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2011年10月 7日 (金)

玉縄城-3 現代の難攻不落の城

2 より続く

さて、次は「蹴鞠場 けまりば」です。
西ヶ谷先生は「まりけば」とおっしゃいます。「写真撮って、撮って」と、またまた先生。堀の高低差が写真でも分かるように、スタッフの人を向こうへ走らせ立たせてもくださいました。城址巡りの人の気持ちが分かってくださっているのね。

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~「まりけば」へ登る道~

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~「まりけば」上から下の土塁を順番に覗く~

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~「まりけば」けっこう広い。画面奥の右下から登ってきた。~

かなり気に入っちゃいました、「まりけば」。ケバいマリコ・ポーロ、まりけば。

ここの土塁は、ず~っと校舎の上まで続いていて、2棟の校舎の間は空堀だったそうです。先生、「見えるでしょ、見えるよね、その土塁や空掘」。う~、難しいよ~、と思うなかれ。周わりを丘陵に囲まれた学校のため、意外に妄想しやすいですよ。


次は、校舎の裏側。もと修道院だったところの「お花畑tulip」です。お花畑とは薬草園のことです。よくありますよね。あちこちの城跡や城下跡に。

「お花畑」の北側裏には、二重土塁があります。素晴らしくよく残っていますよ!「写真撮った?撮ってね」 by 西ヶ谷先生。


ふうぅ、脳内が3G想像疲れです。もっともっとたくさん伺ったのですが、覚えてなかったり、うまく文章にできなかったり、また、城郭に疎いので意味が把握できなかったり(もったいない・・・)なので、ウロ覚えの知識で書くのは控えます。


riceball 広いお教室で、周囲の美しい山並を眺め、当時を妄想しながらお弁当をいただきます。

い~い学校ですねえ。私なんか、小中高と都会のど真ん中の学校だったので、狭くて狭くて余白のスペースもなく、昔だったので校庭もコンクリートでした。

私はずっとテニス部だったのですが、近所の公営のテニスコートを借りて練習していたのですよ。こちらの女学校なんて2ヶ所もテニスコートがありました。土曜の午後だったのでテニス部も練習していましたが、さすがに女学校。「そぉ~れっ、そぉ~れっ」って。私は共学だったので部活も男女一緒。「そぉ~れっ」なんて言うなんて、あり得へんかったで。

学生さんの躾もよくて、すれ違うたびに、「こんにちは~」と言ってくださり、さっきまで「う~ん、この堀切は・・」なんて低音で唸ってた男性陣、急にかわいい声で、「あ、こんにちは~heart01」 な~んて返したりしてました。


午後は、西ヶ谷先生によるセミナーと座談会です。

それにしても、西ヶ谷先生の講義、逆井城と「おが」の話ばっかり。あのう、もう耳にタコ出来ちょりますが・・・。(実は、わらわ、昔々、西ヶ谷先生の城郭講座6回コースに通ったことがあるのだ。)

しかし、後半の伊藤一美氏と大竹正芳氏をまじえた座談会での、玉縄城米倉庫の場所の推定や、相模陣から検出された枯山水らしき庭園跡のことや、鎌倉番匠や玉縄城の板塀、氏綱時代の鎌倉の材木の流通の極楽寺のことや、本丸部の五角形が赤穂城にそっくりの話は面白かったです。
最初からこういう話をしてほしかった。


西ヶ谷先生がおっしゃたことで興味深かったこと。
~今は「城址」ではなく「城跡」を使うけど、「しろあと」は足跡じゃないの。土を止(や)めるなのよ。~

いえ、興味深いことは他にも多々あったのですが、以前より「址」と「跡」の違いが気になっていたのでね。

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~保存会「玉縄城址まちづくり会議」が販売してらしたストラップ。三増で氏照役を演った、後北条と氏照ラブ友デザインの「タマナワくん」。りりしかわいい。1のトップ画像にある「玉竜くん」のもある。どちらも裏側は、三つ鱗の前立の兜をかぶった「タマちゃん」。地域のおまつりイベントやアカデミアでゲットできる。400円なり。~


玉縄最後の城主・氏勝さんは、サル殿下に降伏したあと、タヌキ内府の配下となり下総岩富(佐倉市)に一万石を与えられます。岩富藩はその後、徳川系の養子が入り血も薄くなり、転封になったりなんのかんの(このあたり、全然知らん)で廃藩となったらしく、また、玉縄北条家は、最後は掛川で改易となるのですな。

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~高野山奥の院の玉縄北条の墓所。河内狭山藩の北条家とは別々。こちらもご興味あらば、昨年の拙ブログ記事、高野山の連続シリースをご覧くだされませ。~


玉縄は、来年の築城500年に向けて、これから、追悼法要、企画展、見学会(またあるので是非!)、シンポジウム、イベントが目白押しです。詳細はHPや市の案内などをご参照くださいませ。

いっつも申しますが、八王子城からしたら、本当に羨ましいのう。

よろしくば、
小説 「後北條龍虎伝」と「早雲の軍配者」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-b9ae.html


では。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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