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2012年1月26日 (木)

幸田口門に出現した「障子堀」と、「御用米曲輪」再び見学(2012.1.24)

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ただただ降るばかり・・・白い白い小田原の城
昼下がりのほんの一時間程のことでした(2012年1月24日)


発掘整備調査中の「御用米曲輪」をまた見学させていただきました。

といっても前回と同じく、 「史跡小田原城跡調査・整備委員会」の「植栽専門部会 (つまり、小田原城の木々の伐採についての委員会)」の、現地視察に傍聴者(15人程)として参加したのです。

今回は(も)別件のある事で急遽行くことになり時間がなく、現地見学だけに参加し委員会の傍聴はパスさせていただきました。まさに見学逃げですな。ごめんなさい。


幸田口門跡に出現した「障子堀」

別件のある事とは、某私有地の建て替えで検出された、北条時代と江戸初期に造られたとみられる特筆級の2本の堀を見ることでした。

ちょうど私が行った日に毎日新聞社の取材がはいっていたようですね。昨日(1/25付)の毎日jp の地方ニュース神奈川県に「謎の堀」とされて詳細が載っていますよ。


場所は幸田口門のところ。道路沿いなので通りがかりに覗いている人がけっこういました。

交差しているように見える2本の堀の内の1本は、北条時代後期の障子堀。‘かわらけ’が出土しているそうです。もう1本は北条時代の堀が埋められた後に造られたようです。出現している堀の幅は10m位ですが、18mほどはあっただろうとのことです。凄いです!


当ブログでも何度か登場している江戸時代の超初期に作成された「加藤図」という小田原城の絵図面がありますが、これらの堀はその加藤図には書かれてないそうです。

想定外の場所に堀があったことが分かり、これまで考えられていた北条時代の縄張りは随分違う形になりそうですよ。凄いですね!


わらわ、写真を撮ったのですが、所有者がある物件なので個人のブログに写真は載せないでねと言われたのでここに紹介は出来ません。スマホに自分だけの待ち受けにしちゃった。毎日jp にも写真はありませんね。

そして、この上にはマンションが建つので、もうすでに見られない状態になりつつあると思います。


いた仕方なしですね。私有地ですからねえ。こういう場所はどこもそうですが、現代生活できなくなっちゃいますしね。

よしっ!あいわかり申した。ここは、わらわが一年間借り上げましょう!隅っこに立ち呑みスタイルのショットBAR 「障子掘」を開きますわ。銘酒「氏照」や「氏邦」や北条ワインをお出しいたそう。なぁぁんちゃってね。


再び立った「御用米曲輪」

調査が進んでますね。戦国期の遺構や遺物も次々と検出されていました。今回は「植栽」に関する視察だったので樹木についての説明がメインでしたが、それには全て遺構の保存整備と関わりが生じてくるのだよ。

曲輪内は解けた雪で足元がぐちゃぐちゃ。市の方達が歩く所にシートを敷いていてくださいました。ありがとうございます。

整備で曲輪の平面(土塁は残る)は芝植えとなります。戦国ファンとしては土のまま残してほしいと思うところですが、これでは雨の日とその後の数日間は見学ができませんので仕方がないですねえ。

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クスノキの並木道だった土塁の曲輪側です。
写真では分かり難いですが、曲輪取り(ヨシズの前のマスの中の段差)が随分明確になっています。

クスノキは、遺構への影響が大きいと考えられるものや、生育が不良で他のクスノキの生育に支障をきたすとみられるものが間引かれるそうです。

そして、それらを除木した後の景観と、残したクスノキの将来像(5年後10年後の)を想定しながら除木する木を選択していくとのことです。


景観やクスノキの将来像も大事かもしれませんが、歴史好きのマリコ・ポーロとしてはそれだけではなく、将来の(今は私有地ですが)、蓮池エリアをも取り込んだ歴史的景観をもイメージして考えていってほしいなと思います。

その時になってまた、この木が邪魔だの、いや必要だのなんだのの問題になるのはややこしい。いや、私なんかが言うまでもなく考えてくださっていると思いますがね。よろしくお願いしますです。


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鉄門跡の斜め下。ここからも堀が検出。
木の根が遺構に干渉してます。この木は伐採対象です。


こういう状態を見ると、私なんぞの歴史を優先する人間は、「お、こりゃアカン。この木は切って切って」と思います。

でも、木を大事にする人達は、「遺構が検出されたからこの木は切る、ってのも強引な話だよなあ」と思うんですねえ。


部会の資料にもありました。
~お城が機能していたときの姿は基本にしなければならないが、今日(こんにち)親しまれている要素についても一定の評価が必要~


史跡公園は、住民や利用者の満場一致で史跡に指定されたわけではないわけで、歴史好きの人だけのためにあるのではありません。人それぞれ‘萌えどころ’は違うのですよね。

しかしまた、史跡である以上、後世の人達のためにも重要遺構は残さなければなりません。

皆さんはどう思われますか?


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惜しい!雨と雪で水が溜まってしまってますが、北条時代の障子堀です(脇の河原石はもちろん違う)。上の写真と同じく鉄門(くろがねもん)の斜め下あたりです。


関係者の方と、曲輪取りが当初考えられていたものからどんどん変わってきていることや、北条時代のこの曲輪の使われ方などをちょっとだけ(視察中なので)話しをしました。

「北条時代、この曲輪は当主クラスの屋敷や会所があり、蓮池の方へ雛壇状につながっていたかもしれない・・・」。
その言葉を聞いた時、ぶわっと脳裏にビジュアル妄想が浮かび、ぞわっと腕に鳥肌が立ちました。

見学説明会では、皆さまもぜひ‘ぶわぞわ状態’になってみてくだされませ。見学後の説明会も出てね。史跡整備がどうなって行くか、興味ありますでしょう。

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かつての駐車場入口があったあたり。ここからも、京都系の‘手づくね かわらけ’がお出ましになったそうです。北条時代やね


あ、あらためておことわりしておきますが、「御用米曲輪」は江戸時代に幕府の米、つまり「御用米」の米倉だったところですよん。ちなみに、明治末期から大正にかけては御用邸だったんですよ。

私、曲輪の江戸時代のことほとんど書いておりませんね。だって、このブログ「後北条見聞録」なんだもの。


いやはや、小田原というところは、広くて、深い・・・


「小田原城御用米曲輪の発掘を見学」 2011年12月
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-3952.html


おしまい。

コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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