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2011年10月11日 (火)

玉縄城主・北条為昌の菩提寺で、ビビッときた氏綱ご正室の出自

玉縄城潜入3部作をお読みいただきまして誠にありがとうございまする。

わらわ城郭には(にも)詳しくなく、しかも相手は、北条ファン&城郭ファンの間では名にし負う「玉縄城」。私見(妄想)を控え、拝聴したことをなるべく正確に書こうとしたのですが、書き漏らしたことがけっこうあります。オマケ編を書こうと思っていたのですが、思っているうちに時は過ぎ、はや他に興味が移ってしまいました。それは・・・

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~赤坂、種徳寺(しゅうとくじ)~

それは、先日の玉縄城潜入で思い起こさせられた方です。れっきとした北条の御曹子なのに、玉縄では地黄八幡の綱成一族の陰になってしまっている方です。

注)・・・
為さまと養珠院さまは、母子にござりまする(と、今のところいわれておりまする)。


horse 玉縄城主 「北条為昌」

少年の頃から両国経営をまかされ、数々の合戦で大将として一軍を率い、父(氏綱)や兄(氏康)の片腕として活躍しています。まるで、その一世代後の、我らが殿・北条氏照どののような方ですね。

それなのに、通字「氏」を名乗ることもなく、なんとなく保科正之や光源氏の立場が重なってしまう北条為昌とは、どんな人で、どんな人生を歩んだのでしょう。


どんな人か知りたくば、まず菩提寺を訪ねよ。
by マリコ・ポーロ。


その前に‥‥。
為昌殿には私も今までまったく興味がありませんでした。北条氏綱公の三男坊(上の一人は早くに亡くなっているようです。ここも氏照どのに似ていますね)で、ご正室は、今は料理屋になっている?朝倉氏の娘で、お子はなく、そして、かなりな勢力を張っていた、ぐらいのことしか知りませんでした。

まずは簡単に、黒田基樹氏が2007年に書かれたものをザッと読んでみました。そこで知ったのですが、為昌殿はわずか23才で亡くなっているんですね。

だから存在感が薄いのですね。支配領域も広いし、「為昌」という名前が、大道寺盛昌のイメージのせいかオジジっぽいし(全国の為昌さんゴメンナサイ))、そんなことから為昌殿はかなりの年まで活動時期があったと思いこんでいましたよ。


23才かぁ、薄命だわ。と思うと、ちょっと見方が変わってきます。烏帽子親が大道寺だからなのかなんなのかは知らぬけれど、ひとり名前に「氏」が付かないのは、若いだけに尚更どういう気持ちだったのかしら。父上や叔父上(幻庵)が上手に諭したのかしら。それとも、もしかして側室腹だったとか?


horse 本光寺

黒田氏の本に戻り先を読みます。黒田氏の本によると、「小田原城内に菩提寺本光寺が建立された」とあります。

こういう時に、風魔の手の者を小田原の郷土資料館や本光寺に放って調べさせられるとよいのですが、残念ながら風魔をかかえていないマリコ・ポーロ。

とりあえずは仕方がないので、風魔ネットで、「本光寺 北条」で検索してみました。


(加筆
その後、風摩殿がご連絡をくださり、為さまの本光寺は現在の銅門広場あたりにあったことを教えていただきました。その記事は追って書きまする。)

小田原の「本光寺」は赤坂の「種徳寺」に移転したと数人の方のブログにありました。

ほう、ラッキー。赤坂なら近い。それだけ分かれば充分。よし、あとは自らで調べましょう。ちょうど知人とお茶する約束や図書館に行く用事があったので、その前に種徳寺に寄ることにしました。


horse 種徳寺(しゅうとくじ)

格式がありそうなのに、荒れちょりました。門柱も崩れていて、門はありません。お寺の表札(っていうの?)もどこにもないので、最初、ここだと分からなくて通り過ぎようとしましたところ、ちらと目の片隅に入ったのは・・・

泣く子も黙る
三つ鱗!

天下御免の
三つ鱗! 

そうなんですよ。本堂のガラス戸に 三つ鱗 がデカデカと。わぉ!ここだわ!一気に心拍数が上がるマリコ・ポーロ。ヒデキ、感激(また古い)。

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ご住職に北条家のお墓を伺ったところ、右斜め奥の、そんなに大きくない五輪塔だけとのこと。「大戦の時やらなにやらでそれだけしか分からなくなってしまった・・・」「是非お参りしていってください」とおっしゃっていただいたので一人で境内の高台にある墓所に上がりました。

上がったのはいいのですが、たくさんの立派な宝篋印塔が崩れるまま、分離されたまま、そこここにゴロゴロゴロゴロと。現代の新しい墓石もあって生きている檀家さんも多そうですが、ご縁が薄れている古い古~い檀家さんも多いように見受けられました。


赤坂の高層ビルに囲まれた墓所の空は大きな木々覆われ、風が急に吹いてきたりして、そのようなゴロゴロゴロゴロ状態でどれだかどれだか全然分かりません。人様のお墓を、しゃがんで覗き込んでまでして墓碑を読むのも気が引けたし、土の中からニョッと手が出てきたら怖いので、その辺一帯に手を合わせるだけにしました。

本光寺の北条家のお墓が種徳寺に移ったのは文禄の頃らしいそうで、また、たくさんの立派な宝篋印塔は、堀家や大溝家のものだそうです。


horse 北条の姫 「種徳寺殿」さま

お寺を出て待ち合わせの場所に向かいながらつらつら考えていて、と、そこでまたまたビビッときました。氏綱公だか氏康殿だか幻庵翁だかの姫の名で、「種徳寺殿」という文字を見たような記憶が!

