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2012年4月14日 (土)

小田原衆と歩く、総構えの北と西

小田原についての非常に詳しいHPをされてらっしゃる小田原衆がご案内くださり、先日の「新堀土塁」見学会の後、総構えの一部分を歩いてきました。


武将達にかまけてちょっと間があいてしまい、寄る年並みで記憶が曖昧!その時撮った写真を見ても‘藪’ばかりでどこがどこやら分からない!

自慢するな!ではありますが、自信がないので、この記事はサラリと読み流し御自身で確かめに行かれてみてくださると助かります。でも、途中を読み飛ばされてもいいけれど最後のところだけは読んでくださいね。新たな総構えガイドツアーのお知らせがあります!


まずは、先のブログでご紹介した北条氏房の陣跡と伝わっている「岩槻台跡」から、谷津の「御鐘ノ台張出」へ向かいます。

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~左側、張り出した感じがよく分かる~


ここからは、天正18年小田原攻めの時の徳川方の陣が見晴らせます。

下からちょっと上がってきただけのイメージですが、随分と高台です。まわりは新しいお洒落な個人宅が並び、脳内妄想とはすごいギャップ。集中して妄想しないとね。


竹藪の小道を歩いて「城下張出」へ。

遺構の上で眼下に町を眺めながら、皆で歴史まつりの在り方の話や、狼煙をあげたらどこからどこまで見えるかなどの話に花が咲く。やりたいねえ、北条支城網を繋いだ「天正18年落城・開城フェア」。


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~久野口~

外郭の虎口のひとつかもしれないと言われているそう。そして、左側の竹藪の中へ突入します(といっても大したことないですが)。


horse 花岳城(華嶺城?)

そして忘れてしまった。城下張出のあたりから一旦総構えの外にでたのかな?いや、城下張出の前だったかな?あらためて地図を見ると、城下張出の前だったような・・・。

何を言いたいかというとですね、 「城源寺」 というお寺をご存知ですか?私も初めて連れて行っていただいたのですが、この城源寺には 「花岳城跡」 という碑が立っています。そこには、ここが初期の小田原城で、「城源寺」はその「花岳城」を号した旨が書かれていました。正式名は「花岳山月光院城源寺」というのですか。


小田原城の築城時期はハッキリ分かっていませんが、鎌倉時代頃からだろうといわれています。昨今、小田原城は同心円状に広がってきたわけではないとか、大森氏は下の低地部分も使っていたとかの新しい説が出てきておりますが、一応は、現在の八幡山古郭(城源寺よりもっと西)がその場所だとしています。

新しい説や考察を読み聞きして「そうなのか~」とは思っても、古小田原城の拠点は八幡山の方だと脳に焼きついてしまっているので、「花岳城」の碑を見た時、虚を突かれたつかれた感じでした。

ボワ~ンとしてしまい妄想もまとまりませんでした。もしかしたら、足利尊氏が「野営」した「小田原上山」というのはここらあたりだったのか?などと妄想もまとまらず朦朧としてしまいました。


縦堀もありますし、非常に心に残ったので、ここはもう少し事前に調べてリベンジです!

そんなんばっかりね。為さま、養珠院さま、香沼姫さま・・・etc. etc.。もう少し小田原が近ければねえ。小田原の方からこっちへ来てくれないかしら。


花岳城・城下張出をあとに、そこからは何度歩いたか、何度このブログで書いたか分からないくらいお馴染みの総構え満喫コース、荻窪口(推定)、山ノ神台、稲荷森湾入堀、小峯御鐘ノ台大堀切を歩く、しゃべる、妄想する。

総構えは絵図面で見ると二次元なので平坦なような錯覚をしてしまいますが、実はアップダウンが激しい。べしゃりまくりながら歩くと息が切れるぜ。

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~小峰の御鐘ノ台大堀切は、堀もドでかいが、東堀と中堀の間の上も広い広い!堀底を歩くだけだと分からない~

お馴染みと思って油断していたら、お馴染みじゃない「西堀」へ。っていいのか?まあ、途中までは行けるでしょう。ほとんど整備されていないですし、私有地が多いので突入してはアカンが、藪の中にサスガの遺構が残っている模様。


さて、総構えのもっともっと奥(西)へ、水の尾まで行きましょうよ。
この辺は、以前に当ブログの「小田原城総構いちばん奥と北原白秋」で書きましたが、その時に一度行ったきりです。

そうなんです。このあたりは北原白秋のお散歩コースだったそうです。白秋の叙情歌からは程遠い猛々しい話をしながら「からたちの花の小径」をゆく我ら5人ですが、白秋は総構えの遺構をどう思ったのでしょう。何か歌を残してくれていればよかったのに・・・。

♪深いふか~い
堀だよ~♪

ってね。

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上の写真ですが、総構えの絵図面をお持ちの方は開いてみてくだされ。もっとも西側の半島のように突き出たところに、鍵のような部分がありますよね。それがここです。分かるかなあ、土塁が鍵型になっているの。

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~南側の堀もまたよく残っていますねえ。驚きますわ、本当に。~


降りる時は最後尾にいた私。さあ戻ろうとなり、つまり今度は先頭になる。さっささっさ、おサルのかご屋だホイさっさと歩くと、
「オイオイどこへ行くんだ???」

振り返ると、ひとり違う道へ。たった今来た道(しかも非常にシンプルな道順)を戻れない・・・。どれだけ方向音痴だマリコ・ポーロ。

このあと板橋まで下り 「ぶら板橋」 をしたのですが、これはまた追々。


しっかし、いっつも感じますが小田原はよく残っていますねえ。四百年前ですよ。徳川政権時代があり、ご維新があり、関東大震災があり、太平洋戦争があり、日本列島改造があり。しかも山の中ではなくて町ですよ。

小田原は莫大な歴史資源・観光資源を持っていますね。これは、一世代では手に負えない ですな。


horse というところで、以下、新たな総構えガイドツアー情報です。

(日時)
5月3日
8時集合、8時半スタート、4時頃解散

(ルート)
小田原駅西口→八幡山古郭→小田原高校内遺構→御前曲輪遺構→お鐘の台大掘切→伝水の尾口→城南中学校遺構→富士山細川家陣場→板橋見付→早川口二重遺構→荒久台場址→お花畠→筋違橋町→箱根口門跡→清閑亭土塁・空堀

(参加費)
500円(保険・テキスト)
(申込み)
郵便またはFaxで先着順、4月28日締切

詳細は小田原の城と緑を考える会か清閑亭のHPをご覧くだされ。


小田高内と富士山砦が見どころですねえ。普通は入れません。が、しかし、8時に小田原・・・わらわには無理じゃて。

よろしくば、以下。
「小田原城総構いちばん奥と北原白秋」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-6867.html


おしまい▲▲▲


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