斐のぉ 山ぁやあま~ 陽にぃ映ぁえぇて~ ってか、と鼻歌を歌いつつ、勝沼で美味しいイタリアンと地のワインを堪能してるうちに、信玄追撃と「精神は夢想国師の庭」の館長さんの言葉に感激したことはすっかり忘れ、灼熱地獄の中ワイナリーを巡りました。
余談ですが、かつて輪島塗とか金箔とかにかかわっていた頃、一番長かったのが、リーデル(Riedel)という素晴らしいワイングラスを扱う仕事でした。その頃にワインや日本酒やシングルモルトなどを勉強するためにスクールにも通っていました。
リーデルのグラスの効能?は追々書きたいとは思っているのですが、そこで知ったことは、日本のワインの醸造技術は世界一だということです。ただし、土壌とか気候とかがなかなかワイン用の葡萄の生育には難がある。だから、逆に醸造技術が発展したのかもしれませんね。そして、手間がかかるので価格も高い。
日本のワインは、どうもベタついて甘いと思っている方もまだ多いと思います。それは、食用の葡萄をワインに使っていた昔のワインのことで、今はほとんどがワイン用の葡萄を使います。
それに、価格も随分リーズナブルになってきています。まあ、昨今はスーパーでチリやカリフォルニアのワインが600円位で手に入ることを考えればそれでも高いですが、でも、きちんと丁寧に作られたものは美味しいのですよ。
ワインを2回飲むのを1回にして、日本のワイン業の存続と地方都市の活性化のために、日本のワインを飲みましょうよ。
最後、ぶどうの丘で、甲斐の山々に沈む夕日を眺めながら、信玄やTKD24や、松姫さまや、北条夫人(桂林院)や、近藤さん(勇さん、甲陽鎮撫隊としてここらに来た)に思いを馳せながら、ゆっくりと地ワインを飲みました(ここは、グラス一杯、いっぱいのナミナミで400円也)。
アドバイス
勝沼に行かれる時は電車でね。車だと飲めないから楽しめませんぞ。
あ、思い出した。
「機山(きざん)ワイン」ってご存じ?
そう、「機山」は信玄の戒名ですね。かなりこだわったワイナリーらしいですね。今度お取り寄せして飲んでみますわ。
では。
今宵はこれまでに致しとうござりまする。by 大井夫人(信玄ママ)
最近、武田ばかりだわ。
以下、関連記事
「武田遺臣のマドンナ、松姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-fab5.html
「歴史ヒストリア 武田信玄の姫たち」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-50fa.html
「武田に嫁いだ北条の姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-c799.html コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。
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