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2012年6月27日 (水)

報告!「津久井城開城記念~攻防戦」(2012)

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~見よ!この草燃ゆる贅沢な舞台。これは、鳥居元忠殿(向かって左)が津久井衆に喧嘩を売ってる?とこ。~


かつて本当にそのことがあった場所・・・。
昨年の「三増合戦まつり」の時も書きましたが、渡る風、草いきれ、鳥の声。四百年の時を越え、当時のそこで生きた人達と同じ空間に身を置き、思いを込めて演じ、観覧する臨場感は、名優が演じ名スタッフが製作するどんな名作映画や名舞台にも勝るものがあります。


仕事で諦めていたのですがいてもたってもいられず、当日仮病を使い・・・ちゃうちゃう、事前に調整し、後方支援部隊としてご加勢つかまつって参りました。といっても大したことはしとりやせんが

行ってよかったです。たくさんの方にお会いできました。武将や公園関係者さんはもちろんですが、重鎮含む八王子城仲間達、先日の北条氏邦の慰霊祭でもお会いした北条大好きの女人、歴友ガールズ達、山城師匠の埼玉衆・・・などなど。楽しかったですね~、皆さん。


時節は梅雨。でも、大丈夫。私が出陣する日は必ず雨は降らない。逆にいつも灼熱地獄。この日も、朝方は曇っていたのに攻防戦が始まる頃からどんどん青空は広がり・・・熱い。

ただでさえ皆の「思い」や「パッション」は熱いのだから、その熱さは半端じゃない。遠くから見たら、津久井城あたりにはボワ~ッと妖気が・・・いえ、陽炎が立ち昇っていたのではなかろうか。

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~山城を武将が歩いている図はいいですねえ。殿(津久井城主内藤殿)を真ん中に、鳥居殿・平岩殿(徳川勢)が、談笑しながら山を行く。殿は鎧直垂姿なのね。わらわ甲冑姿ももちろん好きだが、直垂姿も実はかなり好きじゃ。(掲載の御承認をいただくのを忘れてしまったので、お顔にスプレーですみませぬ)~


天正18年旧暦6月25日、津久井城もついに開城。詳しくは先のブログ記事をご覧いただくとしまして、この日はその時の「津久井衆vs本多忠勝率いる徳川勢」攻防戦が再現されました。

とはいえ謎の多い津久井衆。城主内藤も津久井の城にいたのか小田原に籠城していたのか諸説あります。また、北條御旗本48将も実際どうだったのかも分かりません。ゆえに、この攻防戦も創作合戦劇です。

まあ、こういうのはほとんど創作です。例えば川中島の一騎打ちだって実際なかったですしね。創作だからこそ、伝えたいところを強調でき、感動的でスペクタクルで楽しいものになるんですよね。

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~当時はまさにこんな感じ。おっと、井伊殿に狙われてますな。~


さて、合戦劇のプロローグは徳川の足軽2人が登場します。合戦の合間サボって抜け出してきたようです。「あ~あ、ウチの殿の人使いが荒いのにもやんなるよ~」みたいな愚痴オシャベリに、状況説明がうまく盛り込まれます。この二人は上手いねえ。今回は足軽とはいえ、やはり合戦劇歴戦のツワモノだとのこと。

そして始まる「白根合戦」。
マニアックですねえ。知らないですよ。天正18年4月に、内藤殿率いる津久井勢が中郡白根あたりに陣取っている豊臣勢を攻撃した、前哨戦だそうですわ。

「覚えておれ・・・っ!」
捨てセリフを残し、両軍左右に分かれます。

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↑入れ乱れて戦った後、サッとフォーメーションを元通りに組み直す。これが素晴らしい。慣れてるねえ。

ところが、これらにも細かい技があって、家康の直臣重臣達で成る徳川勢は統制された一糸乱れぬ動き(出す足から歩数まで決めていた!)。留守兵達で成り、出自も様々(だったらしい)津久井衆はバラバラとある意味それぞれ自由な動き。それらの動き方で両軍の組織的状態を表していたそうです。

