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2011年9月19日 (月)

三増合戦まつり後編(2011)~合戦劇レポート

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一回でまとめるつもりだったのに、得意の「思い」を暑苦しく語ってしまったため前後編とまたまた長くなり申した。後編はやっと当日の模様のご紹介にござりまする。


暑っ!(←今話題)

暑過ぎて、熱過ぎる。わらわには、この夏一番の熱さ・・・いや、暑さに感じられたぞえ。何十年振りかで「かき氷」を食べてしまった。

会場は、周りを山と畑に囲まれた三増の古戦場跡。きれいな山里である。私は山城も好きだが古戦場の「跡」も好き。壮絶な合戦が繰り広げられたはずなのに、今は何事もなかったかのようなポッカリ空いたような静かな空間の、そのアッケラカンさに惹かれるのである(つまり妄想しやすいからか)。


八王子城の戦国友の輿(こし)に乗せていただき、沿道にたなびく1700本余りの「三増合戦まつり」の旗に導かれながら迷わず会場へ馳せ参じる。道は舗装されておれど、周囲に見える山並みや空や雲や林の景色はたぶん当時とほとんど変わっていないはずで、遠く聞こえた太鼓の音も徐々に大きくなり、気分は次第に盛りあがる。

戦国友はこのあたりに何度も潜入していて詳しくて、「あちらが津久井の城にござり申す」とか「あの山が信玄が旗をたてた所にて候」とか「我らが殿(氏照どの)や鉢形の氏邦様は、そちらの方角からやってらしたとのことにござる」などと教えてくれて、三増合戦時の話をべしゃりまくりまくりながらノリノリの我ら八王子衆。


▲ 出陣式(三献の儀)

今年は特別に、伊達正宗公へ震災復興の願いをこめた襷(たすき)を渡すという儀式が組み込まれていた。北条最後の頃、我らが殿・氏照どのが頑張ったが伊達との同盟はならなかった。こたびは頼みまするぞ、政宗公。

▲ 騎馬武者演舞、鉄砲隊演舞

素晴らしい演舞が続く。前編でも書いたが、鉄砲隊の隊長さんが実にいい。軽妙洒脱。立ち姿の後ろ姿もよろしくて、こういう重臣の老臣(ご無礼)、絶対にいただろうなあと思わされるリアリティ。この祭りはこの方いてこそ。

こちらの鉄砲隊は、なんとか鉄砲保存会とか、古式かんたら会とかを招いているものではなく、地元の手作り鉄砲隊。それがまた「三増合戦まつり」の「地元感」を強めていて良いねえ。


この炎天下。あまりの暑さゆえ寸劇までの間いったん非難させてくれい。甲冑武者の方達は暑いなんてものじゃないだろうに。熱中症はもとより、急性アセモ症(そんなのあるのか?)になったんじゃないかと、ちょっと心配。

ちなみに、「三増合戦まつり」は、いつもは10月に行われる。今年だけ諸事情により9月になったのである。 来年から涼しい時期に戻るので皆さんも安心して行かれてくださりませよ。


さて、寸劇までの間、木陰を散策しながら浅利信種殿のお墓参りをしようと歩きだしたが、太陽は真上。木陰なんぞはまったくなく、寸劇を見る前のこの時点では、「まあ、いいか浅利は。武田だし」と、リタイア。


▲ 「三増合戦」寸劇

前編でもたっぷり書いたが、あら筋は書かなかったわね。

まず、われらが北条氏照と氏邦兄弟コンビが登場。叔父上・北条綱成殿を交えての北条方の軍議のシーンから始まる。

しつこく書くが、書状などに残された言葉を元にした難しいセリフなのに、素人とは思えないほどの声とセリフ回し(参考にしてみそ、某大河のプロ役者達)。邦クンの堂々とした第一声で、私達観客は一気に400年前へ連れて行かれる。

舞台は武田方の軍議のシーンへ移る。セリフも貫録も、私達がイメージする信玄そのものの見事な信玄。

武田遊撃隊の出陣から、地元甲冑隊も加わり両軍の激突へ!

