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2012年2月 9日 (木)

2月4日「御用米曲輪」の見学会の報告(2012..2..4)

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指し棒を片手に、ある時は堀を跨ぎ飛び、ある時は土塁をよじ登り説明してくださる小田原のインディー・ジョーンズさん達の内のお一人。かっこいいので(絵面が・・・)、写真を撮らせていただきまいた。

前回の時は、黒のロングコート姿で、昨年の台風で土塀の一部が剥がれた「銅門 あかがねもんの前に立ち、さながら現場で謎解きをする名探偵のように(絵面がね)、修復の説明をしてくださるインディー・ジョンーンズさんもいらっしゃいました。


「土の御用米曲輪」はすでに2度見聞させていただいた記事をたっぷり書いているので、今回は少しだけ。

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北側通路(駅から天守閣へ行く一番近い道)から俯瞰したところです。ここも想定外で北条時代の溝状遺構が現れた!


通常はこのように、通路から発掘現場やジョーンズさん方がお仕事をされているところを見学することが出来ます(双眼鏡があると良いですよ)。トレンチを見下ろせる場所には、簡単な説明書があるポイントもあります。


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前回の1月より、どんどん掘られているので驚きました。

全員一緒に各トレンチを説明していただいた後は、フリータイムになりました。見学会にはその道の諸先生方も何人もいらしてらしていました。

参加者達は、お気に入りや気になるトレンチや、樹木のところに思い思い散り、研究者の方達を取り巻き質問したりご挨拶したり、仲間同士や見知らぬ人達同士で遺構や歴史や木々の話をしました。


こういう、アカデミックで有意義で楽しい時間を作ってくださった小田原市文化部文化財課(でいいのかな?)の はからい は嬉しかったですよねえ。私は、一通り案内してもらったら「はい終わり。では説明会場へ向かいます」かと思っていました。

さすが歴史スキーの集まり(たぶん)の文化財部。歴史スキー城郭スキーの気持ちを分かってくれてますねえ。


たくさんの小田原ファン・城郭ファンが、現代に一瞬現れた土の曲輪に集い共有したひとときを過ごす。これも、大森殿・北条殿・稲葉殿・大久保殿のお引き合わせ。 ここでお弁当を食べてお酒でも飲みたいものだわねえ。それは芝が敷かれた後でもいいかな。


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なんじゃこの写真。アップ過ぎて分からん?

1月のブログ記事の写真で、「惜しい!雨と雪で水が溜まってる」とした、こちらも想定外で現れた北条時代の障子堀です。今回は良く見られました。

四百年前から現代に現れたばかりです。ゾクゾクしますでしょう。「鉄門」の斜め下あたりになります。


この堀ですがね、北側の通路(駅から天守閣へ行く道)は無くしてしまっていいから全部掘って残してほしいですよねえ。元々、北側通路はなかったんだし、通路は二の丸方面に設けることにして。

だって、北条の本城で「生の障子堀」見たいですよねえ。北条の障子堀は他の城で見られるところもありますが、みんな整備された障子堀ですものね。


が、しかし!
そのためには、江戸時代の御用米曲輪の縄張りそのものを壊さなければならなくて、それは史跡整備では出来ないんですってね。史跡は、最終段階の姿が優先なんです。

そうですよね。古郭でいえば、古墳を優先したいから、その上にある戦国期の遺構を壊して古墳を残せってことですもんねえ。


また、そういう原則や費用のことは置いといて、私も見学会の時に曲輪を歩きながら城郭研究のサル先生にうかがってみました。

「北条期の遺構を埋め戻さないで、大阪城のおサルの石垣みたいに時々見せていただけるようにとっておくことは出来ないのでしょうか」
と。

「出来たらいいけれどねえ。石なら可能だけど、土では難しいでしょうねえ」




障子堀は、すでに市が取得している「山ノ神堀切」やキリスト教会墓地の下などで、整備されたものが見られるようになる可能性はあるかもしれないかもしれない?ようですね。


調査が進むにつれ想定外の遺構が続々と検出され、今までの「御用米曲輪」のイメージがどんどん覆っている、そうです。また、土塁は北条時代は無かったことも分かりました。

今後も調査が続けられますが、どんなことになっていくのでしょう。こんな調子で二の丸もやったら、いったい何がどれだけ出てくるのか・・・


続く説明会でも、大変懇切丁寧な説明をしていただけました。

御用米曲輪はやはり江戸時代メインでいくようだそうのようですが(変な書き方になっちゃった)、でも、せっかく現れた北条期の遺構も少しはどうにかしてくださるような方向で検討もされるようなようでした。

しつこいですが、文化庁さん、よろしく。写真で見るんじゃ歴史ファンは増えないし、啓蒙も出来んよ。


そうそう、江戸時代の城ファンだったら御用米曲輪南側の崩れしままの本丸石垣を復元してほしいのかな?質問された方がいらしたので、ちょっとそう思いました。

こちらは復元されないそうです。でも、曲輪から鉄門へ上がる坂道は途中までは登れるようにしてくださるそうですよん。


以下、昨年12月と1月に曲輪へ入った時(&整備委員会傍聴)の記事です。

「12月、御用米曲輪の発掘を見学」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-3952.html
「1月、幸田口門に出現した障子堀と御用米曲輪再び見学」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-3952.html


おしまい。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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