ああ、なんでお寺で思い出さなかったのかなあ。遅いよ、もう。青山一丁目まで来ちゃいましたよ~。戻って妄想し直すパワーも時間もありまへん。


家に着いて系図を見たら、やっぱりいましたよ~。氏康殿の姫に種徳寺殿さまが~。残念なり~。黒田氏の書かれた物にも、種徳寺殿の菩提寺は小田原の本光寺から赤坂種徳寺に移されたとありました。

小笠原康広に嫁いでいたのですが、康広は高野山から戻ったあとやはり徳川にかかえられており、種徳寺殿さまは寛永年間に亡くなっているのですって。ほう。小笠原は為さまの祖父である早雲公のご正室のご実家でもありますね。


となると・・・

文禄時代に「なんたら」とかいうお寺が江戸に、元々あったか、または建立されたかした。

なんらかの理由で、誰かが、そこに、小田原の本光寺から為さまのお墓を移した。
たぶん、それは、天正18年以後は小田原の「城内」から北条家のお墓も出てゆかねばならなくなったためでしょう。では、移したのは誰でしょう。為さま夫妻には御子がいませんでした。

寛永時代に種徳寺殿さまが亡くなり、その「なんたら寺」を種徳寺さまの菩提寺とした。

「なんたら寺」は「種徳寺」と寺名を変えた。

ちゅうことですかね。

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~北条家の個人情報。この記事の関係者のみ書いてみました。左下のコチョコチョは、「小笠原康広の、おじいさんのお姉さんが早雲の妻」と書いた。~


horse なぜ、氏綱公の息子の為さまと、氏綱公の孫で小笠原に嫁いだ種徳寺さまの菩提寺が同じなんでしょう?

氏康殿や為さまの母上、つまり氏綱公のご正室・養珠院様は出自が不明ですよね(後室は近衛さん)。

またまたビビッときちゃいました。


種徳寺が、小笠原に嫁いだ種徳寺殿さまの菩提寺ということは、種徳寺はもちろん、その前身の「なんたら寺」も小笠原家ゆかりの寺でしょう。

ということは、
為さまも小笠原ゆかりの方であるということであり(小笠原さんが、ただ単に妻の伯父ということだけで、小田原からお墓を引き取るということはないと思うから)、

それは、つまり、
北条為昌の母上である氏綱公のご正室・養珠院様が、小笠原系の方であるという可能性があるのではないか。


ゆえに、
小笠原さんが、後を継ぐ者がいない為さまのお墓を小笠原ゆかりのお寺に引き取ったのかもしれない、ということではないでしょうか?


と、ここで、上の系図を眺めていてまたまたビビビッときました!

後を継ぐ者がいない・・・いや!違うっ!種徳寺さまが為さまの娘だということは考えられないですかね!?年齢的にも合うでしょう。若くして亡くなった弟の忘れ形見を、兄である氏康が養女として面倒をみた。いかにも、ありそうな話ですよね。

とはいえ、なんの根拠もない、これこそ妄想。分からんのう。


(加筆 2014.3
養珠院さまは、堀越公方・足利成知の家臣である横江北条家の娘だということが発見されましたby黒田基樹「伊勢宗瑞」)


帰りに図書館に寄ったのですが、種徳寺(しゅうとくじ)は単立寺院(どの宗派にも属さない)でよく分からず、また、読みたかった神奈川県史研究は予約取り寄せだったので調べきれませんでした。それに、知人とおしゃべり過ぎて時間も足りなくなっちゃったし。


ちなみに、氏康殿や養珠院などの、当主や当主の正室は、小田原籠城中に亡くなった瑞渓院以外は皆、箱根の早雲寺に塔頭を構え葬られます。おサル殿下が火を放ったため、それらは全て箱根温泉の湯の花 spa と帰しましたが・・・。


種徳寺のご住職に、私は北条為昌殿のつもりで「北条家のお墓は?」と伺いましたが、ご住職は「種徳寺殿さまのお墓」のおつもりで五輪塔を教えてくださったのですね。そりゃあそうですわ。お寺は、「種徳寺」ですもんね。

しかし、あの、お墓の状態は・・・。北条五代、別格扱いの重鎮だった名門、京都小笠原家も直系が途絶えているのかしら。ん?京都小笠原家自体の菩提寺はどこだろう?


玉縄の薄命な貴公子(勝手な妄想)為さまの菩提寺に行ったつもりだったのに、またまた、姫に行き着いちゃいました。ね、どこかの小説家のように架空の安っぽいヒロインなぞを作らなくても、マリコ・ポーロ的にはまた一人、北条のヒロインが増えたのだよ。


以下、ご興味あらば・・・
「香林寺の開基は、氏綱公ご正室?為昌殿ご正室?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-b125.htm
「北条氏康ご正室 瑞渓院の二つの菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-653a.html
東京にある「江戸時代の北条家菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-72d6.html

おしまい。


cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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