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実は、わらわ一番前のど真ん中で観戦していたので、もの凄い砂ぼこりをかぶった。でも、実際の戦ではこんなもんじゃないだろうて。両軍の激突が何度も繰り返されるうちに、みんなの気迫がいや増していくのと、たち上がる砂ぼこりの多さとが比例して臨場感あるったらありゃしない。

そんなこんなで盛り上がっているところへ、とって返してきた武田の山県隊が突入!このあたりから満場し~んとなりみんな舞台にくぎ付け。

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続く何組かの一騎打ちも迫力満点。本当にみなさん素人ですか?普段から本職の合間に、鍛えて練習しているんだろうなあ。実際、殺陣や格闘技や武道や雅楽などを習っている武将さん達も多いんですよ。趣味ならそんなの全然辛くない(でも本業もあるからたまに辛い)。

山県隊の到着で戦局は武田有利に。父上(氏康)、兄上(氏政)は未だ到着せず!北条軍は撤退。それを見て武田勢も長居は無用、撤退を始める。そこで、この日の主役、武田二十四将・浅利信種が討ち死に覚悟の殿(しんがり)を申し出る。涙をのんで後をたくし去る信玄。


「地黄八幡」の北条綱成率いる北条軍に立ち向かい、獅子奮迅の働きの浅利信種。そこへトドメの北条鉄砲隊登場。

「わしらにお任せあれいっ」 by 隊長。

パパ~ンッ

浅利が・・・
私の後ろで見ていた年配の男性、「うう・・やられたかっ」。

弾をくらいながらも立ち上がる浅利。なおも追撃する北条綱成と浅利の一騎打ち!

これが、かなり長くて迫力あったねえ。みなさんピンマイクをしているので、激しい戦闘のハアハアいう息使いまで聞こえてくる。

両人、追いつ追われつ、ダァァーと舞台へ駆けのぼる。形勢不利か、浅利!

ついに綱成に切られ、どうと倒れる浅利信種!

「お・・・、お・・・、おやかた様・・・」

あふれ出る、武田ラブ
コテッ・・・

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会場から、ため息がもれる。
北条の追撃を防いだ浅利に敬意を表する北条綱成。


とまあ、こんな感じで面白かったのなんの。境い目の半役の地という特別な土地の劇らしい北条・武田どちらも主役の内容だった。氏照どのもりりしい若武者で良かったよ~。寸劇の他のみんな、地元甲冑隊・鉄砲隊の皆さま方、みんなみんなカッコよかったよ~。やはり、この日、完全に何かが皆さんの上に降りてましたな。

さっき浅利のお墓参りはパスと思ったのに、これを見たからには行かないわけにはいきまへんな。これから参りましょう。今日この劇を見た人も、昔から丘の上にある「浅利明神」に、より一層興味を持ったことでしょうねえ。


「三増合戦まつり」は、戦死者の慰霊のために行われるものです。浅利信種はじめ、400年前に、この地でこの合戦で犠牲となった武者達もさぞや報われたことでしょう。


▲ 「三増合戦と戦国の愛川」展

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~写真撮って良かったのか?ごめんなさい。~

抜刀術・木曽馬演技・踊り、甲冑隊帰陣式とまだまだ続くが、時間がないのでわれらは郷土資料館へ馬を駆る。輿じゃなかったのか?浅利明神にも参りたいし、急いでいるので輿じゃ間に合わん。

一番萌えたものは、氏康・氏政が謙信に宛てた三増合戦の戦況を伝える書状。別々に書くのね。私は氏照文書集を持っているので照どののは知っていたが、こちらの二人のは初めて見た。

謙信公への宛名、照どのは「越付江」だが、パパと兄上は「山内殿」なのね。知らんかった。照どの、謙信公を関東管領と認めてないかな?むふふ。


帰路は、津久井城まわりの三増合戦&天正18年ゆかりの史跡に立ち寄りしながら。

ぜひ、寸劇をプロデュース&出演した義虎殿のブログ記事をご覧あれ。素晴らしい写真もたくさん載っています。相互リンクしていますが、↓です。

「三増合戦まつりレポ 1」
http://nurskatoh.blog115.fc2.com/blog-entry-386.html
「三増合戦まつりレポ 2」
http://nurskatoh.blog115.fc2.com/blog-entry-387.html


では、今宵はこれまでにいたしとうござります。by 大井夫人(信玄ママ)


画像はマリコ・ポーロが撮影したものです。

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