そりゃ、わからんわ~。凝り過ぎだよ~。と思うでしょ。でも、わからなくても、それらが醸し出すものが全体の雰囲気となって見る側に伝わってくるんだと思うのだよ。

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~緑が美しい。合戦の悲惨さに相反して鳥の鳴き声がのどかじゃのう。~

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~とどめ!形勢不利になると、後方からバックアップが駆けつけるところも燃える(萌える)。~


今回は掛け声以外のセリフはなし。製作者の義虎さんが、こたびは参戦せずに七色の声(?)でナレーションをしました。

セリフを覚えなくていい分、誰が今それを言っているのか明確にするため、武者達は手を上げたり下げたり体を左右に動かしたりと常よりオーバーな動きをせねばならないのですな。


攻めてくる本多勢に石を投げて応戦する津久井衆。
「なぁんじゃ、その古臭い戦法は・・・グワッハッハッ」と、尚も進む本多勢。

そこへ・・・っ!

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パ~ン、パ~ン、パ~ン。
油断して近づく本多勢に鉄砲をあびせる津久井衆。
(↑写真は井上加賀)

ちっ
なんだよぉ~。津久井衆ったら鉄砲持ってたんじゃん。(←そういう言い方はしない) by 本多勢。


が、しかし・・・
11万2千の徳川屈指の精鋭部隊に対し、留守兵と農兵で5百に満たない津久井の守りではどうやったて勝てるわけはありません。

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~殿・内藤若狭守綱秀&守屋若狭守ツーショット~


次々と北条の城が降伏していく中、23日には、落ちてゆく八王子城から上がる炎煙も山頂から見たであろう殿の戦意は下がり、諦めの気配が濃くなってきた・・・と思いきやっ


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やおらっ!

「総大将・内藤大和守綱秀であるっ!」

まだ戦おうとする秩父殿(津久井衆)と本多忠勝の間に躍り出たのだ。

「本多忠勝殿!この戦、そなたらの勝利。この秩父はじめ、城の者たちには何の抗戦の意もない。全てはワシの謀。この首を持って、戦に決着とされたし。城の明け渡しは城代として馬場佐渡守が執り行う」

「大殿っ!」 by 秩父&佐藤

殿 「よいのだ、すまぬ。ワシが不甲斐なきばかりに、そなたらには辛い思いをさせる。これは、我が城、津久井を、皆の故郷を守れなんだことへのワシなりのケジメじゃ」


あっ!
と思いました。秩父と本多のやり取りに気をとられていたので、床几を立って駆け寄ってくる殿に気付きませんでした。

いや~、合戦劇の行われている御屋敷広場が、「しん」と静まり返りましたよねえ。ちょっと、じ~んと来ました。

この濃さもね、室内の舞台や映像だったらベタかもしれません。でも広々とした野外で、しかも当時のまさにその地だったところですからね。きちゃうんですよ。ググッとね。


そこには武将の皆さんの熱演もあります。「リハーサル」といっても皆さん本業がありますから、ちょっと前に1回と前日との2回しかしていません。当日の午前中やっと参加できた武将もいます。そのリハーサルでも、この最後の内藤殿のシーンでは武将達は涙が出てしまったそうです。

皆さんボランティアなのに遠方から馳せ参じた武将達もいて、そこまでの思い入れでやりますから、四百年前の津久井の民もさぞや報われたことでありましょう。どうも、見てくれていたような気配も・・・ありやなしや。


昨年の震災以来、彼らのテーマは「故郷や地元を思う心」となりました。今回の「津久井城開城記念」では、その思いが一番はっきりと発信されていたと思います。

全員そろってのフィナーレの後は、合戦劇恒例の写真撮影大会。老いも若きも子供達も、武将達と一緒に写真を撮っていました。


いいなあ。わが城八王子城でもこういうのやりたいなあ。
北国勢に攻められて落城寸前の城。そこへ、まさかのあり得ない、本城小田原に詰めていたはずの我らが殿、氏照どのが現れる。

待たせたなっ!

