« 今日は、氏康ご正室・瑞渓院の命日 | トップページ | 小田原城開城へ、最後の6ヶ月 »

2012年6月14日 (木)

北条氏邦と大福御前「慰霊祭」2012

020
~今年は大筒が出動~

サル6月10日、「北条氏邦公・大福御前慰霊祭」が保存会の方々により菩提寺の「正龍寺」にて行われるとのことで見学&お参りしてまいりました。

天正18年の小田原合戦時、氏邦殿はわが殿氏照どのや氏政さんと並び主戦派だったともいわれていますが、案外そうでもないようです。

私はよく「照&邦の武闘派コンビ」と書いていますが、後半の氏邦殿は照&政ペアよりも、むしろ氏規さん寄りだったようです。鉢形の城が攻撃される頃に、氏邦殿が城を明け渡すことを申し出たがおサルがそれを受け入れなかったらしき、おサルが清正に宛てた手紙があるのです。

029
~正龍寺の参道を粛々と進む~


3月の終わり、おサルの本隊がいよいよ沼津に着陣。氏邦殿は、「氏直(甥である五代当主)が三枚橋城を攻め、照&邦の武闘派コンビで富士川または黄瀬川で合戦に及ぶ」という作戦を提案するも却下されます(閑八州古戦録)。

結局、氏邦殿は小田原を離れ自身の城である鉢形城に戻り、花園城・日尾城・高松城などの支城と共に、約3千の兵で、前田利家・上杉景勝・真田昌幸・本多忠勝ら3万5千の連合軍と猛烈な戦いを繰り広げることになります。


和平を望みながらも、一門が戦う方向にいくなら積極的に勝つための作戦を打ち出す。それが受け入れられないのなら己が思う存分戦える場所に立つ。そして、もうこれ以上は犠牲を多くするだけと見極めたら、潔く自らが責めを負う。実に、きっぱりした方だったのだなと思います。

023
~大筒の硝煙が残る中、丘の上にある「氏邦公・大福御前、舅の藤田夫妻」のお墓に向かう~


3千と3万五千。ひとケタ以上も数が違う大軍勢をもってして20日近く経っても攻めあぐねている攻撃軍は、岩付を落とした浅野長政軍の合流を得て再び猛攻撃を開始します。

圧倒的な数の差にさすがの鉢形衆も力尽き、6月14日 開城。氏邦殿は城兵達の助命を嘆願し、自身は剃髪して城下の正龍寺に入ります。


1851511534_961
~法要中。ご住職(方丈さま)がまるで歴史の中の人のよう。慰霊祭が始まる前に法螺貝を吹いてらした。~

026_2
~正龍寺のワンダフルな天井~

法要を見学しながら、氏邦殿も見たであろう寄居の空を眺めたり、吹き抜ける風の匂いを確かめてみたりしました。

Dsc_0724_3
~寄居の藤崎摠兵衛商店「白扇」。銘酒「氏邦」の酒造元でもある。~


ほな。

コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。
画像は、武将友とマリコ・ポーロが撮影したものです。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

|

« 今日は、氏康ご正室・瑞渓院の命日 | トップページ | 小田原城開城へ、最後の6ヶ月 »

4.その他の後北条ゆかりの地」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 北条氏邦と大福御前「慰霊祭」2012:

« 今日は、氏康ご正室・瑞渓院の命日 | トップページ | 小田原城開城へ、最後の6ヶ月 »