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2012年2月 3日 (金)

迷宮の「御用米曲輪」

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~JRは、小田原城のど真ん中を通したものだ。向かって右側が古郭。当時はずっと尾根が続いていた・・・らしい。~


「迷宮の小田原城」の続きです。2011年3月の時点での「御用米曲輪整備計画」のレジュメにある「御用米曲輪の略歴」を書き写しやす。

御用米曲輪の略歴

御用米曲輪について個別単体で概要を示した資料は乏しいが、「小田原市史」別編城郭を参考に(田代1995)、現在(2011.3)確認することのできる絵図類とともに古文書類から垣間見える御用米曲輪の状況を抜粋し、その略歴を取り上げる。

なお、小田原北条時代の小田原城の様子については、現時点では不明瞭な部分が多く、当時の御用米曲輪の状況についても明確にはわかっていないため、ここで紹介する略歴は近世以降のものとなる。


(とはいえ、そこは「後北条見聞録」。北条時代中心に抜粋させていただきまする。
しつこいですが、「御用米曲輪」は江戸時代は幕府の米倉(米だけではなく大豆・小豆・そば・塩・干飯などなども)でした。)



小田原城を描いた絵図の中で最も古い絵図として位置づけられているのは、「相州小田原古絵図(通称「加藤図」)」である。

この絵図には、御用米曲輪の場所に文字表記はないが、10棟の建物が描かれている。この建物は、屋根の描写が天守閣や二の丸主部とは異なっており、城下の建物と同等であることから、これらの建物は瓦屋根ではなかったことを表現している可能性も考えられる。


続く正保年間(1644~1648)に描かれたとされる通称「正保図」になり、初めて「百間蔵」との名称が記される。

この「百間蔵」との記述から、小田原北条氏時代の天正16年(1588)7月13日付板倉内膳正宛虎朱印状(小田原市史中世Ⅲ1980)に「三間梁百間之御蔵材木煤谷へ申付分」とある記述を「百間蔵」の起源と捉え「百間蔵」は小田原北条氏時代から存在するとの指摘もあるが、詳細は不明である。


この後しばらく江戸時代の記述が続くので割愛・・・


明治維新後、
明治3年(1870)に小田原城は解体・売却され、翌年に旧藩知事大久保忠良は東京に移り、小田原城は 耕作 されることとなった。

そして、明治5年以降段階的に建造物が売却され、明治6年には正式に陸軍省の管轄となった。


その間、明治5年9月には暴風被害のあった御用米曲輪の米蔵が簡易的に修復され(小田原市史別編城郭近代8)、同年11月には2棟の蔵が売却されている(小田原市史別編城郭近代10)。

そして、明治8年9月の段階で、御用米曲輪に残っていた建物も売却されたものと考えられる(小田原市史別編城郭近代13)。


その後、小田原城は明治32年(1899)に御用邸用地として売却され、御用邸は明治34年に落成した。

大正12年(1923)、小田原は関東大震災による大きな被害を受け、昭和2年(1927)に小田原第二尋常高等小学校および小田原高等女学校の校地として城址払い下げが町会で可決された。


(小田原は関東大震災の震源地ですものね。小田原城や石垣山城の崩れた石垣はこの時の地震で崩れたものです。

また、根府川駅(小田原駅の2つ先)では、列車の半分以上と駅舎やホームが土石流のため海中に流され、130名もの方が亡くなったそうです。昨年、テレビで、海の中にまだ残ったままの当時の駅のプラットホームが映されていたのを見ました。)


昭和3年(1928)関東大震災復興のため、町は御用米曲輪の払い下げを願ったが、宮内省では天守台・御用米曲輪・茶壷曲輪から報徳神社の間の堀を宮殿地として18m幅の道路を建設しようとしていたことから適わず、町は二の丸御用邸跡から馬出門内までと堀の払い下げのみを受けた。

そのため、後に御用米曲輪・本丸・南曲輪などは県有地へと移行することとなる。


(このあと、昭和24年に野球場となり→イベント広場となり→臨時駐車場となり、平成23年より整備が始まったのであ~る)


今、御用米曲輪からは想定内・想定外のさまざまな魅力的な遺構や遺物が検出されています。これらの歴史に埋もれた北条時代の姿は果たして明らかになるのか否か。

城に歴史あり・・・

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~小田原での発掘調査は、毎年11月にある「最新出土品展」で紹介される。行けなくてもレポートを送付していただくことができる。~



おしまい。



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画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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