殿っ!とのっ!とのっ!
駆けよる城兵達・・・

あ、これは土方さんか。でも、泣くわ、わらわ。きっと。


兵糧部隊

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当日の陣中食メニューは、城山公園の攻防戦担当者様が調査し考えました。津久井地場産のお醤油とお味噌(担当者様の自腹)で作った、
 おにぎり
 味噌玉
 虎汁
です。

えっ!虎汁?

おサル殿下は虎の肉を好んで食したそうです。滋養強壮・精力増強(失礼)ですね。とはいえ虎の肉は、加藤清正が一生懸命獲ってましたが(←うそ)当時でもなかなか手に入らないもの。現代ではなお無理ゆえ、同じく当時おサルが食していた強壮食材を使った「太閤スープもどきけんちん」となりました。そのレシピも担当者様です。

なぜ今日「太閤スープ」なのか。担当者様が嬉しそうにおしゃることにゃ、「秀吉を食らう」という意味合いでとのこと。それを思うと尚更美味しかったですねえ。


陣中食は、陣中とはいえ余裕がある時に作ったものです。通常の戦では干した握り飯などを携帯していました。こたびの戦は余裕があるので、公園関係者の方や地元ボランティアさん達で作ります。

ご飯や太閤スープは外のかまどで薪で作り、味噌玉はボランティアの一人の方がひたすら、じっくりと混ぜ混ぜしながら炒め続けてくださいました。山椒とニンニクが効いて、これは非常に美味しかった。お料理屋さんで出してもよいようなお味でした。

かまどは熱くて煙くて大変そうでしたが、ご飯もとても上手に炊いてくださいました!7kgのお米。水加減が難しかったでしょうねえ。出来たオニギリは、120個!

わらわも午前中から参上し、公園関係者様の手慣れた下知のもと、ご主人が参陣中のボランティアさん方と一緒にオニギリを握って、あとは野菜をちょこっと切っただけ。地元じゃないのに手伝わせてくださりありがとうございました。


あ、あと、配布資料を作りました。受け取られた方々、あれは、公園とは関係なくマリコ・ポーロが作成したものです。濃かったでしょ?ゆえに、間違い勘違いありましたら、マリコ・ポーロへお願いいたします。


FMさがみさんや神奈川新聞さんやカナロコさん等の取材がはいってましたが、まだまだ近所の方でもご存知ない方がけっこういらしたようですし、また、素人が武将の格好をしてチャンチャンバラバラやるだけだろうからと見に来なかった方達も多いようです。残念でしたね~。おっもしろかったのに~。(←イジワルね)

今回は第一回目(第422回だけど)。評判を聞いて、来年はもっとたくさんの方が観戦に来てくださることでしょう。


津久井は、八王子城主である我らが殿・氏照どのの管轄です。23日は八王子城落城、25日は津久井城開城。落城する八王子城からも何人も津久井に向かって落ちてきた将兵達がいるそうです。

天正18年、2日違いで落ちた八王子城と津久井城。また、永禄12年、八王子の「滝山」「とどり」から「三増」へとつながる2つの合戦。連動して何か出来ると楽しいです!言うは易し、行うは難しですが、私も考えます。皆にも話ます。ブログにもたくさん書きます。


そうそう、津久井城では、7月28日に「津久井城親子歴史ウォーク」なる、またまた楽しい仕掛けの歴史イベントがあるようです。親子でなくてもどうぞ行かれてくだされませ。


攻防戦の合戦劇が終わったあと、今度は管理棟前で「おサルの大返し(秀吉の中国大返し)」の再現。まだ残って観戦してらっしゃるお客様がたくさんいて、みんな喜んでいました。

以下、よろしくば。

「私は自前の甲冑隊の応援団」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-7ed4.html
「三増合戦まつり~後編 寸劇&鉄砲隊&騎馬武者」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-fe61.html


ほな。次は、小田原開城です。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。
画像は、武将友とマリコ・ポーロが撮影したものです。

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