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2011年12月16日 (金)

「滝の城」 焼かれた(焼いた?)四脚門跡

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~小田原城古郭ではない。滝の城である。人が立たないと分からないかもしれないが、巾10m位。深さもかなりある。~


「滝の城」って妙な城名だと思いました。「・・・の・・・」と、ひらがなが入っています。近くにはもうひとつ、「の」が入る「岡の城山」という尚古い城もあるんですね。

「滝の城」の名の由来は、かつて出郭の向うに滝があったことによるそうですね。でも、「本郷城」とも呼ばれていたこともあるようです(小田原編年録 1812年)。「本郷(本江)」とはこのあたりの古い地名だとのこと。城は、大概、そこの土地や山や神社やお寺などの名前で呼ばれるので、それならしっくりきますが、「本郷城」だとなんとなく親しみやすくない城名に感じてしまうのは私だけ?


「滝の城」は「たきのじょう」と読みます。でも、土地の古老?や保存会の方達は「たきのしろ」と呼ぶそうですよ。

前の繰り返しになりますが、「滝の城」は元は大石氏の城でしたが、ご承知の通りその後、われらが殿・北条氏照どのに受け継がれ、対太田(岩付)の最前線基地となりました。

そんなにメジャーな城ではありませんが、北条ファンなら「清戸番」と聞けば、「あっ!あの城か」と思われることでしょう。川(柳瀬川)向うに「清戸番」が置かれ、15日交替の輪番制で警護が詰めていた、あの「清戸三番衆」の城ですね。


「滝の城」については、私もそのくらいの歴史しか知りませんでした。「滝山城 たきやまじょう」の出城ですし、城跡もほとんど宅地かされているようなことを、どこかで読んだり聞いたりしてたような気がして、そんなに大したことはないという先入観で固まっていました。

ところが、埼玉衆に話を聞いたり、この夏に発刊された「関東の名城を歩く」に、かなり遺構が残っていることや発掘調査が進んでいることを読んだりして、あにゃにゃ?と思ったんです。


そして先日、所沢市による発掘調査の現地説明会で初めて「滝の城」に行きました。着くなり、いきなり二重土塁に出くわして、ドびっくり~。外郭までいれると、63,000㎡という広さにも、ドびっくり~。

まあ、考えてみればここは照どのの岩付への最前線。そうそう、やわな造りのわけはないですわな。

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~こんなふうに、表の幹線道路からずっと、三つ鱗付きの「北条氏照の持ち城 滝の城」という幟が立っている。地元の城を宣伝したい気持ちがひしひしと伝わってくる。八王子からしたら羨ましい。~


発掘も、第11次まで進んでいるんですねえ。素晴らしいです!

遺構は、地元保存会の方達が藪を取り除いてくださり、整備され、とても見やすくなっていました。八王子にしても、小田原城古郭にしても、その他の山城にしても、私達が、凄い凄いと感激しながら凄いところを見られるのも、こういう方達の城を愛する心とご尽力のおかげです。


メジャーな城ではないにもかかわらず(たびたび失礼)、たくさんの見学者が参加していて、1日4回。しかもそれぞれ2班の少人数に分けて、所沢市のインディー・ジョーンズさん達(ジョーンズ博士は考古学か。チト違う?)がとても丁寧に説明をしてくださいました。

資料も地元の可愛い風景が描かれたクリアファイルに入れて配布してくださいました。一緒にいた歴友が、「帰りに返すのかと思った」というほどのものでした。


二の郭から本郭へ、25mの急崖から柳瀬川の向こう岸を臨んだり、馬出から三の郭へと説明を聞きながら、でも初めて来たので説明がない所もキョロキョロウロチョロし、現代の衣装を着た清戸番の武将や歴友とおしゃべりしたりしながら色々楽しく見学。

だから、ちょっと説明を聞きもらしちゃったとこもあり

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~本郭と馬出を繋ぐ木橋があった場所。左右に人が立っているが、右側が本郭で左側が馬出。モミジの部分がその間の堀ね。~


「滝の城」の成り立ちや縄張りなどのことは、私なんかが書くより、「関東の名城を歩く」をはじめたくさん出ている城本をご覧いただく方が比べ物にならないほど良いとして、今回私が一番印象に残ったのは、調査で検出された本郭の四脚門(と推定される)跡です。

検出されたのは、石積みと木組みで構成された‘H’字形の基礎部分だそうで、それらは全て炭化し、開口部分は焼土が広がり、周辺の磔も熱で赤化していたそうです。

門は戦の時に焼けたのですね。火縄銃の弾も出土したそうです。


「滝の城」の最後は、もちろん天正18年のおサルの小田原攻めの時です。私は今まで、そこまでは調べたことがなかったのですが、浅野長政勢に攻められ落ちたそうです。

二の郭の西側には「血の出る松」という、傷をつけると赤い色の樹液が出たと言われている大きな黒松の木があったそうです。


見学会で城内を一通り廻った後、本郭にある城山神社の社務所の中にある、その「血の出る松」を見せていただけました。昭和47年に枯れて伐採したものを薄い断面にして残してありました。

額入りの由来書には、「滝の城」が落ちる時の様子と、松の赤い樹液は討ち死にした城兵達の血であろうとの言い伝えが、墨書きで切々と書かれていました。

合掌・・・

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~ちょっと見難い?城内のパンフレット入れ。三つ鱗です。城への愛情が感じられますね。保存会のお掃除軽トラにも三つ鱗が付いています。~


広々と見晴らしのいい静かな初冬の三の郭で、当時を妄想しながらを食べました。


では。。。

コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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